見出し画像

【散文】手鏡

あなたは六畳間から奥行きのない世界を覗いている。
あなたの意思によって明滅を繰り返し、時に反転したあなた自身の姿を見せる世界を。
視線の先のガラス面は、霧雨に見舞われたあなたの心をじっとりと写す鏡である。
否、あなたの心こそ世相に弄ばれる写し鏡なのだろう。
多くの不要な情報に急かされながら滑稽な振り付けを踊っている。

あなたは背中に、窓枠の両端へ縮こまったカーテンの視線を感じた。
それは慈愛に満ちた眼差しを向ける。
ある時は陽の光とも呼ばれるものだ。
しかしあなたは日差しを背にして手鏡に夢中である。
姿勢を変えず、手鏡越しに窓外を眺め続けていた。

やがて鏡のその先、窓の向こうに太陽の祝福をめいっぱいに受ける子供たちを見るだろう。
お前が、いいやお前が、と甲高い声で罵り合う二人の少年。
おぞましいものに出会ったと言わんばかりに悲鳴を上げる少女。
ばたばたと強く地面を蹴るいくつかの足音。
何事かと、あなたは耳栓を引き抜いた。

鳥のさえずりが聴こえた。
二人の少年は興奮して語気が強くなっていたようで、それは喧嘩などではなく無邪気に遊ぶ声音であった。
少女の悲鳴は声にならない程の笑い声だったようで、彼女も穏やかな声音で会話へ加わっていた。
子供たちの足音は軽快で、右へ左へ走り回っては飛び跳ねていた。
それ以外は、静かだった。

静寂はあなたを写し出す。
こんなにも静かな場所に居るのに、反転していないあなた自身の内側だけがやけに煩かった。
あなたの内側を反響して止まなかった声が、一つずつ風になっていく。
徐々にあなたと世界の輪郭は溶け合う。
あなたの心にかかった雨雲の切れ間が陽だまりを落とすかもしれない。
滑稽に思えたあなただけの振り付けが、どこか愛らしく思えるかもしれない。
鏡の中の虚像たちは反転したあなたを意に介すこともなく伸びやかに踊り続けている。
あなたは手鏡を手放し、振り返った。

そこには確かに窓があった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?