久方振りのご挨拶+思考メモ

お久し振りです。
三日坊主を自称するも3日間続けられなかった麸と申します。
箸にも棒にもかからない言葉でも投稿しようかな、そういえばnoteやってたな、と思い立ち戻って参りました。
とりとめのない思考のメモですが。


消費されていく儚い存在について

人面魚のような 外見と内面の違和

人を惹きつける為の端正な顔立ちに人々は狂わされ、そうして虜になった人々にすべて喰らい尽くされる。
そうやって消費される存在に儚げな美しさを感じる。
水面の泡立ちが如く刹那的な美しさである。
それは性的に消費される。
それは享楽として消費される。
それは安息を求める者に消費される。
それは。

からっぽだ。
多分、中身なんてない。
中身を楽しむものではないのだ。
既に み は誰かに食べられた後のようで、残された殻をしゃぶり尽くすしかないだろう。
味がしなくなるまで。
頬張って咀嚼することの叶わない み を想像しながら。
自分に都合の良い み を思い描きながら。

私は消費されていく儚い存在が自らの意思で消費される道を選んでいるのだと信じている。
内面なんて存在しない彼らにも感情が巡ることを期待している。
抜け殻同然の彼らへ思考することを強要している。
自由は不自由を感じ、嘆く何者かの存在によって生まれる。
不自由を感じるための自我は何処にあるのか。
不自由を嘆くための声帯は何処にあるのか。
無いならば、私が嘆こう。
君の感情、自我、選択、意志を信じる私が。
からっぽな彼らに自由を、と。

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