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クーピーでいえば白(生成り色2)

【生成り色2】

 ラブラドールレトリバーのオモチとトックは兄弟だ。毛色は2匹とも白っぽいベージュ、オモチは女の子、トックは男の子。少し顔つきが違うが、動きは一緒だ。すみれの家族としてやってきてから、10年が経った。
「オモチとトック?」
 女の子が言った。中学生、洋子の子供の晴菜(はるな)だ。2匹を抱きしめながら「かわいい~」とはしゃいだ。
「似てるけど、顔が少し違うね。オモチは目が垂れてて、トックは…やんちゃそう」
 もう一人の女の子、高校生の莉子(りこ)は、じっと2匹を観察している。
「そうねぇ…」 
 二人と2匹を愛おしそうに眺めながら、すみれは言う。
「小さい頃は、二人ともやんちゃでねぇ、家の中めちゃくちゃになったのよ。大人になってからは、ときどぉき、いたずらするの」
 と、首をかしげてリビングの壁を見た。子供たちは思わずそれに倣う。花柄とストライプの壁紙、白い高級そうな飾り模様のついた食器棚。その上には、いくつかの写真や盾が飾られ、広くて、きれいでおしゃれで、海外ドラマの中に出てくるような洋風の家…。
 二人の娘はなんとなく観察した。
 だか、鉢植えの花や、淡い色使いの絵画が飾られたその先…なんとなく、ぬいぐるみやクッションなどで隠されているが、壁紙がボロボロに破かれて、元壁が見えている。
「あれ~?どっちが破いたんだぁ?」
 と、晴菜がオモチの顔を両手でつかんで、自身のおでこをくっつける。
「オモチかな?トックかな~?」
 言いながら、トックの頭を撫でた。
「ハルちゃんは、動物が好きね。この子たちもすっかり安心してる。わかるのよ、ワンちゃんはこの人は良い人だって、すぐ、わかるの」
 と、すみれは、目を細めて言った。
「二人で遊んでたんだよね?仲良しなんだ」
 莉子は、少し躊躇しながら、優しくトックの背中をなでる。
 柔らかくて、温かい…。
 ふっ、と笑顔がこぼれた。
「なんで、オモチなの?」 
 と、晴菜。さっき会ったばかりのすみれにも、物おじしないようだ。
「あ、きな粉モチみたいな色だから?じゃあ、なんでトック?トックって何?」
「韓国のオモチだよ。ちょっと固めで、炒め物とかにも使える」
 と、莉子。オモチの頭から背中を優しくなでながら、ね、とオモチに笑いかける。
「そう、莉子さんは良く知ってるね。少し日本の餅とは違ってね、伸びないのだけど…。キナコって名前も可愛かったわねぇ…。キナコだったらトックは何になってたかしら…」
「オモチが先に生まれたの?それとも、ここに来たのかな」
 と、莉子が言う。
「それに合わせてトックの名前がついたみたい」
「本当に…莉子さんは良く聞いてる方ね…。素晴らしいわ。そう、最初はオモチだけ飼おうと思ってたんだけど、主人がお友達に頼まれて、2匹になったのよ。」
「…もしかして、韓国の方ですか?」
 と、洋子が言う。今日は親子で、すみれの愛犬にあいさつに来たのだった。少し怖がっていた子供たちだったが、すみれと2匹に会って十数分経った今、もうすっかり慣れて遊んでいた。
 すみれが、キッチンカウンターからお茶のセットと、お菓子を運んできた。紅茶を入れましょうか、と言いながら。
「そう、私の主人は韓国人だからね。お友達もそう、私は、林(はやし)すみれと言ってるけど、本当はイムって読むのよ。主人はイム・シウォン…」
「シオン?かっこいい。海良くんと同じじゃん」
 と、言ったのは、晴菜。人気アイドルグループの一人の名前を出した。
「へぇ…ほんとだね、同じ名前なんて良いなぁ。」
 と、言ったのは洋子、アイドルグループ「ランドスケイプス」の長い間のファンだ。特に、リードボーカルの海良紫音(かいらしおん)に夢中だった。
 が、最近は韓国のアイドルにも揺らいでいる。
「でも、最近はディビィのソンホに目移りしてるからな…シオンに申し訳ないな」
「キャハハ。お母さんに言われても、シオンは、いや別にどうぞ、って言うだけだよ。遠慮なさらず、いくらでも他へ行って下さいって言うよ。お母さん一人減ったって、どうってことないもん」
