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やってきたお餅に気づかせてもらったこと

お正月になって、お餅がやってきました。

実家の母が作ってくれたもので、私の住まいの近くに住んでいる父が運んできてくれたもの。

年末が近づいてくると、実家ではいつもお餅をついています。

私が小さい頃は、薪で火をおこしてもち米を炊いたり、臼と杵でおもちをついた時もあった気がするのですが、だんだんと簡略化されていき。
臼と杵ではなく、餅つき機でおもちを作るようになったり、もち米も火をおこして炊いたりはしなくなったりと、だんだんと簡略化されていきました。

それでも、ついたお餅を、大きな木の板に伸ばして、乾かして、乾いたら切って、という作業は、昔から変わらず手作業で続けているのかなと思います。

私が小さい頃は、大きな木の板(タテ1m✕ヨコ80cmくらいのもの)3枚〜4枚分くらいの量のおもちを作っていました。
ついたおもちを、まだまだ熱々のうちに、ビニールを敷いた、大きな木の板に厚さ1cm〜2cmくらいにして伸ばしていくわけです。
そして、ビニールを上からもかけ、汚れが入らないようにして乾かしていきます。

空気が入らないようにきっちりとビニールでおもち表面を覆わないと、カビが生えたりしてしまうので、総監督である祖母にシャープな目線で厳しく監督されていた気がします!
祖母は、目の付け所がシャープ!&細かい!方だったので、作業の時は、ピリッとキビキビと、ご指導してくれていました。(笑)

実家にはシャッターが付いた車2台分プラスαくらいの広さの車庫があって、なんとなく棚が置かれていたり、ちょっとした倉庫&作業スペースとしても使われていました。
味噌を作る時やおもちつきの時など、何かの作業をするときは、車はしばし他の場所に追いやられ、車庫のコンクリートの床にシートやゴザを敷いて、みんなでわいわいと作業をしていました。
おもちをついた日は、ひとまず乾くまで、シャッターを閉めたその車庫の中におもちを置いておき、夜になってから家の中に運んでいました。

大きな板なので、2人がかりでないと運べず、夜になるとおばは帰ってしまったりして、祖母と母と私だけになるので、私も戦力としておもち運びのお手伝いをすることになるわけですが。
この作業が本当に嫌いでした!
今思うと、別に大して時間がかかる作業ではなかったわけですが。(ただ板をほんのちょっと運ぶだけ!)田舎の冬の寒い夜、こたつにぬくぬくと入り、テレビを見たりしながら寝そべってぼーっと生きていた子ども時代の私にとっては苦行で。全力でぬくぬくしてリラックスしていたおコタツ&あたたかい部屋から出て、寒い外に行くなんて本当に嫌で、なんでわざわざ今から運ばないといけないの?!そのままでいいじゃん!といつもブーブーと文句を言っていましたね。

おもちが固まるまでは、昼間は車庫の中で乾かし、夜になると家の中に入れるという作業を繰り返していた気がします。ある程度固まったら、あとは家の中に置いてしばらく乾かします。

玄関から入り、土間、廊下とあるのですが、その廊下の端に板が3枚くらい置かれ、後は、廊下に続く他の部屋に置かれていました。
廊下の端におもちの板が並べられると、廊下がちょっと狭くなっていたり、いつもの部屋に入る時にちょっと気を遣ってみたり。冬の時期、期間限定で並べられたお餅たちにやっぱり興味は湧くわけで。見つかると注意されるのですが、時々こそっとお餅を触ってみたり、指の跡をつけてみたり、その触覚を楽しんでこそこそと遊んだりしていました。今思うと、懐かしくて楽しい風景があったなあと思います。

一体どれくらいの塩梅で、おもちを乾かす時間が終わっていたのかは分からないのですが、祖母の采配でおもちの具合に了承が出ると、お餅を分ける日がやってきます。

これまた家族みんなでお餅を切るわけです。
私もお餅を切るお手伝いはしたのか、見ていただけだったのか、ちょっと定かではないのですが、おばもやって来たりして、みんなでお餅を分けました。そうして、年末にお世話になった方や親戚に贈る分、おばや家族に分ける分、お家で食べる分、と袋に入れて分けていきます。
こうしてようやく、冬に楽しむお餅ができあがります。

お正月のお雑煮、きなこのお餅、お醤油と少しのお砂糖で甘じょっぱくしたお餅と、楽しくて美味しいお餅との時間が始まります。
たくさんあるお餅は、冷凍などもしておき、冬の間楽しみます。

