『進化思考[増補改訂版]』─増補改訂版の協力にあたって 監修者 公開
増補改訂版の協力にあたって 監修者
河田雅圭(東北大学 総長特命教授)
『進化思考』は、自然選択による生物進化のプロセスからヒントを得て、太刀川さんが考案した「創造性」を生み出す思考法の体系である。あくまで思考法であり、生物進化の解説書ではない。著書の生物進化に関する一部をとりあげて批判するのではなく、生物進化を理解し、応用しようとしている著者の誤解を解いてもらい、正しい理解の普及に努めるのが専門家の役割だと思う。今回は、進化に関してできるだけ間違いのない記載にしたいという太刀川さんの意欲に対する敬意と、それが読者の進化学への関心に繋がればという思いで、監修を務めさせていただいた。
私が太刀川さんと最初に出会ったのは、二〇一一年に起きた東日本大震災の復興を支援するワークショップの場であった。そのとき、太刀川さんは、「生物進化に大変興味がある」ということを語られたように記憶している。当時は具体的な興味の内容まではわからなかったが、本書が出版されたことで、太刀川さんのもつ進化への興味が理解できた。
私は、ジョギングやウォーキング中にオーディオブックで本を聞くことが習慣になっている。二年前に本書を最後まで一通り聞き、実際の生物の変異から着想を得る点などがおもしろいと感じた。ランダムに言葉やコンセプトをあげ、それを繋げていくというブレーンストーミング法や、コンピューターの中でランダムに変異を生じさせ、その中から最適なものを選ぶというプロセスを繰り返す進化的計算手法によるアイデア創出法など、これまでも、自然選択のプロセスを模倣したような思考法や計算法はあった。また、「オズボーンのチェックリスト」では、弛緩、逆転、結合、拡大などのような発想法を提案しており、これは進化思考で解説している「変異」の考えと類似している。
太刀川さんの「進化思考」のオリジナルな点は、生物進化のプロセスにより近づけるために、生物の変異から着想を得て、デタラメな変異ではなく、変異の作り方をリスト化したこと、また、選択のプロセスにおいては、主体者が意図をもって選ぶのではなく、自然科学から発展させた観察方法を体系化し、客観的に変異を観察することで必然的に選ばれていくという具体的なメソッドとして提案したことだろう。
進化思考は、実際の生物における自然選択のプロセスからヒントを得たといっても、アイデア創出の方法であるので、自然選択のプロセスをそのまま正確に適用するものではない。そのため進化思考の方法が、生物進化を正確に模倣する必要はない。しかし、本書の第一版には、実際の生物における進化について記載されている箇所があり、そこでは、進化に対する誤った理解、正確でない表現や誤解を招く可能性のある記載が見受けられた。特に、本書で語られている進化は、「自然選択による適応進化」に限定され、中立あるいは有害な性質の進化に触れておらず、適応進化=進化という印象を与えかねないものでもあった。また、変異・適応という繰り返しで進化が生じるという表現は、自然選択のプロセスに誤解を招きやすい表現であった。
そうした点について、太刀川さんにメールで指摘したところ、太刀川さんは積極的に修正したいと回答された。その後一年以上にわたり、知り合いの一人の研究者とともに監修作業にあたった。彼のチェックは私よりも細部にわたり、今回増補された内容の監修も合わせて、大幅に文章を修正する基になった。太刀川さんには、生物進化について正しく理解したい、進化思考をより良いものにしたいという強い意志があり、原稿確認は三往復、検討箇所は数百箇所に及んだ。著者が監修者の意見を真摯に受け入れ、努力されたことで、増補改訂版の本書は大きく改善されたと思う。
監修者の私としては、生物進化についての誤った記載や誤解を招きやすい点を修正できればという思いと、本書は生物進化の解説書ではないため太刀川さんご自身のユニークな表現を変えてしまうのは適切ではないという思いがあった。そのため、読者の誤解につながらないことを前提に、進化についての解説書に求められる厳格な正しさよりも、進化思考ならではのおもしろさを優先した。繰り返しになるが、本書の目的は生物進化の解説ではなく、創造性について学ぶことだ。そのため生物進化のすべてを正確に述べているわけではない。生物進化について正しく理解したい方は、進化学の専門家による解説書などを読んで理解を深めていただければ幸いだ。進化についての誤解を解説した私の本(光文社新書)が二〇二四年春に出版予定だ。ぜひ読んでみてほしい。
現在の進化学は、生物の進化メカニズムを解明するだけでなく、進化現象をさまざまな分野に応用する進化応用学という分野にも進展している。医学、害虫駆除、農林水産業、生物多様性の保全などへ、実際の生物進化プロセスを応用しようとする試みだ。これらは、今後さらに重要になると思われ、その応用には進化メカニズムの高度な理解がもとめられる。それとは別に、進化論的解釈が、人間社会へ思想的に応用されることも多かった。そのような思想的応用には、時に進化機構を都合よく改悪したり、間違った進化理論を元に創られたものが多かった。また、生物学の専門家が、間違った進化的解釈を一般の記事や本ですることも少なくない。このような応用や一般への普及には、生物進化機構に関するできるだけ適切な説明が要求され、誤った生物進化の解説は批判されるべきであろう。
一方で、ランダムな変異と選択という自然選択のプロセスからヒントを得て、遺伝的アルゴリズムや進化的計算法という手法がさまざまな分野での最適解の探索や技術開発などにも用いられている。さらに、生物の構造や生成メカニズムをヒントに製品を開発するバイオミメティクスという分野もある。これらの応用は、生物進化をヒントに創造されるものであり、生物進化のメカニズムを正確に模倣する必要はない。本書の「進化思考」も、こうした「発想的思考法」への間接的な進化の応用の一つだが、今回のように著者が進化学者と議論を交わしながら内容を精査する執筆のプロセスが、今後の応用にとって参考となるケースになればと思う。
最後に、自身の著作に真剣に向き合う太刀川さんと、経済性ありきではなく著者の活動を真摯に応援する出版社の阿部さんの姿勢に、改めて敬意を払いたい。
二〇二三年一〇月 秋が色づく仙台の研究室にて
■河田雅圭氏によるnote記事「『進化思考』監修とその批判に関して」もご覧ください。
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