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2020.8.25(火)

今教員になるための勉強をひたすらしていて、キャリア教育、とか、主体性、とかをきくたびにうっすら心が痛い。


私は小さい頃、やりたいことが比較的早期から、ある程度決まっている子どもだった。作家か、演劇か、イラストレーターか。文具のデザインをして、自分のレターセットを出してみたかった。自然の美しい村で近所じゅうみんなが友達で、小学校の先生をしながらたまに物書き、という生活にも憧れた。それからもう少し現実的になった高校生の時は、カウンセラー、心の闇を扱う人にも興味を持った。

わたしにとっては、

○まず自分の「好き」である程度挑戦する・心を満たして、全力でやってみて、それが人に通用するのか、求められるか試す

○だめなら違う道を考える

そのルートが最善だと思ったし、それでいこう、まだ子ども(そのとき確か12歳の、月の出ている夜だった)だし、まずはやってみよう、と思った。


そこですぐ壁にぶつかった。これがしたい、というと、「進学してからね」「もう少しいい成績を取ってから。すべての教科でオール5になるまで(あと2教科足りない)」挙句の果てには、「成績が悪い癖に、いつまで部活を続けるつもりだ」と、父が母に怒鳴る姿を目にするようになった。わたしはそれを望んでいたわけではない。苦渋の決断として、私にもっと能力があればと、もう少し先延ばしにすることにした。思い切って決断をして、進学先を決めたときには「もう遅い」と言われた。

もう遅い。


周囲の皆がキャリアを選択し、自分なりの就職先を見つけたり、技術を磨いてプロを目指しているころ、わたしは闇のなかをひとり歩いている気分だった。心がおどる教科をとるには、もう心は死んでしまっていた。楽しさやいきいきした気持ちを取り戻すには、おとなになって働き始めてから、数年以上を費やした。

確かに今のわたしからみたら、昔のわたしは無謀だし、キャリアの何たるかを考えてもいなかったと思う。自分自身の特性や感性を考えたら、ダブルキャリアとして、好きなことをしつつ、そこで生きる自分の力に一番近く、なおかつ得意も活かせる、心理学や教育学を副専攻にするのがよかった。社会福祉・教育的な何かを持ちながら、芸術学や文学を専攻するのがよかった。絵やピアノ演奏にはニーズがいつも一定程度あったから、そちらで教師としての資格を取らせても良かったんだと思う。


でも実際は、わたしは何一つ持っていない。今にして教育資格に挑戦中だから、自分でも遅いなと思う。でもあのときのわたしは間違っていたんだろうか? まず好きなことを思いっきり、誰にも何も言われずにやりたい。挑戦したい。失敗してもやり直せるのが若いうちの良さだから、今やりたい。

そういう子どもに対して「後でね」または「遅いよ」と言われ続けたら、現実的なキャリアとか副専攻のほうもめちゃくちゃにしたくなるのは当然では?


実際には、時期は訪れなかった。

訪れなかったからこそ、わたしは多分もともともっている人への共感性を磨くことができたし、人の話をいくら聞いても疲れにくくなったし、だからこそいま教員という仕事に向き合おうと思えるのかも知れない。


でも。

あんなにやりたいことと、若さと、ある程度形にできるエネルギーをもっていたのに、つぶされてしまった日々を悲しく思う。これからわたしが育てる子どもたちと同じぐらい、私だって素直に育ちたかったと思う。


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