昔は家族みんなでしていたおもち作り。
今は母がほぼ一人でしてくれているものと思います。

感謝です。
本当にありがたいです。

当たり前のように、私の分も用意してくれて、当たり前のように、おもちついたよ〜と連絡をくれる。
本当に、ありがたいことだなと思います。

今では家族も少なくなり、作る量も減りました。それでも、いつものことを当たり前のようにしてくれている方がいること。

家を離れ、子どもをもって初めて、作ってもらえることのありがたさ、当たり前のように生み出して、気遣ってくださる方のいることのありがたさに気付きました。

爆発して、くっつきました!

手りのおもちは、色もいろいろ。形もいろいろ。焼いた時の仕上がりもいろいろ。
本当におもしろいです。生き物だなあと思います。

一般的なスーパーで買ったおもちは、本当に均等に整えられています。形も色も整っています。焼いた時も、けっこう均等に焼けます。
無機質でクールで何人たりとも寄せ付けない麗人って感じがしますが。
均等に整えられているって、すごいです。
おもちの品質や形を一定に保てることのすごさを感じます。包装されていれば、カビだって簡単には生えませんし、本当に大掛かりなのだろうなと。すごい技術だなと思います。

手作りのおもちは、本当に、いろんな形の、いろんな味のおもちができます。美人さんだけではないかもしれませんが、個性的です。
冷凍せずに放ったらかしておくと、黄色や赤色のカビ、黒色っぽくポツポツとしたカビもすぐに生えてきてくれちゃったりします。
本当に気を抜くとすぐにカビるんですよね…(涙)
まさに生きている、、、!

ご家庭の作り方や材料によっても、形や、味や、色や焼いた時の具合は変わってくると思います。
そういえば、鏡餅用に丸いお餅も作っていたり、豆を入れた豆餅とかも、作ってくれていりしました。豆餅美味しいんですよね〜。

色もいろいろ、形もいろいろ。おもしろいです。

小さくて丸っこいのは、おそらく端っこだったのでしょう。


自分で作れること、家で作れること、本当にすごいな、と思います。
見るのとやるのでは大違い。実際に自分でやってみようと思うと、本当に大変なことだと思います。
もち米を準備して、機械を出して、もち米を炊いて、、、と、何日もかけて、時間も手間もかけて、ひとつのおもちが出来上がっています。

母にとってはもう当たり前になってしまっているのかもしれません。それでも、その同じことを同じように、同じ時期に、何十年もずっと続けて下さっていること、過去を引き継いで今に続けてくれていること、本当にすごいな、と思います。
本当に感謝です。

すごいことをされているんだなあと。
母のように自分でお餅を作れるようになりたい、と。何かを生み出し続け、創り出し続けられるようになりたい。過去を引き継いで今や未来に繋いでいきたい。そんなことをしたい、と最近思っています。


私のもとにやってきてくれたお餅さんたち。
母が作り、父が運んできてくれました。

実家から、車を使い、途中に高速道路を使って1時間半以上かかる場所に住んでいる私ですが、たまたま近くで仕事をしている父が、お正月に運んできてくれました。
たまたま近くに住んでいるっていうのも、意図したわけではなく、本当にたまたま偶然にも結果として近くに住むことになっていた、わけではあるのですが。この数年、不思議なご縁であったなあと思います。

最近はよく、父が、実家の母が作った野菜やお米などなどを運んできてくれます。ついでだったり、そうではなかったり。
母に、父に、いまだにお世話になっている娘です。
そして、ありがたいことです。

子どもを持って、自分が思うように動けなくなって、あらためて両親の大きさに、ありがたさに気づきました。

2023年の年末、そして、2024年のはじまりから、お世話になり。
ありがたいなあ、ありがとうございます、って思います。

そして、そろそろと、少しずつでもお返しをしていける私になりたいなと。そんな願いも生まれ始めています。
今年は自分を大切にする年にしていきたい。
今年の目標です。

おもち、少しかびるんるんに狙われてしまったのですが、、、残りの分をこれから、大切に、楽しみにいただこうと思います。

やってきたおもちに、様々を気づかせてもらったお話でした。

食べ方もいろいろ。
これは、お砂糖少しと醤油で甘じょっぱく。そして海苔巻。
お雑煮、きなこ、大根おろし、お汁に入れても美味しいですよね〜♪魅惑のおしるこもありました、、、!