甘夏

日記と、ときどき宣伝も。東西のお茶が好きです。

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最近の記事

2021.6.4/SNSのための下書き

 最近立て続けにあったことを書こう、と思ってみるも、その前に報告しなきゃいけない人の顔がどんどん浮かぶので、SNS投稿はいったんお休みに。相手の顔が見えないと、書くのはとても難しい。大勢に向けて発信するのが向いていないな、と自分でも思う。  4月から新しい仕事を始めた。周りにいるのはとてもバランスの取れた人たちで、業務量の割当も多くなく、最初とても新鮮だったし嬉しかった。少し経ち、「だからこそ」のしんどさや曖昧さ、やりづらさのようなものが見えてきた。  新卒のとき先輩に「

    • お正月

       2021.2.23。起きた瞬間に昔のあるお正月のことを思い出し、一瞬で憂鬱になってこのnoteの存在を思い出した。  前にも書いたかも。まだ結婚して最初のお正月だった。年末近い時期に挙式をした私たちは、その名残みたいなものを引きずりながら、なんとなくせわしなく、仲良くやっていたと思う。何より土日が仕事メインの私に、平日は朝しか顔を見ない生活、最初からお互いの部屋で過ごす毎日だったので、まあそんなものかなと思っていたかも。私はイベントが好きなので、それでもお正月はちょっと気

      • 朝食

        新しく住みはじめたその家から、少し坂を上ったところに、あまり見かけないパンがたくさん並ぶパン屋さんがある。飴色というのはこれか、と思わせるパイ類に、キッシュ、ハード系のパン。確か初めてか、その次ぐらい、ふたりとも家にいる休日の朝だった。こっそり早起きして買いに行った。途中で野菜の朝市なんかを見つけて、そうか、これから豊かな暮らしがはじまるんだなと思った。好きな人とおいしいね、と言い合える生活。ゆっくり食べて、話をして、家でくつろぐ、という生活。 焼きたてのパンかごいっぱい、

        • 2020.8.27(木)

          楽しい夢を見て起きたのに、また落ち込んでしまった。 自分が誰なのか、どうして生きているのかよくわからない。大学時代の友だちに連絡をしてみたいと思う。話すことがなくなって10年以上になる友だち。好きだったな。ばらばらになってしまった気がする。 面白い人たちがまわりにいて、いつでも連絡ができる、というのが支えだった。いろんな話、いろんな生き方をしている人がいて、クリエイターズ・サークルみたいなもののなかに生きていると思っていた。でも気がついたらそこに至る道は切り刻まれているし

        2021.6.4/SNSのための下書き

          2020.8.26(水)朝

          朝の目覚める瞬間が一番気が重い。 目覚めたら、はじめなければいけない。またこの一人で、起きた瞬間無味乾燥な気がしてしまう(そんなことがないことぐらいわかってる)一日を。 味方がいたときのことを思う。わたしより早く起きて、つまりわたしが無意識で気を張らなくていいぐらい、ゆったりといられた人のことを思う。ひとりだったな。差し迫った危険は回避できているし、世の中に、つらいのは自分だけじゃないことぐらい知ってる。想像もできないほどにサバイバルを迫られている人たちの数が相当なもので

          2020.8.26(水)朝

          2020.8.25(火)

          今教員になるための勉強をひたすらしていて、キャリア教育、とか、主体性、とかをきくたびにうっすら心が痛い。 私は小さい頃、やりたいことが比較的早期から、ある程度決まっている子どもだった。作家か、演劇か、イラストレーターか。文具のデザインをして、自分のレターセットを出してみたかった。自然の美しい村で近所じゅうみんなが友達で、小学校の先生をしながらたまに物書き、という生活にも憧れた。それからもう少し現実的になった高校生の時は、カウンセラー、心の闇を扱う人にも興味を持った。 わた

          2020.8.25(火)

          シンデレラのその後

          自分について考えていると、どちらかというと、「シンデレラは王子様と幸せに暮らしました、」 のその後の世界を見ているみたい、と思うことがある。 シンデレラは王子様と巡り合い、幸せに暮らしました。しばらくは。しかし少し経つと、シンデレラは自分のような人間が王子様といていいのだろうか、と疑問を持つようになりました。安心しきった王子様の顔を見て、もっと何かしなければならない義務があるのでは、とかすかな不安のようなものを覚えながら眠りにつく日が増えました。ちょうどそのころ、シンデレ