 と、晴菜が笑って言うと、莉子も頷いた。
「だよね、ラプスのファン、300万人越えだよ?気にしなくていいよ。」
 と、笑う。
「え~でも、みんなももういい年だし、結婚したりしたら…どんどんファンも減るじゃない?そうなると可哀そうだし…え!シオンが結婚するなんてヤダ」
「するでしょ。でもだからって、お母さんがなんとかできるわけじゃないし。」
「結婚しても、シオンのファンでいれば良いじゃん…ねぇ。」
 そう言う莉子のそばに、オモチが寄ってきたので、背中をそっと撫でた。
「え~ヤダなぁ。結婚相手もたぶん、アイドルとか女優とかでしょ?許せない」
「ゆるすって何?ファンじゃないんじゃないの?本物のファンなら、シオンが幸せになるのをお祝いするでしょ」
 と、中学生の晴菜の言葉は辛辣だ。洋子は、胸に手を当てのけぞった。
「うっ、だってシオンはみんなの物でいて欲しいって言うか…いつまでもきれいな少年のままでいて欲しい…」
「んな、わけないし!芸能人だよ?やばいから裏側。お母さんは夢見がちな、夢子ちゃんだよ」
 どっちが子供だかわからないわ…。おもしろいわねぇ、今どきの子は意外とシュールね…。
 そんな3人の様子を、すみれは微笑ましく見ている。同じように、オモチとトックも、いつもはいない3人の人間を、穏やかな顔で観察している…ように見える。
「楽しいわね、いつもこんな感じで女子会を開いてるのね。三姉妹みたいねぇ」
 と、すみれは笑って、紅茶を差し出した。
「あっ、すみません、ありがとうございます。」
 洋子は、何もせず、くつろいでしまったことに慌てた。
「良いの、ゆっくりしてくれてうれしいわ。私もラプスの歌、好きよ。シオン君は上手よね」
「そうなんです!わぁ、うれしい。すみれ先生がそう言ってくれたなんて、うれしい」
「特に♪夢で会おう~またね、きっとぉ~♫…あの歌、きれいね」
 ポロン、と、何気なく歌ったすみれの声に、3人は、わぁ…と、感動する。
「きれい…。ラプスとか聞くんだ、かっこいいし、やっぱり、歌うまいね」
 と、晴菜は感心したように頷いた。
「あたりまえだよ、先生だよ?」
 間髪いれず莉子が、晴菜の危なげな言葉に慌てた様子で突っ込んだ。
「プロだもん、そのプロがうまいって言うんだから、シオンはすごいよ。ねぇ…」
 と、莉子がオモチの頭をなでると、ゆっくりと目を閉じて腕に寄り添ってきた。莉子は胸の奥が、キュン、と鳴って驚いた。
 ほんとに、キュンってするんだ…。か…わいい…。
 そっと、オモチへ腕を伸ばす…そのままギュウっと、オモチを抱きしめた。
 思った以上にフワフワで、あったかくて…。
 うわ!どうしよう…。
 莉子は密かに興奮している。と、トックも莉子の隣へやってきて、そのままゴロン、と太ももに頭を乗せ甘えた。2匹のふわふわに挟まれて、やわらかくて、あったかくて…
 なんだこれ…幸せ…。
 莉子の頬が、高揚していくのを、すみれは微笑ましく見ている。
 さすが、私たちの子だわ。と2匹を眺めてから、ねぇ、と、リビングボードに飾ってある、夫の写真を見た。
「あっ!お姉ばっかりずるい!トックおいで」
 晴菜が声をあげる。トックは頭を上げしっぽを振ったが、動きそうもない。莉子は、くすくす笑いながら「呼ばれてるよ」と、トックと顔を近づけて話した。
「トックはやんちゃだけど、甘えん坊なのよ。オモチと莉子ちゃんが仲良くしてるから、やきもち焼いたのね」
 すみれが言う。
「あら?少し、誰かに似てるかもしれないわねぇ…」
 と、首をかしげると、晴菜を見た。晴菜はぷくっと、頬を膨らませた。
「いつもそう、お姉は静かでいい子、ハルはわがままで甘えん坊って!結局、いつも嫌われる」
「あらぁ…誰が嫌いなんて言うの?」
「おばちゃんとか、おばあちゃんも、ハルは少しおかしいって!」
 と、突然、晴菜は泣き出した。
「お姉はすごいのに、ハルは馬鹿って…笑われる。変だって…」
 すみれが立ち上がる。と、同時にトックも体を起こし、すみれの様子を、じっと目で追った。そのまま、すみれは静かに晴菜を抱きしめた。

