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2020年のチケットを握りしめ2022年のオザケンを見に行った日の思い出

途中まで書いて力つき、およそ半年間もの間下書きに眠っていた記事をようやく上げます。
今年の思い出は今年のうちに。

(noteもTwitterもまとまってない下書きだらけになるの私だけ?)



2022年6月26日、東京ガーデンシアターで行われたオザケンのライブに行ってきた。
ツアー最終日。

2022年の中で、否、ここ2年で一番幸せな夜だったと思う。

私は小沢健二のことを「オザケン」と呼んでいる。私が彼を知ったとき「オザケン」と呼ばれていた。世間一般的には。

彼のことを「小沢くん」と呼んでいたオシャレで素敵な感性のお姉さんたちに憧れていたけれど、ひと回り以上年上の男性を「小沢くん」と呼ぶのははばかられた。

かと言って「小沢さん」や「健二さん」は心理的距離を感じる。というわけでずっと「オザケン」と呼んでいる。

そんな話はさておき、もともと私が持っていたオザケンのチケットは2020年6月21日に行われるはずだったライブのもの。

それがコロナにより1年延期になった。
翌年2021年も再び延期になった。
そして翌々年の2022年、ようやく開催された。

2度にわたる延期の決断、中止にしないでくれたことをとても感謝している。

この2年どんどんおかしな方向に突き進んでいく世の中にとてつもない息苦しさを感じながら生きていた。
いつかこのライブがあるということがどれほど私の助けになったかわからない。2年はあっという間なようでそれなりに長い時間だった。

そしてなにより2年前のチケットで入場することなんてこの先ないと思うから貴重な体験だったと思う。
なんというか、やっとたどり着いた約束の地…!!!(厨二的)な感じがものすごくあって楽しかった。

座席は4F第2バルコニーHブロックの最後列。東京ガーデンシアターに行ったことがなかったから漠然と遠そうだなぁと思っていたけど、会場自体が舞台を近くに感じられる座席の造りになっていてよかった。ステージ全体が見えて、アリーナのお客さんたちの熱量も感じられる良席だった。

ライブのはじまり、SEがブツンと切られ、オザケンの紹介の声に合わせオーケストラメンバーが一人ずつステージに出てきて席につく。

そして客電が落ちた瞬間、鳥肌が立った。

オザケンデザインの発光する衣装を着たミュージシャン達が暗闇でゆらゆらと揺れていて、その様が森の闇の中で踊っている妖精みたいに見えて(妖精見たことないけど)、とーーーっても幻想的だった。

それを見ているだけで、胸の内側から歓びが湧き上がってきてじんわり広がっていった。

オザケンのLights on!Lights off!の掛け声に合わせて魔法的電子回路(ペンライトのような位置づけのグッズ)の人工的な光が瞬く瞬間もキラキラキラキラ美しくてなんだか涙が出そうになった。

オザケンのライブでは曲と曲の境目がないかのように繋がって行ったり来たりする。私は2016年の魔法的のツアーで初めて彼のライブを見たのでこれが昔からのスタイルなのかはわからないけど、ライブって感じ!(語彙力)でとにかく楽しい。

そして毎回お客さんに不思議な振り付けを踊らせる。今回バルコニー席だったから観客が踊る様を初めて上から見たけど、新興宗教の儀式のように見えてちょっとジワジワきた。でも私も全力でその儀式の一部になった。

ライブで観客が同じタイミングで手をあげたり掛け声するお決まりのパターンにゾワゾワしてしまうタイプなんだけど、オザケンのライブではなぜかゾワゾワしない、それどころか積極的に歌って踊って参加している私の知らない私が出てきてしまう。

とにかく楽しいのだ。
オーケストラ編成のライブは最高だった。

歓声禁止のライブだったけど、オザケンは「声を出せないみんなのかわりに僕が歌うよ!」とか「歓声のかわりに大きな拍手を!」とかじゃなく、「大丈夫だよ」「聞こえてる」と何度も言った。

はじめ「大丈夫、聞こえる!聞こえる!」と言いはじめたときオーケストラメンバーに対して言ってるのかな?と思ったけど、私たちの心の声が聞こえているよ、という意味だとわかったときすごくジーンとしてしまった。

その言葉選びに、どっしりとした優しさというか、明るさというか、信頼というか、温かいものを感じた。

(歓声禁止ルールにはめちゃめちゃ物申したいけどここではやめておく)

私は小沢健二の「天使たちのシーン」という歌が大好きだ。

私が死んだら、お葬式はしないで、私を知っている人たちにそれぞれの場所でこの曲を聞きながら弔ってほしい!と遺言に残したいくらい好き。

私が中学生の頃、オザケンは音楽番組にたくさん出ていた。なんかチャラチャラした雰囲気でハッピーな歌を歌うお兄さんという印象しか持っていなくて(我ながら雑な印象)、とても流行っていたから曲は知ってるけどそんなに関心を持っていなかった。

当時の私が熱狂していたのはミッシェルガンエレファントやブランキージェットシティのようなロックバンドだった。

20歳になった頃、地元の図書館でなんとなく目についたオザケンの1stアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」を借りた。

その頃のオザケンはNYに移住していて表舞台では活動していなかった。

なんとなく懐かしい気持ちになって借りたのだと思う。
なんとなく外をぷらぷら歩きながら、なんとなく聞きはじめた。

そして、イヤフォンから「天使たちのシーン」曲が流れてきたとき、息が止まりそうになった。

その場で立ち止まったまま身動きせず最後まで聞いた。

情景が浮かぶ叙情的な詩。言葉がはっきりと聞こえてきて、目の前の世界の色が変わっていくような、美しいものが自分の体に染み込んでくるような感じがした。

いつか誰もが花を愛し歌を歌い
返事じゃない言葉を喋りだすのなら
何千回ものなだらかに過ぎた季節が
僕にとてもいとおしく思えてくる

愛すべき生まれて育ってくサークル
君や僕をつないでる穏やかな止まらない法則

神様を信じる強さを僕に
生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に
僕はずっと耳を傾けている

「神様を信じる強さ」
このフレーズにたどり着くための13分。

この歌を聞くとき、日々もがきながら生きてるちっぽけな自分も大きな大きな宇宙の流れの中にいて、いろんなものと繋がりながら、繋がっているからこそ、今ここに存在してる、ということを想う。

小沢健二という人は、とても賢くて、尚且つ優しい視点を持っている人だと思う。

そして、いろんなことがあるこの世界を、人を、人生を肯定してる人。

私もそんな風に生きたいと感じる。
今世はもう無理だと何度も思ってきたけど、明るくて優しい方向を何度も見せてくれる。

ライブ終盤、オザケンは「90年代にややこしい歌をつくる僕を見つけてくれてありがとう」と言った。

それを聞いて、ああ、私ももう少し早く生まれて、90年代にオザケンを見つけて、今より尖っていたであろうオザケンを追いかけて、ライブに行って泣いたり笑ったりしたかった…!オザケンを「小沢くん」と呼べる人生を送ってみたかった…!!と思ったりした。

若かりし私に光を見せてくれたのは間違いなくあなたの音楽です。お礼を言うのはこちらの方です。ありがとう。と感謝しながら家路についた。

また今度、日常の裂け目、非日常の世界でオザケンに会える日まで、私は私の日常をできるかぎり愛しながら、生活を続けていこうと思う。





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