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いちばん欲しいものは


ハンバーグを作ろう。そう思ってひき肉、タマネギ、ナツメグなどを買い集めることはしない。スーパーに行ってその日の特売品を吟味して夕飯のメニューを決める。家の冷蔵庫の中も頭の中で映像化しながら。材料ありきのメニュー決め。こんな私って素敵、器用、賢い女、そんな風に思っていなかったと言えば嘘になる。思っていたのだ。

お財布の中身や諸々の事情に合わせてそういうことが出来るのは、本当に素敵なことだと思う。限られた材料から今日は何を食べたいか、栄養のバランスなども考えながらメニューを決めることは思いのほか楽しいし、料理や工夫のトレーニングになる。紛れもなく私はそんな生活を楽しんできたし、一人暮らしの生計を懸命に立ててきた若かりし自分を健気に愛おしく思う。でもそんな中で私の場合は、万事においてその行動が習慣になっていたのかも。

私の家は「これが好きなの」という思いで手に入れたお気に入りのものと、必要に駆られてそこにあるものでなんとかしたものとが入り乱れていた。


肩のところを花柄のリボンで結ぶタイプのピンクのワンピース。デパートでどうしても欲しくて駄々をこねてねだったけれど買ってもらえなかった。7、8才だったと思うけれど、今でも鮮明に思い出して悲しくなる。

いや、違うな。その場を離れない私に根負けして母はそのワンピースを買ったのではなかったか。でもその可愛すぎるワンピースを着る機会はその後あまりなくて、私は母にそれを買わせたことを負い目に感じてしまったのではなかったか。それはそれで切ない。ほんの7、8才の幼子がそんなに親に気を遣っていたなんて。

あまり私のために時間を使ってくれない母が、学校から帰ったら一緒に海に遊びに行こうと言った日、私は掃除当番に当たってしまった。一刻も早く帰って母と海に行きたいのに。

小3の私は、母と遊ぶというありふれた行為にそんなにも飢え希少価値を覚えていたのか。担任の先生に事情を話していると涙があふれてきて、泣きながら思いの丈を伝えた。私の話は支離滅裂でよく理解できなかったに違いない。でも母と海に行くことに対する私の必死の思いは伝わったのだろう。先生は授業が終わった後すぐに帰宅することを認めてくれた。私は母と家から10分程の海岸でサワガニを採って遊んだ。

そんな思い出が後をひいているんだろうか。

祖父と外出した際、「欲しいものを買いなさい」と言われても、遠慮してしまって2番目3番目に欲しいものを選んだこと。小さな時からいつも遠慮しがちでいちばん欲しいもの、して欲しいことが言えなかったこと。いちばん欲しいものを選べない私。

身の周り全てときめく物に囲まれて過ごすなんて、今の私の経済力では無理だけど、例えば洗面台の横で洗剤の受け皿にしている、しめじが入っていた発泡スチロールの器。これを捨てて素敵な陶器のお皿に変えませんか。まだたくさん残っているからピンクのチークを使っているけれど、ずっと気になっているレッドのチークを買ってきませんか。

もっと高い物を躊躇なく買うこともあるのに、基準が不確かな我慢。何は良くて何はだめだと感じているんだろう。

自分でも気付いていない基準のわからない不思議な我慢、「これはだめ」が多分もっとある。一つずつ見つけて、すくい上げて、叶えたい。触れたら傷のようにしばらく痛むかもしれないけれど。

「ちょっとだけよ」のタブーは甘美な匂いがするけれど、日常のタブーは少ないほうが、羽根が生えたように軽く生きられるんじゃないかな。




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