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障がい者就労移行支援

冠省

こんにちは。アラカン marです。

わたくしが選んだのは「障がい者就労移行支援」のお仕事。                      選んだ理由は以下の通りでした。                                     ・一般社団法人とか社会福祉法人の成り立ちに興味がありました                ・ボランティアとしてではなく仕事として障がい者との関わり方を学びたいと思っていました                                       ・決まった時間働いて賃金をもらう生活をしてみたいと思いました

フリーランスは収入にばらつきがあるのが常ですのでいわゆる「安定」を知りたかったとも言えます。                              福祉に関する資格など何もありませんでしたが、今から資格を取って、、とか悠長なことを言っている場合ではないので事務方として携わることができれば、と考えていました。

はじめのうちは言われたことを言われた通りに全うすることに全力を注ぎました。わたくしが自分で決めた約束事は「言われたらハイと返事をすること」まずは受ける。考える。無理なら聞く。とにかくやってみる。             そうすることで次第に流れが把握できるようになり、この作業は本当にこれでよいのか?なぜこの作業をするのか?など、疑問を持つようになりました。

コロナの影響で時短勤務でしたが、それにしても仕事量が膨大。毎日既定の仕事を片付けるだけで精一杯。しかもオプションの仕事も数多く発生し毎日がパンパンの忙しさでした。社長さんが「うちはホワイト企業だから残業はしない!」という方針でしたので、居残ることもできず時には持ち帰れる仕事は持ち帰り家でもパソコンに向かいました。朝は早くに出勤しました。

そのうち、あまりにクタクタのわたくしを見て家族から反発の声が上がり始めました。OLの先輩である娘たちが私の話を聞きながら首をかしげるのです。なんかおかしくない?わたくしとしては良いも悪いも判断が尽きませんでしたし、何より仕事を終わらせたい使命感に駆られておりました。そういうときは周囲の声は耳に入ってきますけれどきちんと内部には届きません。ふんふん、と生返事をしつつ飛ぶように毎日が過ぎていきました。

ギクシャクしはじめたのは半年が過ぎたころだったでしょうか。                上層部があれもこれもこちらに無茶ぶりをする。優しい言葉でうまいこと押し付ける。一番耳障りだったのは、上司が部下をディスる・揶揄する、公衆の面前で。社内のLINEとはいえ、ミスや間違いを写真に撮り「間違い探しです」などと一斉共有する。誰のせいでこうなったのか犯人捜しばかりする。わざわざミスる人などいないのに。一つのミスでも「やめるならやめてもらえばいい、代わりはいくらでもいるっしょ」とのお考え。人間性を疑いました。言いにくいこと伝えずらいことを利用者さんに伝えるのもこちら側。謝罪するのもこちら側。責任感などあるのかないのか感じたことすらないんじゃないかしら。

利用者さんとの交流は日々が真剣勝負でした。朝、おはようの挨拶でその日の状態がなんとなくわかる。昨日の様子とは全く急変している方もいるので気が抜けない。話を聞くと必ずきっかけがあるんだけれども。もっともっと深く話を聞くと、問題点は明らかなんだけれども。そこに踏みとどまってしまう。変化を恐れる人が多いという印象を持ちました。しかし恐れていては就労など不可能です。

毒親なら逃げ出していい。なにか良い手立てを一緒に考えようと呼びかけてもそのとたんに通えなくなってしまう。連絡すら取れなくなってしまう人が多い。焦って焦って自分を責めてしまい攻撃的になってしまう。刃を向けてしまう、自分に。シニア世代は柔軟に物事を考えることが難しく自分の過去の栄華にとらわれていて、なかなか現実を受け入れられない。昔は高額な賃金をもらっていた自分がこんな安い賃金では働けないという姿勢を崩さない。しかも経験のある職種にこだわる傾向にある。肉体労働は無理だって。

それでも、時間をかけて丁寧に対話を重ねていくうちに。                            本当はそんなことしていたら良くないことを知っていて、なのにどうにもできない自分に苦しんでいると打ち明けてくれるのだ。医師の言いつけを守り、生活を整える努力もし、家に帰れば一人ぼっちか毒親と鼻を突き合わせるかの日々。ちょっとの会話で和むことだってある。聞いてもらえば溜飲が下がることもある。就労するという希望もある。未来もある。

その人に対して、わたくしができること、を常々考えておりました。     こうしてみたらどう?とそれぞれのスタッフが提案し、共有し、みんなで練り、ボツになる案もあればやってみよう!となる案もある。早速すぐさまやってみる。自称「すぐやる課」を名乗っていたので知恵を絞りだしました。仲間がより良い形にバージョンアップさせてくれたり、得意な人がチャチャっと魔法のように仕上げてくれたり、スタッフは一丸となって真剣勝負していました。

わたくしは、この、毎日が真剣勝負の職場が好きでした。

問題が起きました。                                      起きて当然でした。

その件について皆さんの話を聞きましょう、と上層部に言われたので、仕事が終わった後、スタッフ側の話を聞いていただきました。                                 翌日。わたくしだけ呼び出されました。                      社長さんが怒っている、とのこと。わたくしに馬鹿にされたと感じあの話し合いの時間は無駄だったと。失礼だよねと。思い出したら腹立たしく眠れなかったとのこと。えっ?そんなに??本当のことしか話してないけど・・どの部分が?謎しかありませんでした。が。

もう、分かりあうことは無いと感じました。なので辞職を申し出ました。      急なので引き留められましたが、その後、人材確保の目途がついてすぐに遠方の事業所への転勤を命じられました。そうそう!言ってましたよね!「かわりはいくらでもいるっしょ」                    介護が必要な夫がいることを知っていて。体のいいクビだな、と感じました。真剣な顔をしてもっともらしい言葉で異動の話を切り出したナンバー2たちを見て、思わず笑いがこみ上げました。イエスマン野郎がよく言うよ。部下をディスる 責任を擦り付ける 自分に降りかかる火の粉はサッサと払いのけてゴマすりながら生きて行けよ、そのまんま。媚びてせいぜいおきばり! 

経営者はラストマンでなければならない、とか日報にあげていた社長さん。    あれにもビックリしたな。経営者になって何年たってるんでしたっけ?そんなこと、経営者になろうと思った時点で当たり前ですよね。        わざわざ言うところ。面接した時から変わってない。               

こうしてわたくしは1年と20日間の事務職勤務に別れを告げました。          この1年の学びはわたくしを大きく成長させてくれました。感謝です。

利用者さんたちは、その後もスタッフの応援を受けてみんな頑張っているそうです。就職が決まった人もいます。なにより!利用者の皆さんの「行動無くして結果無し!」ほんの少しの間でしたけれど。皆さんありがとうございました。                          不一



街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!