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「最後」



あなたの姿を見つけると、息が止まります。
あなたに見つめ返されると、僕の瞳は震えます。
あなたに声をかけられると、耳から溶けた脳味噌が出てきてしまいそう。
あなたに触れてもらうと、感触がいつまでも消えないように。
あなたに与えてもらうすべてが、僕に一生残って消えないように。

僕はもう若くない。
趣味だったSMも、今ではすっかり。

毎日仕事と家の往復。
それでも平凡な幸せがあった。
これが普通。
僕の人生はこのまま平凡に終わる。
嘆きなどではなく、もっとフラット。
僕の生きるこの世は、
地獄と呼ぶほど悲鳴をあげることはなく、
極楽と呼ぶほど浸る事もない。
色のない世界を、すこしだけ浮いた状態でフラフラと。
生きるべき現実とはそんなものだ、そう思っていた。

しかし、それは突然現れた。
隕石のように落ちてきて、僕に大きな穴を開けた。
完結していた僕だけの世界に、懐かしい外の匂い。
めり込んできた美しい女性。
もう二度とないと思っていた。
こんな想いになるなんて。

神様、こんな歳になってからはないでしょう。
だからこそ試練?
いいさ、それならば。
拒否することはない、そもそも僕に選択肢なんてないのだから。
試練を与える…あなたがサドなら、僕はマゾ。
試練を喰らい、息をする。
始まりの予感。
彼女を前にし、心は恐怖で震えた。

のめり込むことはわかっていた。
僕は渇いていた。
求めてしまう辛さを殺し、渇きに慣らした。
ここにきて、僕は自分の渇きと向き合うことになってしまった。
この地にまた雨がふるなんて想像してもいなかった。
いくらでも飲み込んでしまう。
これは歳のせいなのだろうか。
いくらでも許容できる。
与えられるすべてを、もっと。

僕は彼女の前で紳士でいたい。
大人の余裕を持ち、彼女に負担をかけないよう細心の注意を払う。

でも本当のところなんて、若い時と何も変わらない。
髪を優しく撫でてくれる白い手に擦り寄りたい。
抱きしめる強さで、愛の強さを伝えたい。
感じるままに、言葉にしたい。
離れたくない。

“あなたって普段はすごく紳士的よね”

そんな風に言うから、僕は間違わないでいられるよ。

普段のあなたは可愛くて、とても無邪気だ。
若く、エネルギー溢れる魅力で振り回されたい。
僕は静かにあなたを見守る。

密室でのあなたは、とても妖艶で、あなたどころか自分の年齢さえもわからなくなってしまう。
あなたが与えてくれるすべてが、僕にとってはカウントダウンのように刻み込まれていく。

違う、これは悲しい話じゃない。
僕は嬉しい、あなたに感謝してるんだ。

だってあなたには素敵な彼氏がいるでしょう。
偶然見てしまった。
車から降りてきた男性へ無邪気に抱きつくあなたを。
その指輪のデザインは、ペアリング。
あなたを抱きしめた手に見慣れた輝き。

僕は大人だから。
決着をつけない方法を知っている。
愛し方も、諦め方も。
これは悲観なんかじゃない。
僕なりの、ゆるやかな幸福なんだ。
大丈夫。

僕から連絡はしない。
あなたの気分が乗った時でいい。
僕の答えはいつでも「はい」だ。

気づいたら三ヶ月経っていた。
思い出す時はもちろんあった。
ずっと思考に薄い膜を張るような。
だからといって、僕は普通に過ごせる。

通知画面に表示されたあなたの名前。
自分でも驚くぐらい平常心。
タップして開いた画面に映し出された言葉。

「お前からフェードアウトなんて、許さないよ」

ポケットに入れたまま、手を握りしめる。
心から震えが伝わり、足が覚束ない。
こういう時、大人ってのはどうしようもないな。
こんなに昂る気持ちを素直に表す術を忘れた。

あなたが今の僕にとってどれだけ大きな存在か。
あなたが今の僕に、どれだけの輝きを与えてくれるのか。

「ありがとうございます」

これが僕の最後の主従。
最後の恋。

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