 洋子は驚いている。
 いつも明るくて元気な晴菜。家族の中でも親族の集まりでも、人を笑わせ話題の中心にいる。反対に莉子は、物静かだが、真面目過ぎて場がしらけると言われていた。姉妹なのにこんなに違うもんかねぇ、その場では、なんとなく笑って受け流していたが…。
 さっきまで、あんなに朗らかにしていたのに…。
 泣いている晴菜に何も言えない、そればかりか体が動かない。
 夫の親族には気を使ってきたつもりだ。機嫌を損なわないように、当たり障りのない対応で…。要するに他人行儀。心が安らぐ場ではなかった。子供も大きくなり、義母から自分の時間を使いなさいと言われ、最近は夫と子供だけ帰省することが多い。結局、相手も疎ましかったのだろう。薄々感じていたことで、洋子にとってもありがたい提案だった。
 夫の姉や姑、自分のいないところで?いや、いないからこそ、できたのだ。だが、嫁の自分は排除しても、孫のことは愛してくれるだろう…。そう、思って疑わなかったのに。
 まさか、そんな仕打ちを…。
「…ハルちゃんは、馬鹿じゃないでしょう?」
 晴菜を抱きしめながら、すみれが静かに話し出した。晴菜は号泣している。
「さっき、シオン君のファンなら、シオン君が幸せになるのをお祝いするでしょ、って言ったでしょ。」
 うん…晴菜は目を丸くする。なんの話だろう…。
「うん、それはね素晴らしい考え方よ。誰かのことをきちんと思える人が言えることなの。でもね、芸能人だよ裏側すごいからね、って。ちゃんと現実の世界を知ることもできる冷静さもある。わかるかな?」
 ん~?
 それがなんで素晴らしいのか…晴菜はイマイチわからない。けど、自分の言葉を聞いていても否定されなくて良かった、と思って少しほっとする。くだらないことを言うな、生意気だとか言われなくて良かった…。色々考えていると、少し嗚咽が収まってきた。
 ふと、気がつくと、トックが自分の隣に座っていた。
「トック…」
 名前を呼ぶと、彼は晴菜の肩に、そっ、と手を置いた…。
 ぷにょん、と肉球の柔らかさが肩に伝わる。少し爪が痛いけど…優しい温かさが晴菜の心を包んだ。
「トック~」
 晴菜はまた、号泣した。
「わかるって言ったでしょ。トックは、やんちゃで甘えん坊だけど、人の心がわかるのよ。すみれ先生も、今日初めてお会いしたけど、すぐわかったの。」
「何を…ですか?」
「あなたが、素敵な人だってことを。そして、莉子さんもね」
 と、莉子を見ると同じように号泣していた。隣でオモチが、優しく莉子を見つめ寄り添っている。
「莉子さんは、あなたより早く生まれて、何年か先に勉強しているの。あなたより物知りになるのは当たり前でしょう?それを比べて、あなたを馬鹿にするのは意味のないことよ。」
「…でも、お姉はもっとできた、とか、そんなわがまま言わなかったって…」
「言わなかったじゃなくて、言えなかったの、ね?」
 莉子は泣きながら、うんうん、と大きく頷いた。洋子は、ようやく動いて、長女の背中を、遠慮がちにさすった。
「お姉ちゃんだから、我慢しなさいって言われてきたのかな?お母さんの手伝いをするのが当然だとか、妹はふざけてもみんなは笑うのに…自分は、そういうことを言うと怒られるって思ってるのね?」
 莉子の太ももに、とん、と、オモチが手を乗せた。優しい重さは、莉子の心を支えた。
「良い子になろう、なんて思わなくて良いのよ。」
 すみれは言う。
「イヤなことはイヤって言っていい、怒る時は怒って良い、それの何がわがままなの?当然のことよ。自分の気持ちを言ってるだけ。当たり前のことよ」
 莉子は、すみれの顔を初めてまっすぐに見た。正直に言うと、目を合わせるのが怖かった。何故か、自分の心を見透かされてしまうような気がしていたから。真っ先に、犬たちと抱き合いたかった。でも、妹がいるから…自分が先にはしゃぐのは、みっともないだろうし…。
 お姉ちゃんだから…。
「泣きたいときは泣いて良い、本当は同じように楽しみたいのよね。誰かの言葉に縛られなくていい。やりたいことがあるなら、言いなさい。」
 はっ、と莉子は目を開いた。すみれの顔は穏やかで、晴菜を抱えたまま、自分をじっと見ていた。クゥン…オモチが鳴いて、頭を莉子の顔になでつける。
「あ…、あの…」
「どうしたの?先生が言いなさいって言ってるよ?何かあるの?ちゃんと言わないと」
 洋子が言った。
 ずっとそうだった。莉子さんは大人しくて、真面目で、一人で絵を描いたり、本を読んだり。でも、お友達が出来ないんじゃないかと思って心配しています。 小学校の担任の言葉だ。何か言われても、怒って喧嘩したりしない優しい子ですが、いじめの対象になったり、仲間外れにされてしまうかもしれません。みんなと仲良くできると良いですね…。
 母のことが頭に浮かんだ。母もそうだ、優しすぎて何も言わない。だから…あんなことに。
 そう思ったら不安だった。この子を守らなければ、本人は行きたがらなかったが、いろんな習い事をさせた。自信を付けてあげたかった。生きる上で必要な何かを教えてあげてきたつもりだ。挨拶をして、社会のマナーを学び、勉強もできるように、品行方正に…。
 心配だから、莉子に傷ついて欲しくないから…。それだけだった。
 晴菜が生まれた時も言った。
「これからはお姉ちゃん、しっかりしないとね。妹の面倒をよく見て、優しくしてね。」
 莉子は、一瞬真顔になったが、うん、はっきりと笑顔で返事をした…。
 普通…のことを、普通にして欲しかっただけで…。人に優しくすること、妹の面倒を見ること、友達がいること、いじめられないように、仲間外れにされないように…。

