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葬儀・4

いまは。
死んでしまったかどうかはすぐに数字で確認できます。
お医者さんが○時○分ご臨終です、っていう、あれです。

そして、死後、遺体の変化を目にすることはありません。
高度な遺体衛生保全の技術を以て1ヶ月くらいはドライアイス無しでも生前と変わらぬままの姿形を維持できます。
なので、恐怖はありません。

残された習慣で執り行う葬儀の形態を全うすることでもたらされる、遺族の満足感や達成感を味わうこともあるでしょう。

ずっと以前からの「葬儀」をそのまま継承しているようでいて、実は葬儀は大きくその形を変えています。

医学の発達と生活の便利さの相乗効果で日本人の平均寿命は長く長くなりました。
人生100年とも言われています。
けれども、老いは病をもたらし抗えない様々な衰えと共に生きることになります。

家族は、家族としての機能を果たしているかどうかは別として、老いた者を経済的にも精神的にも支え続けることが求められます。終身雇用なんてとっくの昔の話だし、年金も大してあてにならず、今を盛りの若者たちは皆が皆、恵まれた環境に身を置いているとばかりも言い切れない。

基本は、自分のことは自分で!
それが1番かもしれませんが、それができる高齢者は少ないのが実情でしょう。

家族葬や一日葬に目を奪われ心が傾くのは当然のことなのです。
多少なりとも伴っていた、葬儀を普通に出さないことへの後ろめたさや不義理さはコロナで一掃されました。

こうなることは。必然であったと感じています。

世のお坊様も。
2日かけてはじめてお経の意味が全うされる葬儀の形を変えていかざるを得ないかもしれない。
それこそが、檀家さんの為になるのかもしれない。

通夜と葬儀を執り行うことができない家庭もたくさんある。
高齢者施設への支払が長きに渡り家計を圧迫しているとか、失職したとか、病に倒れて働き手も看病する人手もないとか、結婚していないとか子供がいないとか理由は様々。それが現実。やりたい気持ちがない訳ではない、やれない場合もあるのだ。

戦後の日本を生き返らせたのが今の高齢者なのだ。
何にもない焦土から、瞬く間にビルをたて高速道路を作り冷蔵庫や洗濯機やテレビや電話を生み出し民衆を幸せに導いた。その功績は大きい。

いまは、無いものは無い。なんでもある。あふれている。手に入れられるかどうかは別として。
悩みは飢餓より飽食だ。

世界とも秒で通じあえる。なのに孤独感が深い。
そんな時代にあって新たなものを生み出すことは至難の技だ。

「今時の若いもんは…」とか言われるし

何もかもが違うのに。
なんとなーく馬鹿にされ見下されていた今時の若いもんたちは。

まあ。それはそれで。自分たちは自分たちでやれることをやって生きていくよ、そっちで勝手に馬鹿にしててよ、別にいいから、って。なっちゃうよね。

それでも、尚。
葬儀となるとなんだか急に色々と持ち出されて。
お金は出してくれないけど口は出されて。
それはおかしい、あれじゃいけないとかなんとか。

今時の若いもんは。[若いもん]たって。
言われてる方も50代から70代がほとんど。
形式に捉われることの意味をどう飲み込むか。

粛々と、淡々と、滞りなく、終わらせることに意味を見つける。

現場にいてそう思う。

結局は。
葬儀の価値は命の値段ではないし。
他者と争ってまで見栄を張る余力もないし。
いくら血縁とは言え、関係を深める意味も見失っているし。
ってことですよねー。

そんな時代になりました。



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