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納棺師になろうと思ったわけ

人を支えたいけれど、すでに幸せな人をお手伝いしたくない。

今思うと嫌なやつです。
けれど、幸せな人をお手伝いできるという人は、その人たちと同じかそれ以上に幸せな人間じゃないと無理な気がしていました。同程度の幸せを持ち合わせていないと彼らの幸せに水を差してしまいそうで、近づいてはいけないような、そんな感じです。

幸せな人間とは

私が思う幸せな人間というのは、いつもニコニコしていたり、誰からも好かれるオーラを持っていたり、美味しいものを食べて「あー幸せ♡」と言う事ができる人です。

ちょうど友達の納棺師がこんな感じの人で、美味しいビールを飲んだ時に「あー幸せ♡」と言っていたのには驚きました。
そんな簡単に幸せって言う人初めてですよと、つい言ってしまったくらいです。私の見立てではきっとこの人はブライダル方面でも活躍するはずです。
なぜ納棺師をしているのだろうか…。

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プラスにできなくてもゼロへ

さて、大学の就職活動で人を支える仕事をしたいと思っていた私ですが、結婚式のお手伝いは自分が向いてないようなので困ってしまいました。

どうしようか考えた末に、私にはきっと逆のことが向いているから逆のことをしようと思い至りました。無理して幸せな方のお手伝いをするのではなくて(それはもっと適した人がいるはずなので)、大切な誰かを亡くしていつものような気持ちでいられない、そんな人を支える仕事をしよう。

いつもの心がプラスの位置にあるとすれば、誰かを亡くして悲しい時はマイナス。
それをプラスにはできなくても、せめてゼロに近づけることができれば、それが私のすべきことだろうと思いました。そしてそれは私に向いているような気がしたのです。

葬儀社に落ちる

その後、葬儀社に面接を受けに行って軒並み落ちたのですが、縁があって納棺師になる事ができました。私は、総合プロデュース的な葬儀屋さんよりも職人的な納棺師の方が自分に合っていると感じているので、あのとき葬儀屋さんに就職していたら、きっと別の人生を送っていたと思います。


あれから17年。今も納棺師としてご葬家様を支えているのですが、実際は、逆に故人様に励まされたことの方が多かったです。幽霊が出てきて応援してくれたとかそういう霊的なことではないのですが、同じように考える納棺師は多いんじゃないかなと思います。
この話についてはまた今度。
それでは。

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