 普通、で…。

 私は、莉子の何を見てきたのだろうか…。
「洋子さん、莉子ちゃんは言えるから、大丈夫」
 すみれが言った。
「莉子ちゃんの気持ちは、彼女の言葉でしかないのよ。待ってあげて」
 ああ…
 洋子は今までの自分を猛省する。自分に起きた出来事を、子供に起こしてはいけない、子供が傷つかないように、その一心で、何もかも先回りをして手を出してしまった。特に莉子は最初の子で、仲間外れにされないように、いじめられないように、友達ができるように、良い子でいようね、優しくしようね、しっかりしないとね…。
 それは、いつの間にか莉子を縛り付けてしまったのではないだろうか…。
「よし…ハルちゃん、莉子ちゃんに飲み物持ってこようか?」
 うん!
 腕の中で泣いていた晴菜は、大きく頷いた。いつもと様子が違う莉子を心配している。 
 あんな風に、大泣きするんだなぁ…。勝手に強い人だと思っていたんだけど。
 パタパタとキッチンへ向かうと、トックがうれしそうに、その後に続いた。
「サイダーもらっていいですかぁ?」
 はっきりした声で、元気良くすみれに聞いた。
「もちろん。コップを4つ持ってきてね。あ、あとワンちゃんたちのお水もね」
 その言葉を聞いて、オモチもしっぽを振る。莉子の心が、ふわ、っと軽くなった。何故だかわからないけど…。
 今なら話せる…そう思った。
「トック!待って、まだだよ。」
 犬用のウォーターサーバーに晴菜が水を入れた。待ちきれないトックが晴菜にじゃれている。オモチがしっぽを振りながら、ゆっくりと二人のところへ歩き出した。
「…ぷはぁ、まあ、久しぶりに飲んだわね。」すみれがサイダーを一口飲んで言った。
「酔っぱらいそうだわ」
「あはは、お酒じゃないよ。でも、大丈夫?のど痛くならない?」
 晴菜が心配そうに聞いた。晴菜の中で、炭酸飲料は若い人が飲むものだ。すみれのような人が飲んで大丈夫だろうか…。むせたりしないだろうか。
 あれ?と、首をかしげた。
 私、今、笑ってた…。

「…ありがとうございます」
 莉子が、小さな声で言った。ごくりと、サイダーを飲む。
「うん、泣いた後のサイダー、すっきりしそうね。」
 コップの中で、炭酸がシュワシュワっと音を立てた。犬たちは仲良く水を飲み、二人でじゃれながら部屋を移動して言った。もう、役目は終わったかのように…。
「…何から、言えば良いかな」
 ふう、と、サイダーを飲んだ後、莉子は息を吐いて言った。
「何か言おうとすると、涙が出る…。気持ちが先走るって言うか…感情的になっちゃってうまく言えない…いつも…」
 うんうん…すみれが隣に座り、背中をさすった。洋子に場所を変わってと言って、洋子は莉子と向かい合わせになった。
「そう…抑えてた気持ちを吐き出すことになるからね。自分の中では納得しているつもりだったけど、実は…本当は…そういう感情がどこかにあった。本当の自分の気持ちを見ようとしなかったね」