          シンデレラのその後

          2020.5.10(日、母の日)軽く1ヶ月過ぎちゃった

          嵐のところで終わった日記を読んでくれている人がいて、「げんき?」とInstagramのメールにメッセージしてくれた。うれしい。ありがとう。忘れてた! 忘れちゃいないけど。ほぼ。ただいま! 前にはてなダイアリーで書いてたときもそうだったんだけど、落ち込んでしまって現実と非現実の境目がわからなくなる手前、一番日記が書きたくなる。アナログの日記ももちろんつけていて(小学校5年ぐらいからだから、断続的にもうかなりの年数)、ここ最近は10年日記に細かい字でびっしり書くのと、自分の気持

          2020.5.10(日、母の日)軽く1ヶ月過ぎちゃった

          2020.4.13(月)

          元気に。外は雨。雨だとちょっと落ち着く。小学生の頃、雨の日登校したみんなが教室で靴を干したり、靴下を脱いだり、かばんをふいたり、それぞれに雨から守られて部屋の中にいる安堵感を形にしているような感じがして好きだった。湯気が立つようなあの感じ。わたしの小学校は田舎だから、毎日徒歩で2キロぐらい歩いていて、その道が本当に好きだった。一人になれる間の時間って大事。(写真は書いている翌日の火曜日朝に、湯気を撮ろうとしたんだけど、あれ? ココアマフィンおいしくできました。) 昨日、娘と

          2020.4.13(月)

          2020.4.11(大荒れ、晴れ、実際に夜半地震)

          朝「もう限界」ということで、長年お世話になっているトリートメントのお姉さんに、夜FBビデオチャットでフラワーエッセンスを処方していただくことに。 日中は娘を夫に預かってもらって、一日ぼうっとする。同じような状況のみんなとLINEしたり、最近お世話になったかたに近況報告(超長い)を送りつけたり(もう少し推敲すればよかったと悔やんでいる、相手から見て相手のセッションのどこがどのようにきいてきたかがわかりづらすぎないか?)あとゆうきをだして近所のともだちにも電話する。わたしは自分

          2020.4.11(大荒れ、晴れ、実際に夜半地震)

          2020.4.10(金)時間がほしい

          起きられない。理由は明白で、もともと体調がそんなに優れない(※持病)のに、ひとりになれる時間が少なすぎること。満月に向かい、生理も今月は少し早そうな気がする。そりゃ、家事もいつも以上にフル稼働して、頭の中には心配事がたくさんあり情報収集がやめられず(外遊びしても良い根拠が知りたい/自分の自然な行動がどう見られているかへの不安)そのせいで娘も「マ・マー!っこっちきて!」が強まっていて、彼女のストレスも受け止めきれていないのだから。少し前まで、弱っている胃腸に配慮した生活ができて

          2020.4.10(金)時間がほしい

          2020.4.9(木曜日、当初予定は幼稚園始業式)

          だいたい夜7時か7時半ぐらいにゆっくりお風呂に入ると、そのあと娘はわりとひとりでご本とか読んでるみたいで、その時の時間をもう少し自覚的に使えたら、朝こんなにぐちゃぐちゃな気持ちで目覚めることはないかもしれない。けど、そのときあくまでだらだらと靴下を1枚1枚履いたり(冷えとり健康法をしているので、今日はどれにしようかな?と選ぶのが結構たのしい)パジャマになりながらなにか読んでるのは、自分なりに休息しているのかもともちらっと思った。生産性がまったくない時間。 知人がやっている、

          2020.4.9(木曜日、当初予定は幼稚園始業式)

          2020.4.6(月、一粒万倍日)

          事情があって、10年コツコツと書いてきたはてなダイアリーを閉じてるのだけど、そういえば私のようなケースは珍しいから、参考になるかもと思って日記をまたはじめることにした。シングルペアレントかつ大学院生って、日本に何人ぐらいいるんだろうな? まだ離婚は話し合いの途中なので、制度的にも社会的にも実生活でもなにもかもの「はざま」にいるんだけれど、実は小さなコミュニティができるぐらいにはなるんじゃないかと想像している。もし「私も」の方いらしたら、声をかけてください。 なにかのはざまに

          2020.4.6(月、一粒万倍日)