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やっとわかった!「子育ての正解は頭ではなく、心で考える」

初めまして、わたしは今とある本の制作に関わっています。本のタイトルは『「わかりあえない」を越える』。内容は「わかりあえない」を越えるためのコミュニケーションについて書かれた本です。家庭の中、職場の中、学校の中など、人によって様々だと思いますが、あらゆる人間関係の悩みは尽きないのではないかと思います。そんな中で私が、この本をおすすめしたい理由は「子育ての正解は、頭ではなく、心で考えるのが大切だ」と気づけたからです。

一年前のこと、この本の訳者が、私の子どもと接する機会がありました。彼女は、この本で書かれているコミュニケーションを日々実践しておられます。あるとき、子どもたちが「ものを隠すゲームやろう」と提案をして、彼女が一緒に遊んでくれました。しばらく遊んだのち「もう寝る時間だから、おわりにするね」と彼女が伝えます。案の定、子どもたちは「やだーもっとやりたい!!」と言いました。彼女は「すごーーく楽しかったんだね。もっとずっと遊んでいたいんだね」と子どもの気持ちを代弁しました。子どもたちはニコニコしていいます。「うん!すっごく楽しかった!だからもっとやりたい」と。一瞬、間があり「うん。じゃああと1回だけやろうか」と提案したのでした。

表面的には、子どもの勢いにのせられて、大人が仕方なくつきあっていると見えるかもしれませんが、そうではありません。彼女は心に耳を傾けて、自分がどうしたいかを聞いていたのだと思います。なぜ私がそう見えたのかというと、この本でお伝えしているコミュニケーションは、「今この瞬間に、自分の内面で何が息づいているか?」という問いを大切にしているからです。訳者は普段からこの問いを自分に問いかけ、「自分は今なにを大切にしたいと思っているだろうか」ということを頭ではなく心で考えます。自分の中で大切にしたいものが見つかり、次に行うことは、「人生をよりすばらしいものにするために何ができるか?」という問いを考えることです。子どもたちと遊ぶか、遊ぶのをやめて休むか、あるいは別の選択をするか。この時、訳者は「あと1回だけ遊ぶ」という提案にたどり着きました。

「休む」と「遊ぶ」のどちらがこの場にふさわしいかよりも、その瞬間の自分の心の声に耳を傾け、子どもたちと向き合い、どうしたいかを決める。正解を頭ではなく、心で考えること。この訳者のコミュニケーションの在り方に興味をひかれた出来事でした。

そしてさらにこの本を制作する過程で、本書が示すコミュニケーションへの理解は深まっていきました。本の中には、私と同じように子育てで悩んでいる母親の話がでてきます。「ねばならない」や「〇〇すべきだ」という考え方が頭の大半を占めている母親です。彼女ら自身も子育てに葛藤を抱えながら、きっとこのコミュニケーションの在り方を学んでいたのでしょう。
「子育てに正解はない」とよく言われます。私もそう思います。ただ頭の中には「親が子どもにしたら良いこと」、たとえば「偏食をなるべくなくす」「叱るより褒める」みたいなものがあります。しかしこの本を読み終えたら、頭で考えた「こうあるべき」よりも、もっと自分の心の声を子どもに伝えてもいいんじゃないかと思うようになりました。さきほどの訳者のコミュニケーションにもあった、2つの問いを大切に子育てをする方法です。「今この瞬間に、自分の内面で何が息づいているか?」と「人生をよりすばらしいものにするために何ができるか?」です。次のエピソードは、2つの問いに基づいて、子どもとコミュニケーションできたというお話です。

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それは突然やってきました。この本のタイトルが決まるまでの間、毎日遅くまで家で仕事をしていました。来る日も来る日もタイトル案の検討を重ね、資料づくりと関係者との調整に明け暮れていました。その日はほんとに限界で、体力はもとより気力も底をついていました。
「もうお母さん無理だ。今日の晩は納豆ご飯ね・・」と半ば宣告のように子どもたちに告げました。「えーやだー」と子どもたち。私は布団にうつ伏せになり「だってしんどいんだもん」と子どもみたいに返します。しかし心の中には葛藤があり、「あー母親なのに・・」という声がこだましています。子どもたちのお腹がすいているのはわかっています。納豆とご飯じゃ物足りないのもわかっています。投げやりな態度だということも自覚しています。けれど私にはどうすることもできない状態でした。
しかし次の瞬間、6歳の長女が一言「そっかぁ。じゃあ今日はわたしが作るよ」と。このとき、溢れるように涙がでてきました。私自身葛藤はありながらも、「自分の中に何が息づいているか?」とつながり、疲れがピークに達し、なによりも休息を大事にしたいと思っていました。そして「人生をよりすばらしくする」こととして「納豆ご飯にする」という提案を伝えたのです。それに対して、長女が「お母さんは疲れていて、ご飯をつくりたくても、つれない状態なんだ。けど納豆ご飯とは違うものが食べたいな、だったら私がつくってあげよう」という互いの人生をより豊かにする提案に行き着いたのです。

世間的に母親はどんなときも、子どもにご飯を食べさせるものであり、それが出来ないと母親としてどうなの?というような目でみられることもあります。しかし世間は、私の今のしんどさを知りません。手を貸してくれるわけでもありません。そんなことに縛られる必要は、本当になかったのです。目の前の私のことを大事に想ってくれる子どもの存在に、ただ感謝の気持ちが湧いてきました。そして布団でごろごろしながらその後も泣いていました。

このエピソードは私自身、無意識に本書のコミュニケーションプロセスを辿ったと思っています。「こうあるべき」という頭で考えた正解ではなく、その瞬間の自分の気持ちに正直に、心から相手に伝える。そうすることで子どもの本来の優しさに気づくことができました。
「正解は頭ではなく、心で考える」。子育てに限らず、人とあらゆる関係を築く上で、大切にしていきたいと思いました。

自分や相手の心の中に何が息づいているかを、みつめることは簡単ではありません。本書ではエピソードを交えながら丁寧に伝えています。ぜひ一度お手にとってみてください。


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