「自分で考えて…してきた。友達に嫌なことをされたり言われても、何か言い返すと、莉子がそんなこと言う人だって知らなかった、性格悪いじゃん、良い子ぶってるだけじゃん…て言われる。だから…良いよ、大丈夫だよって笑ってきた。」
「うん…勝手なこと言う人はいるのよ。自分がしたことを棚に上げて、相手を悪くする人。莉子ちゃんは、そういう人の空気に敏感なのね…。相手には気づくけど、自分のことには疎いのよね…」
「疎いって何?」
 晴菜が口を挟んだ。
「お姉は怒らないんじゃないよ、怒るけど言わないだけじゃん。怒ると口きかなくなる。だから、ハルはわかるよ、お姉、今怒ってるなって。特におばあちゃんといる時、やばいよ」
「ハル…みたいになりたかった。思ったこと、すぐ言えるし、何故かみんなも怒らないで笑う…。おばあ…ちゃんも、ハルは三田寺の子、明るくて元気でって、莉子は洋子さんに似てるからって…差別する!いつも!」
「馬鹿ねぇ…あら、ごめんなさい。でも、きっと私と同じ年くらいでしょう?どうして若い人にそういうことを言うのかしら…。あなたたちのパパ、きっと溺愛されてきたのでしょうね。洋子さん、そんな人たちに気を使わなくて良いのよ」
 はっ、と洋子は目を開いた。莉子との話だったのに…何故、自分が呼ばれたのか。でも、なんだかスッキリした自分もいる。すみれって…やっぱりすごい。
「結婚ってね、本人同士の問題なのに、家、という物がついてくるのよ。相手の両親、兄弟、親戚…しがらみが多くて、面倒くさい。若い人が結婚しなくなったのも、そういう物に原因があるかもね。」
「結婚…?お姉、結婚するの?」晴菜がまた入る。
「もしかして…それを言うの?」
 と、目を丸くした。
「ハルちゃん、お話は最後まで聞きましょう。」
 と、すみれが笑う。
「でも、いつかそんなお話もするわね、莉子ちゃんとハルちゃんが結婚するまで、私、生きていないとね」
「…おばあちゃんも言う。結婚するのは早い方が良い、高校を出たら働いた方が良いって、大学なんか女が行ったってしょうがない…どうせ、結婚して子供作るんだからって!」
 莉子は、わぁ、と顔を覆って泣き出した。
「早く結婚して、おばあちゃんとお父さんに孫を見せて、女に生まれたんだから、それぐらいしか能がないんだし。って」
 なんて馬鹿なのだろう…。
 すみれの顔が沈んた。
 穏やかに話を聞いて、莉子の気持ちをほぐしたかった。でも、まだそんな時代錯誤な年寄りがいるのだろうか、長く生きてきたくせに、一体、何を学んできたのか…。
 莉子の気持ちを考えるほど、眉間にしわが寄る。
「男だったら良かったのに、…洋子が、お母さんが下手だからって、産むのが下手。二人も女の子しか産まなかったって」

