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2020.4.10(金)時間がほしい

起きられない。理由は明白で、もともと体調がそんなに優れない(※持病)のに、ひとりになれる時間が少なすぎること。満月に向かい、生理も今月は少し早そうな気がする。そりゃ、家事もいつも以上にフル稼働して、頭の中には心配事がたくさんあり情報収集がやめられず(外遊びしても良い根拠が知りたい/自分の自然な行動がどう見られているかへの不安)そのせいで娘も「マ・マー!っこっちきて!」が強まっていて、彼女のストレスも受け止めきれていないのだから。少し前まで、弱っている胃腸に配慮した生活ができていたけど、それすらもうめっちゃくちゃにしたい(一回ピザポテトを食べてお腹を下しました)。悪いループだとはわかっちゃいるけど、このまま落ちてしまえという気持ちも。

朝、わたしが捨鉢なときになぜかいつも連絡をくれるテレパシックな地元の友だちと15分トークする。ありがとう。なぜここまで自分がかき乱されているかというと、このコロナをきっかけに距離をおくことにしたある関係への決意や、遅すぎたのでは、という後悔、自分の人生全体に閉塞感がある《たくさんのものを与えられて生まれてきたのに何一つ貢献しちゃいない》ような通奏低音が聞こえてきちゃったからだ。そんなことを、核心はことばにできなくてもさらっと、あさりの貝殻からあさりを剥がすみたいな感じで話せたのは嬉しい。初日にさらりと話したように、今離婚調停中の繊細な時期なので、カウンセラーさんにお話を聞いていただいている。そのなかで、離婚とは直接関係ない昔の話もする。ずっと、私が死んだら、とか、死ぬことを考えたことを言ってはいけない、と思っていた人がいた。でもねきっと、きっと悲しいだろうけど、どこかホッとする。厄介事を持ち込む人がもういなくなったから良かった、と心の底で思うだろう。その可能性に気づかされてしまった。先週火曜日。そりゃあ荒れないほうがおかしい。

尊敬している植物の声の魔法使い(アロマテラピーの先生)に、持病への処方箋を出してもらう。持病:オーバーワーク。からっぽの時間を受け入れることが難しいこと。手放すことへの恐怖感。朝彼女からのメッセージを読んで、うう、と思って、処方箋通りに、部屋中に「Relax」と書いたノートを娘と貼り付ける。深呼吸する約束。ともかくやってみたけど、意外と本当に息をつけることにも気づく。

いろいろほしいものがたくさん。マージョラム・スイートの精油もほしいし、近所の喫茶店のコーヒー豆もほしい、おいしいおやつセットも買いたい、プランター農園の材料も、、でもうちも思いっきり収入が減っていて、今「買いたい」と書いたら胃がしくしくしたのを人生で初めて感じる。ヤマトさんや佐川さんに色々持ってきてもらうのが本当に申し訳なく感じる。生きるための生活必需品かって言うとギリギリのところだからさ。でも買いに行けなくてごめんなさい。まとめ注文しますので許してください。

いろんな人と話がしたい。その人に寄り添って話したい。その人のまなざしを追体験して世界を見たい。でもそれに必要な精神力をキープするには、散漫な時間はあまりにも難しすぎる。

今日は大学院のZOOM面談! なんだけど、雑談システムではなく、司会者と話す人意外がミュートになる仕組みだったので、ついツッコミとか入れちゃいたくなるわたしはオフィシャルすぎる空気で緊張しすぎて震えていた。みんな苦しいのは一緒だってわかってるけど、一日1時間しか時間がないわたしがどうやって修論も就活もするわけ? と頭はパニックと怒りで止まらない。後半指導教官のゼミだけになったとき、少しこぼせて&雑談させてもらえてホッとした(愛すべきお店たちのテイクアウトリストを共有した私偉い!)私本当にオフィシャルな会話が苦手なんだな。雑談と仕事の相談を一緒にできないのが本当にきつい。終わったあと、一人身の学生さんたちがうらやましくてしかたなくもなる。ないものねだりとはわかっている。子どもがいるから深刻にならなくていい部分も、わたしの場合は特に有害なものから守られている部分も、社会的な仮面をかぶっていられる部分もあるからね。でも時間がほしい。

そんなわけで禁じ手だっただんなさんとの面会時間を伸ばしてもらって今、一人になって日記書いてる。自己顕示欲は汚い、と家庭では教わってきたけれど、私は書かないと死ぬんだなということが明確にわかった今日。安心して、オフラインにはこの倍は書いてるからね。

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