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ハンターハンターを観て考えた「家族」と「居場所」

ハンターハンターを読んだことはありますか?子どもの話だし、どうせ明るい単純な話なんだろ、と思ってましたが、深かったです。とても。

きっかけはオリラジのあっちゃんのYouTubeで紹介されていたからで、何の気なしにアニメを観たら、ばちぼこにハマりました。

私はアニメや漫画をみると、寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまうタイプです。

そんな私が常に考えてしまうのは、主人公である12歳の「ゴン」が、父を探す旅の途中で出会う同い年の少年、「キルア」との関係性です。

「家族とは何なのか」「居場所とは何なのか」、社会の構造についてまで、考えてしまいました。ヤバ。


■ゴンについて

ゴンは、父親ではなく、父親の親戚であるミトさんに育てられました。父親は、「ハンター」という難関の職についており、ゴンをミトさんに預けっぱなしにしてまで、ハンターを続けているのです。

ゴンは赤ん坊のころに預けられたので、父親の記憶はありません。そんなゴンは父親を恨まず、自分より優先するほどの、「ハンター」という仕事はどんな仕事なのか気になる、まっすぐな少年です。

そして「父親が夢中になったハンターの仕事を知りたい」その思いで、難関のハンター試験に挑みます。その試験で出会うのが、「キルア」です。


■キルアについて

キルアは、殺し屋一家の三男ですが、兄を差し置いて才能があり、父からめちゃくちゃ期待されて、母からめちゃくちゃ過保護にされています。

そんな環境に嫌気がさしたキルアは、二番目の兄と母を刺して、家出します。(母はキルアが立派な殺し屋に育ったと喜びます)(なにそれ)

家出先で出会ったのがハンター試験で、ついでに参加をするのです。

そこで、生まれて初めての友達が出来ます。それがゴンです。

今まで家に閉じ込められ、殺し屋としてしか育ってないので、友達と笑いあうことがこんなに楽しいのかと気付きます。

それなのに、しっかり殺し屋として育った一番上の兄が、ハンター試験に潜入していたのです。このお兄ちゃんも過保護で・・・

キルアに友達なんかいらないし、出来るわけないじゃん、人殺すしかできないのに。と、脳内に矯正の針まで刺して(こわ)、キルアを洗脳して家に帰してしまうのです。

キルアは絶望しながらも、ゴンと一緒に遊べて楽しかった、と思いながら、家で罰の拷問を受けます(こわ)。そこへゴンが助けにきて、「俺らは誰が何と言おうと友達だ!」と、また二人の旅が始まるんですね~。


■ふたりの旅

ゴンの父親捜しを、キルアも一緒に手伝うかたちで、ふたりの旅は始まります。

キルアに目的はないんです。ゴンと一緒に居たいだけなんです。

なんならゴンも、ゆーて田舎生まれなので同世代の友達はおらず、初めての友達なんです。そんな自慢の友達を、父親に自慢したい!という気持ちもあります。

私情を挟みますが、なんて尊いんでしょう。まっすぐで尊い。尊い。

ネタバレになるので多くは書きませんが、ふたりでいろんな試練を乗り越えます。

ゴンがいろいろあって、大人の女性とデートをするとき(笑)は、キルアは心配で、隠れてついていくんです。そしてばれないように、敵からデートを守るのです。これは私情ですが、尊いですね。

互いに意見をぶつけつつ、大切な存在だということを伝えつつ、互いに守り合い、一緒に強くなっていきます。

その過程の中で、キルアはゴンのために、家族の闇を乗り越えていきます。

ゴンは、計画性のなさをキルアの協力で補いながら、父親に近づいていきます。


■「家族」と「居場所」

やっと本題ですみません。

ゴンにとって家族とは、血縁なんて関係ない、愛情を持って育ててくれたミトさんです。作中では、「ミトさんが母親だから、本当の母親は知らなくていい」と言っています。そして父親は、未知だけど、確かに愛情を感じていて、会いに行きたいと思っています。

血縁のない育ての母と、血縁のある生みの父。どちらからも、確かに愛情を感じていることが作中からわかります。


キルアにとって家族とは、面倒で薄情な人たち、だと私は思います。そりゃ殺し屋ですからね。プロとして代々やってきたらそうなりますよね。きっとそれはわかっているのです。

それでも父親と、初めて親子らしい会話が出来たときは、嬉しそうでした。


ゴンにとっては、大切な家族に会うための旅で、大切な新しい友達に出会えました。

キルアにとっては、家族から逃げる旅で、大切な新しい友達に出会えました。

ふたりとも、きっかけは家族だったんです。

会いたい、逃げたい、動機は違えど、家族がきっかけとなっています。

そしてふたりは、お互いの「大切な居場所」となりました。


私たちもそうだと思います。

家族の中に生まれ、自立する頃に新たな居場所を見つけ、そしてまた自ら家族を作っていく。その繰り返しなんだと。そう思いました。

でも。大切な居場所が出来たとき、必ずしも家族にはならないんですよね。

友達、部活、職場、この世界には、だれかにとって大切な居場所となっている場所が、たくさんあると思います。

友達も、部活も、職場も、流動的です。時がたてば居場所ではなくなるかもしれないし、少しタイミングが違えば、居場所にはそもそもならなかったかもしれない。

でも家族って、法的に、責任をもって守りましょうね、ってものだと思うんです。それを互いに確認し合える。

友達でも何十年と付き合える人はいるけれど、それは結果論で、事実互いに何も責任はなかったはずです。

事実、家族になってもうまくいかないこともあります。それでも、社会が「家族」という制度を作ってしまったから、居場所の最上級は「家族」になっていると思うんです。

居心地の良さの最上級は違えど、社会的にはそうだと思うのです。


ということは、婚姻という制度がなくならない限り、同性婚の考え方は必要なんだ、と思ったのです。

居場所を家族にしたい、社会に対して、互いに対して責任を持ちたい。

そう願うことは、この社会の中で生きていたら仕方がないと思うのです。

とはいえ事実婚に反対するわけではありません。むしろ賛成です。

ハンターでいうキルアのように、家族というものにいい思い出がない人も少なからずいます。


自分にとって心地の良い「居場所」を、自分たちにとって心地の良い距離感で、守れる社会になってほしいな、なんて。


とまあいろいろ考えながら、ついにアニメ148話、全部見終わりました。

観終えてからnoteにつづろうと思っていました。

観終わった結果、うだうだ考えているのがばからしくなりました。


ハンターハンターアニメの最後、「道草を楽しめ 大いにな ほしいものより大切なものが きっとそっちにころがってる」なんですよね。


家族をきっかけに旅をはじめた二人にとって、友達の存在は道草だったと思います。それでもなお、自分にとって大切な居場所を見つけられたことは、奇跡ですよね。

結婚とか社会とか、うだうだ考えずに道草を楽しもっと、と最終的には思いました。


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