 そんなことを…。
 洋子は衝撃だ。夫の実家は、愛知県の田舎だ。親戚が多く、近所の付き合いも盛んな土地で、子供たちが帰ってくると、誰だかわからないほど人がいた、と言っていた。
 その場にいない自分の悪口を言うだけならまだしも、娘たちはひどいことを言われ、結局、彼女たちを傷つけてしまっていたのに…。
 自分は何をしてきたのだろう。
「みんなで笑うんだよ。変なおじさんたちが酔っぱらって。お母さんのこと知らない人たちも、私もハルも嫌な気分なのに…父親まで笑ってる!」
 そういうことか…。
 すみれは妙に納得した。これは、なかなか手ごわそうね…。と。
「ごめんね…」
 洋子も泣き出した。
「そんなこと言われてるなんて知らなくて…お父さんいるから安心してたのに。ごめん、私が馬鹿だった」
「お父さんが一番悪い!すみませんね、俺が失敗したんですよ~って笑ってる。失敗?何が?私たちが?」
 莉子は、泣きながら自分の胸のあたりを両手で指した。
 すみれたちは、そんな莉子の様子をじっと見守った。晴菜も大人しくなる。
「なんでそんなこと言うのって言ったら、子供は黙ってろって!空気が悪くなるだろって。我慢しろ、女なんだから、大人しくしてろだって!」
 莉子は、一度吐き出した感情が、後からあふれてきて止まらなかった。
 出して良い、すみれが聞いてくれる。怒ること、自分の気持ちを言うこと、それの何が悪いの?…でも、みんなが驚いてる、母親も泣いてしまった。傷つけてしまった…。

