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わたくしについて

冠省

こんにちは。marです。今日は「わたくし」について書きます。

幼少期・・このころの記憶があまりありません。幼稚園に通っていました。松組さんだったような気がします。滑り台ですべったりブランコ乗ったりしてました。と、思います。虹色の毛糸のパンツをはいたみかちゃんとお友達で良く家を行き来しておりました。みかちゃんは大きくなってモンゴルに興味を抱きモンゴル事情に詳しい女性と成長しました。今ではどこでどうしているのか・・わかりませんがきっと元気に笑っていると思います。

10代・・小4の時に両親の大ゲンカが勃発し転校しました。詳しい事情はよくわかりません。このころからわたくしは筋金入りの大ウソつきでした。ありもしない、お友達が石で自分のハーモニカを壊したとか言い出したりしていました。なんでそうなったのか本当にわからないんですが。嘘と、なぜか「ここから助けてほしい!私を救って!」ごっこを一人演じておりました。なんでそうだったのか?本当にわからないんですが。

10代後半はいわゆる「非行少女」でした。パトカーにも乗りました。上野のお山で喧嘩もしました。万引きしたサーファー財布を友達に1000円で売りさばきました。中3から酒場でバイトしてました。喫茶店・パブスナックなんでもござれでした。

20代・・高卒で就職し、会社で知りあった16歳年上✖1男と結婚しました。連れ子の長男と、娘二人を出産し5人家族でした。すぐに気づいたのは夫がダメダメ男だということ。シャッキングでしたし。なかなか籍も入れてくれず保険証もない生活が始まり常に不安いっぱい。子作りには熱心でしたが避妊が嫌い。堕胎を何度も致しました。娘二人を出産しましたが生活費もままならずガスや電気を止められることもしばしば。娘の幼稚園の卒園式の日には取り立て屋が玄関をドンドン叩き、夫は怖くて泣きだす始末。金もないのに、血のつながらない長男にわたくしが残せるものは教育しかない!と信じ込み。長男は中学から私立の学校に。ビル掃除のバイトをしつつ、酒にも溺れました。ついに精神が破綻し、そのころの6か月くらい記憶が飛んでいます。自傷し、目が覚めた時には夫に愛想が尽きていました。目からウロコ、の実体験でした。

30代・・離婚届に自分で全部記入して役所に提出。当然バレて泥沼化。結局、家裁で調停し私が夫に300万円払うことで離婚が成立しました。わたくしは家を出ました。娘二人を置いて。本腰入れて働くぞ!と選んだ仕事が葬儀の仕事でした。以来。20年近く葬儀の仕事をしております。

40代・・お付き合いしていた18歳年上の男性と再婚。なぜか年上にしかいかない自分を疑いながらも毎日は過ぎていきました。2年目に夫が脳梗塞で倒れ働かなくなりました。もう、お金で苦労しなくていいんだ、と気持ちが緩み始めたところでの出来事。夫の所有する持ち家のローンと二人の生活が一挙に肩にのしかかってきました。置いて出てきた、長女がDV被害に遭い顔面を殴られ骨折しシェルターに保護されました。娘と孫を引き取るべく、前の夫と画策し協力し、娘と孫は無事に私の手元に。葬儀の仕事があったおかげで食べて生きることができました。自分の身体に異変を感じかかりつけ医に行ってみたらその場で救急搬送され、難病であることがわかったのもこの年でした。

50代・・苦しかった。痛いところや辛いところばかりの身体。もともと寡黙な夫との生活は楽しいはずもなく。お金お金とヤイヤイ言われ、わたくしの家の近くに居を構えた娘二人も結婚し子供を授かったもののそれぞれ離婚。もしかしたら発達障害?と思わせる孫を抱きながらあがきました。負の連鎖。このワードが頭から離れず。私の代でなんとか終わりにできないものか?と必死でした。実母が新興宗教に傾倒していた影響で、スピリチュアルとか神様とか一切受け付けない私。「引き寄せ」だの「自己啓発」だのと散々手を出してはみたものの、根底が「ふざけんな」と忌み嫌っているものですからなかなか心に響かない入ってこない。

