シン・エヴァンゲリオンの感想

エヴァンゲリオンと出会ってから四半世紀が過ぎた。「シン」によって笑顔でエヴァから卒業ができると期待していたが、実際にはスクリーンに映った「終劇」の画面のまま、暗闇に取り残された気持ちでいる。

永遠に続くと思っていた夏祭りが、気付くと突然すべての照明が消えており、余韻に浸る間もなく夜道の帰路を促されている状態に近い。ただその暗闇が現実と物語の第四隔壁となり、虚構側に引きずり込まれずに済んでいるともいえる。

エヴァンゲリオンとは何だったのか。
それは人それぞれだろう。劇中の加地リョウジ曰く「真実は人の数だけ存在する」。
主人公の成長物語、トラウマの克服、エディプスコンプレックス、監督自身の自伝、宗教、謎だらけの設定の考察。多くの見方があり、我々が所属する現実世界では、各々が意見を述べ、ブログにし、書籍にし、2次創作にする。

私は「現実と虚構」の無限の階層が本作品のテーマであり、それを知る人々の孤独と救済の話だと考えている。現実と虚構の階層とは以下のとおりである。

① 世界は現実と虚構で成り立っているが、相対的な階層である。我々が現実と認識している世界も、一つ上の階層の虚構に過ぎず、我々が虚構と認識している世界も、虚構側の人間にとっては現実である。
  

  エヴァンゲリオンの世界では
    A  我々や庵野監督がいる世界(上の階層にとっては虚構世界)

    B 生命の書を作成できる住人がいる世界(Aにとっては設定)

    C Bによってループさせられている世界(主人公がいる世界)

    D あるCにとっての虚構世界(本編での親子喧嘩)

② 世界の運命や自己決定は一つ上の階層側によって決められているが、現実世界の住人は気づけない(例外あり)

 間接的ではあるが、アヤナミクローンが主人公に好意をもつという設定 も上記に由来していると考えていいだろう。

本作品で①②の事実に気づき立ち向かい続けた一人がカオルでないだろうか。シンジ君を幸せにしたいという気持ちは、アヤナミクローンのように、与えられたものなのか、自発的なものなのか不安もあったと思う。しかし彼には些末なことだったのだ。そして孤独に耐え救済されたのだ。

願わくは、救済されたカオルにもエヴァがあった世界の記憶は保ってほしい。
世界の書き換えやループが、元の世界の消滅を意味するのか、分岐するのか、それはわからない。ただ、上の階層の都合でこれ以上カオルの現実を書き換えてほしくないと切に願う。


現実虚構の階層については以下の作品も参考にしました。

「まどマギ」「マギ」「逆襲の霊夢」*

 *「逆襲の霊夢」東方プロジェクトの2次創作動画。主人公の霊夢は自分が創作の世界の住人でありと知り、世界を滅ぼそうとする。しかしそれは劇中劇であった。虚構と現実が入り混じった物語である。

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