 私のせいで。
 莉子は一瞬黙り込み、口を真横に閉じ、唇を噛むようにした。
 いつも、そうしてきたのだろうか…。すみれは、莉子を背中をさすっていた手を止め、トン、トン、と優しく叩き続けた。
 小さい時、寝るまで母親がやってくれていたリズム…。トン、トン、トン…。
 その小さな振動は、莉子のこわばった背中を少しずつほぐしていく…。
 ふぅ~と、もう一度息を吐いた。
 大丈夫、大丈夫…。
 すみれが、そう言ってくれているような気がした。そうだ、今なら言える、言っても大丈夫。ここは安心で、安全だ。親族も父親もいない。
 蔑むような顔で見る叔母や、ニヤついている叔父も…。あんな奴ら…。
 やっぱり…父親も許せない。良い子でいろ?優しくしろ?女だから何?子供だから何?お前はなんだよ!ああ、うるせぇんだよ、くそおやじ!
「意味がないんだって!女なんか意味がないって!家を出るし、三田寺がいなくなるって!男に生まれれば良かったね。」
「親戚の男の子、めちゃくちゃお小遣いもらってる、おばあちゃん、わざと目の前で見せるんだよ、あんたは男だからって、お年玉ハルの倍!小学生のくせに。でも、みんなには言っちゃダメって口止めされる。」
「まあ…。」
 すみれは口に手を当てて、眉根を寄せた。
「本当に…ひどいわねぇ。その家に今から乗り込んで、ひっぱたいてやりたいわ。こんなに素晴らしい莉子ちゃんとハルちゃんを傷つけるなんてね。同じ女として、許せないわ」
 両手に拳を作って、莉子と晴菜に怒ったような顔を見せる。
「…そうじゃん、おばあちゃんも女じゃん。今度言ってやろう、じゃあ、おばあちゃんなんで生きてるの?って。女じゃん?あ、女じゃなくなったのかって!」
 晴菜が手を叩いた。
「良いね…。三田寺なんか継ぐ気もないわ、知るか!大した家じゃないくせに。だって、おばあちゃんだって嫁じゃん?意味なくね?あんな家に意味なんかある?バッカみたい」
 莉子が毒づいて、晴菜は目を丸くする。お姉…。
 と、莉子を見ると、同じように晴菜を見ていて目が合った…。
 あっはっは…。
 二人が、大笑いしたので洋子は驚いた。見れば、二人で泣きながら笑っている。その声を聞いたのか、2匹の犬たちがリビングへ走ってきて、彼女たちにまとわりついた。
「トック!わかったよ、ハルがここに来た意味!」
「うん!私もわかったよ。自分の生きてる意味!」
 莉子は腕の中にいるオモチをギュウっと抱きしめた。
「思いっきり、笑うことだ」

 何日か後、洋子から連絡が来た。マキヨとあんずと一緒に行って良いか、と。
 あの後、二人の娘たちはサイダーを飲みながら、始終、笑ったり泣いたり、時に怒ってみたり…感情が全部出た、と言って、また笑いあっていた。
毎週、土日のどちらかと、祝日は散歩に来ると言ったあと、やっぱり二人じゃなくても、洋子と、時には友達も連れて平日も来ても良い?と言いながら、にこやかに帰って行き、本当に毎日のように遊びに来ている。
 父親の実家には行かない。莉子が言うと父親は激怒した、が、今までの言動を姉妹に突き付けられ、洋子も参戦し、ぐうの音も出なくなったらしい。義理の母親にも伝わり、菓子折りや、お小遣いなどといっては荷物が届くが、二人は頑としていらないと断った。父親は泣きながら「許してくれ」と言ったのだと…。
 莉子は、大学に行くつもりだった。外語を学びたいからだ。韓国のアイドルを先に好きになったのは莉子。洋子はそれに影響されているのだという。アイドルが話している言葉を聞き取りたい、話してみたい。そこから、韓国と言う国の文化や歴史に興味を持ち始め、できたら留学…。
 だが、その夢を語った瞬間、父親の親族たちに笑われたのだという。女のくせに、留学なんて偉そうに、韓国?なんでそんな国のことを…、その先に仕事になるのか、くだらないアイドルの追っかけしたいだけだ、女のくせに贅沢だ…。
 父親も言った。
「金かかるだけじゃん。どうせ嫁に行くんだしさ…。そんなことしてどうすんの?」
 大勢の大人に否定され、父親にまで突き放された莉子の気持ちを思うと、胸が痛む。洋子も過去に傷を負っていて、汲み取る力が強い莉子は、母親に心配をかけたくなかった。一人で抱え込んでいたようだ…。洋子も深く反省していた。
 ここまで彼女たちの心を傷つけてしまったのだ、修復には相当な時間がかかるだろう。
 親族とは、血の繋がりのある一族だ。そこには、強い絆もあり、結束力もあるのかもしれない。そうであるべきだが、中にはその意味を履き違えている人もいて。親族だからと言って、何を言っても、何をしても許される、というわけではない。
 大人が子供のことを馬鹿にして傷つけたり、男女の差別をするなど、親戚だからという前に、人としてしてはダメなことだと、知らないのだろうか?
 
