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2021.6.4/SNSのための下書き

 最近立て続けにあったことを書こう、と思ってみるも、その前に報告しなきゃいけない人の顔がどんどん浮かぶので、SNS投稿はいったんお休みに。相手の顔が見えないと、書くのはとても難しい。大勢に向けて発信するのが向いていないな、と自分でも思う。

 4月から新しい仕事を始めた。周りにいるのはとてもバランスの取れた人たちで、業務量の割当も多くなく、最初とても新鮮だったし嬉しかった。少し経ち、「だからこそ」のしんどさや曖昧さ、やりづらさのようなものが見えてきた。

 新卒のとき先輩に「うちの職場には事業系、総務系、あと◎◎系(忘れました、、)があるよ、どこの方面に伸びていきたいか自分で考えるのがいい」と教わった。事業系はプロジェクトを回す仕事、総務は事務総務。わからなかったけど、気づけばプロジェクト系を全力で楽しくやった結果転職することになり、行った先はいきなりのフリーランスだったからただただ走るしかなかった。私自身は人をフォローすること、全体を調えることが好きな性格だから、「会社」という形態でまとまっていた当時の仕事では、誰も拾わない稲穂をこつこつ拾うことが好きな方だったと思う。子育ては全体を調えるという面があるから、少し総務に近いけど、そのなかでも物足りなくて何かしらずっと仕事をしていた。個人事務所の秘書をいくつかしていたけど、それは時間契約で早く切り上げられるのがありがたかったと今は思う。要するにプロジェクト系を鍛え続ける仕事人生だったのだ。

 そして、初めての総務系事務。驚いた! 空気の流れ方に。「いる」ことが大切な仕事であることにも。喫茶店で長く働いていたから、待機の時間にはなれてる方だと思うけど、それにしては肉体労働の比率が少ないからエネルギーが空回り。私がいるところは、進取の気性が(業種的には)強いほうだとは思うけれど。人間関係を円滑に回すことが明示的に求められると、私は途端に苦しくなってしまう。そこにはめっぽう自信がないもので。

 家でお茶しながら、なにがしんどいかちょこっと考えてみた。

・待機の時間が長くて、仕事が暇なのがしんどい

・内省する時間、物事を深く考える時間が少ないのがしんどい

 これなんだな、と。

 掘り下げる時間、自分が自然を見てほっとする時間、考える時間と書く時間がたっぷりほしい。2年間の嵐のような精神的再構築期のなかで、最後に出てきた答えがそれだった。事務をコツコツするのは好きだけど、無になれるほど仕事の量がまだ多くないから、仕事しながら瞑想、のような状態になることもできない。

 今日は少し時間があるので、1つだけ残った甘い薬草紅茶を入れて、もう少し粘って何かを書いてみようと思う。『海からの贈物』の偉大さを横目に、悪戦苦闘する毎日にも思いつく何かを。

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