見出し画像

毒親育ちの私の思想。


   私は毒親育ちだ。これを書いている今も、現在進行形で毒親の元で育っている。

   子を持つ親からしたら「毒親」なんてワードはとてつもない嫌悪を抱いていると思う。

   親は親なりに愛情を注いでいたのかもしれない。だけど、その愛情は時に歪で、正しくないことだってある。

   普通の親は子供の部屋を、ゴミ箱まで漁るか?
   普通の親は子供の検索履歴まで見るか?
   普通の親は子供のTwitterアカウントを特定しフォローするか?

   私は見ての通り、「普通」に憧れている。親も、私も普通じゃないからだ。

   そんな元で生まれた私は、自分のことが嫌いだ。世界で1番嫌いだ。他にも嫌いな人はもちろんいる。高校で私をいじめた人、私を犯人に仕立てあげた人、言い出したらキリがない。だけど、その人たち以上に私は自分のことが嫌いである。

   蛙の子は蛙。蛙からオタマジャクシは生まれない。
   私も所詮蛙でしかないのだ。蛙は蛙を産む。蛙から生まれた私は、もし子供を産んだらその子も蛙なのである。
   だから私は子供を産みたくないだ。蛙を1人増やすことでしかないから。

   親もちろん蛙である。私の場合、母が蛙である。そして、その母という蛙の親も蛙である。母の場合、蛙は父だった。私から見れば祖父である。
   国家公務員として定年まで働いていた祖父はThe昭和という考えであった。
母はなにかあるごとに祖父のせいだと責めたてていた。
   私はこれを見て蛙の子は蛙だということを幼ながらに理解したのだ。
子供を産むということはただの負の連鎖でしかないのだと。この連鎖はどこかで断ち切らなければならないのだと。ならば、恋人もいない、まともな恋愛もしたことが無い、結婚願望もない私が断ち切らなければ、と。
   これは一時的な感情から来るものではなく、冷静に考えた結果である。

   よくSNSで見る投稿。
「子供は親の性欲で産まれただけ」。
「ここまで育ててあげた?当たり前だろ、自分らが勝手に作ったんだから」。
   申し訳ないが、私はこの言葉に深く強く共感した。
   毒親育ちの人がよく言う言葉。
「産まれたくて産まれた訳じゃない。」
   これは毒親育ちの人じゃなくても納得は出来ると思う。
   いつ私たちは産まれたいと思ったか?最初から思っていない。私は産まれて良かったなんて思ったことは数えたら片手でも余るくらい少ない。私が産まれて良かったと心から思った時はずっと大好きなアーティストのLIVEに行けた時くらいだ。親に対して「産んでくれてありがとう」と思ったことは一度もない。
   言うなら、「よくも私を産んでくれたな」だ。

   大学の授業でこう言われた。
「これからの時代は人生110年時代だ」と。病気もなく110歳まで生きるとすると、私は現在19歳なので残り91年。
   続けて先生は言った。
「これを聞いて「まだ90年も生きれる」、「まだ90年も生きなきゃいけないんだ」、どっちに思いましたか?」。
   私は圧倒的に後者だ。今まで辛かったのに、この辛さがまだ90年も続くとなると地獄としかないのだ。

   きっと、家族仲が良い家庭で育った人には理解出来ないことだと十分理解している。これもただの私の独り言だと、同じ世界に生きるただの1人の考えだと、そう聞き流してくれていい。



   どうか、私のような人間がこれ以上生まれないようにと、世界の片隅で祈っている。