 森の中では、植物が育つために必要な陽の光が、大樹によって遮られてしまうのに、森が循環しているのは何故か。ある環境団体のドキュメンタリーでは、大樹が陽の光を吸収し、根幹を通じて小さい者たちに、自分の取るべき栄養を分け与えているらしい。土の中でネットワークを組み、大きな木たちは、少しずつ、次の世代へ命を繋いていく。やがて、自らは朽ち、若木が大樹へと育つのを見送るのだ、と。
「大人がきちんと子供を守ってるのよ」
環境団体の女性が、さらりと言った。

 その通りだ。
 すみれは思う。それが、当たり前のことなのではないのか?
 血の繋がりがあろうと無かろうと、知らない子であろうと、大人が子供を育てるのは義務だ。
 大人は、子供よりも長く生きている分、様々な情報や知識を身に着けている。そんなことは当たり前で、逆に、そうじゃなければ困る。
 だからこそ、子供に寄り添わなければいけない。すみれが子供たちに接するときに、思っていることだ。
 時にそれを、偉そうに言い出す大人がいる。上から目線で、教えてやろう、そんなことも知らないのか…自分が偉くなったつもりの大人だ。一体、今まで何を学んできたのか、すみれは呆れてしまう。無駄に年を取っただけでは、意味がないのに…。
 大人は偉いわけではない。そもそも偉い、とはなんだ?
 男だから、女のくせに、まあ、ほんとに器の小さな人間ね。大人ぶって語らないで欲しいわ。お利口じゃないわね〜。

 あら、ごめんなさい。

 時間が経ち、後で指摘されると、酒の席の冗談だ、と、少しからかっただけなのに、本気にして目くじら立てて、そんな可愛げのない女はモテないぞ〜なんて、勝ち誇ったように薄ら笑いを浮かべる男どもを、どれほど見てきたことか。

 まったく、くだらないわね。

 挙句の果てには、そんなことまだ覚えてるの?しつこいね、大したことじゃないのに、もう終わったことじゃん、忘れなよ…。とか言って逃げるのよね。
 センスの欠片もない、つまらない人たち。時代が止まってるのかしらね、クソジジイ…あら、ババアもいるからそれは違うわね。まあ、それよりクソなんてねぇ、ごめんなさい。きれいな言葉をつかいましょ…
 と、写真の中の夫を見ながら、胸の前で両手を合わせた。

 莉子は、来るたびに韓国について話を聞いてきた。その顔は晴れ晴れとして輝き、希望に満ちていて…。
 晴菜は、少し落ち着いて、2匹の犬たちと穏やかに過ごしていることが多かった。人の心を癒す犬たちがいるらしい、ネットで見た、と、ある時すみれに伝えてくれた。将来、動物に関わることをしてみたいと。
「あの子たちは大丈夫ね、素晴らしい人になるわよ、ねぇ…」
 と、すみれはオモチとトックに話しかける。2匹のラブラドールは、しっぽを振って主人に同意し、すみれは、写真の夫と穏やかに、笑いあった。


  「翡翠色(ひすいいろ)」に続く

※お暇なら読んでね話

親戚の集まりが多い環境で育ちました。
生意気で可愛げのない子、母親と叔母、従兄弟たちに馬鹿にされていました。
それは、40年近く続き…。
この物語を書くきっかけとなりました。
 今、周りの大人のことで傷ついている人がいたら伝えたい。
 大丈夫。必ず未来に、びっくりするような奇跡が起こるからね。しょうもないことを言う人なんか、気にしなくて良いよ、と。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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