ただ一つだけ。気づいたことがありました。

不仲な両親。新興宗教にハマって言うことも行動も一切が気持ち悪い母。金にルーズで俺様の最初の旦那。二度目の結婚では軽い介護もしなくてはならず。いつもお金に悩まされている自分。仕事は順調だったけどそれでも回らなくなりつつある自分の首。究極の体調不良。世の中そんなに悪い人ばかりで構成されているわけないのに私ばかりが貧乏くじを引いている??

ここに登場する人物たち、その共通項は・・・。必死で考えて考えて浮かんだのが

じぶんだ!!おかしいのはわたくしなんじゃないのかな??

その気づきがきっかけでした。

わたくしの、なにがどう、よろしくないのかを知るためにわたくしがとった初めての行動がなんだったのか、いまでも良く覚えております。

むさぼるように、アメブロなどで「心理学」読み漁りました。読み漁っていると関連記事がどんどん出てきます。あっちこっちとにかく読み漁るうちに。自分が好きな雰囲気、とか自分が納得できる筆者だな、とかすごく共感できる人、とかが絞られてきたのです。似たようなことを文字にしているんだけど、言い回しや言葉選びが違うだけで腑に落ちるときと落ちないものがある。そうやっているうちに引き付けられる言葉を編み出している人に出会ったんですね。

その人が言うには。

自分のことをとにかく書いてみろと。生まれてから記憶にあることをすべて書き出してみる。感想も含めて。こんなことがあった、こう思った。嫌だった、辛かった、恥ずかしかった、やめたかった、泣きたかった、逃げたかった、頭にきた、ムカついた、死ねばいいのにと思った、怒る気も失せた、聞いてほしかった、いい子いい子してほしかった、こんなはずじゃなかった・・

自分が書いたのはそんなことばかりでした。楽しかったとか嬉しかったとか一つくらいあってもよさそうなのに。無い!!呆然とすると同時に泣きました。自分。健気だな。かわいいな。頑張ったな。そんな気持ちが溢れました。

そこには本当のことを言えないが居ました。何にも、誰にも、本当の気持ちを言ってこなかったわたくし。気づいたからって、すぐにペラペラ本音を語るなんてできませんものね。まずは夫で練習を始めることにしました。「今日はご飯作りたくない。出前を取ってもいい?」何度も心の中で繰り返し練習し、いざ!口に出してみる!

あっさり。いいよ。何にする?そんな風に。毎日毎日練習しました。

そんなつまらないこと!!かもしれませんがわたくしはそこから練習いたしました。そうすると、世の中は優しいんだなーと気づきが増えていきました。自分勝手で独りよがり。それが「わたくし」でした。お恥ずかしい限りです。

あれから、2年経ったでしょうか。まだそんなものですが、気づくと早いんですね。とても。めざましい復活!

葬儀の仕事を続けながら、ではありますが。わたくしはわたくしと同じように苦しみから解放されるひとが増えたらいいなあと思っております。

葬儀で出会ったご家族はおよそ3000件ほど。日々、対話を重ねるうちにその方の心の底にある感情に自然と吸い寄せられるようになりました。葬儀ですから、基本は「悲しむ」が人としての正解なんでしょうが、それだけでは片づけることのできない想いが沸々とたぎっている。その部分を解放せずに通り一遍の葬儀をしたところで、持って行き場のない感情が置き去りにされてしまうばかり。そのまま、生きていくんですか?

実際に面と向かってそのように申し上げることはございませんけれども。    ほんの短い出会いだからこそ。その時だけだからこそ。解き放つことができることがあります。わたくしはそう思って今日も葬儀のお仕事に向かいます。何かありましたら何なりとお申し付けくださいね、お役に立てることもあるかもしれませんので・・。                不一




街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!