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【ショートストーリー】忘れ物はしていいの

 パッキングは1週間前から始めると決めている。
 前日でいいんじゃない、とは同居人のセオリーらしいが、どちらかといえば猫派、ラーメンは絶対に豚骨、時計はデジタル表示と趣味嗜好がマッチする私でも、こればかりは賛同しかねる。
 パッキングは早すぎても、ぎりぎりでも「うまくいかない」のだ。

 たとえば二年前の観劇の旅は、チケットの抽選にやっと当選して何ヶ月も前から楽しみにしていたので、一ヶ月前には小さめのキャリーケースに二泊三日分の着替えやら化粧品やら応援グッズも詰めこんで、玄関先に置いていた。
 けれど、出発の朝、コンタクトレンズ、ハンカチ、靴下、リップブラシを入れ忘れるという失態をおかしている。
 コンタクト以外はどれも現地で買ってすんだけれど、せっかくの旅行のお小遣いが日用品に消えた。その分、計画していたグッズが買えなくなるという悲劇的な事態に陥った。
 そんなことがほかにも続いて、以来、1週間前にキャリーバッグを広げて、出発する日に詰めるもののスペースを空けておき、スマホのリマインダーを設定することにしている。

「今度はどこに行くの?」

 同居人が興味なさそうに聞いてきた。リビングのテレビでは彼のご贔屓の芸人がジャージ姿で地べたに転がっている。
  私が行き先を言うと、ふーん、とソファーに寝そべり、柿の種をボリボリかじり、話のつづきを催促するように私を見あげたので、続けた。

「ユラちゃんとパワースポット巡りをするの。運気アップするかなぁと思って」
「ふうん。運気アップしたいんだ」
 同居人も私とおなじ乙女座なので、だから波長も合うし、気もつかわずに居られるのがいいのだ。
「そう。今月も契約取れなかったし、ダイヤのピアスの片方なくしちゃったし、ここにニキビできてるし」

 ピーナッツがないかと皿をかき回している同居人に、ほら、ともうずいぶんよくなってきた吹き出物のある左の頬を向けてみるが、同居人は今度は指を反時計回りに動かしはじめている。
 話を続けようとしたものの、同居人があっ、と声を上げて、見つけた一個を指でつまんでからようやく私の頬に視線をうつした。しかしすぐにピーナッツにうつっている。

「それよりさ、忘れ物しないようにってお願いしたらどう」
「え?」

 頬を見せたらなんだか吹き出物が気になってきてしまい、鏡を探しに立とうとしたところだった。

「どうして?」
 同居人はそれには答えず、リモコンを取るとテレビの電源をおとした。

「あのさあ、鍵、つくるの何本目だっけ」

「ニ、三本目だっけ」
 寝室にしている和室の押し入れから手鏡を出して顔を覗き込む。まだ少し赤いが、マスクで隠れる大きさで安堵する。
 なくしても、鍵は十分もあればすぐにスペアキーを作ってくれる。でも、韓国ドラマみたいに暗証番号で解錠できればいいのにと私はいつも思っている。

 同居人は隣の部屋で声を大きくした。

「だよね。スマホは今年になってからいくつ買った?」
「んー、二個かな」
 常に新しい機種を試せる。
「傘なんて何本あるんだよ。1か月雨でも問題なさそうなぐらい?」
「でも10本もないよ」
 
「忘れ物、いい加減やめない?」
 呆れ果てたように吐き捨てられる。
 
 私だって少しは、やめたいと思っている。
けれど、どうしたって、なにを試してみたって忘れてしまうのだ。

「がんばってみる。今度こそ気をつける。それに、ユラちゃんと忘れ物しませんようにって、しっかり祈ってくる」

 だけど、同居人だって忘れている。
私のこの誓いの言葉が五回目だということを。

(end)

 




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