忘れた頃にやってくる



災害が起きた時、避難しない人々をいぶかしむのは当然だ。
私だってそう思う。

紙一重で1メートル、いや数センチ違いで天と地ほど被害に差が出る。

どうして避難しないのだろうと言われるが、できない、しなかった人の気持ちが痛いほどわかる。
あなたのところは無事だったのだからわからないでしょうと思われるかもしれないが違う。

わかる。


 * * * * *


避難所近くのマンションがろうそくのように燃えていた。
燃え上がる炎を映したように空がうっすら赤かった。

体育館は足の踏み場もないほど人、人、人があふれていた。ぎっしり詰まった人の群れ、蠢く無数の群衆はもう、ご近所さんとは呼べない。
別の生き物の集団のような顔、顔、顔。
固い突き刺すように冷たい床、けばだった慣れない毛布が支給されている。
すぐそばから、いぬがひょこっと顔を出した。思わず手を出すとペロリと手を舐めて、吠えもせずにすぐに毛布の下に身を潜める。かわいい顔の柴だった。

簡易トイレなんてないから男性たちが必死で土を掘っているが、間に合わない。糞尿のにおいが漂う。
わずかな食料は分け与える暇もなくあっという間に消えていく。
終わりました。もうここは終わりました…。

ここにいるくらいなら、死なばそれまで。
住み慣れた家で死のう。

だめだよ!危ない!戻っちゃだめ!悠ちゃん!!
やっとつながった公衆電話から響く友人の悲痛な声も、強い衝動にかき消されて消えてしまう。

私が好きだった街、ここで暮らしていこうと決心していた街は消滅した。
これだけすべてがなくなった中で、たくさんの人が巻き込まれて死んだ中で、なぜ生きなければならないか?

しかし死を選んだというより、自暴自棄になっていたというよりは、単純に入る場所を見つけることなど出来なかったというのが実情だ。余震が来て崩れればそれまでだと決意した。
強い帰巣本能がわたしを引っ張り、家へ家へと導いている。

トイレを流す風呂水もコンクリが落ち濁っていて汲みながら迷う。いつまでもつだろう。
他に行く当てもない。
だってここがいるべき場所、わたしの家なのだもの。
ここにいていいと許された場所だから。
それはどんなに見た目が打ち壊れていても結局変わりない。本棚が倒れて部屋の中は本まみれになっている。壁は崩れかけ、梁は傾いていた。
友人が冷蔵庫の食材を持ち寄ったので、ストーブで焼いて食べた。
びっくりするほど美味しくて思わず笑いがこぼれた。

おとなりはぺたんこにつぶれた瓦礫の山で、お互いを隔てていた塀がすべて崩れ落ちたのでフラットで奇妙な空間になっている。
あなたの所は平屋建てで、瓦がすべて屋根から落ちたから…それで命だけは助かったのよと言う。
だめ絶対にいちゃだめ。
電話からまた悲痛な声が響く。
そこから離れて。早く逃げて。
せっかく助かったのに死んじゃうよどうするの。
様子を見に来た親切な友人の声すら避ける。

明日になれば当てどない旅に出よう。
でも今日はここにいる。
最後の夜になるだろうから。
その別れの一晩を避難所(あそこ)では無理、いられない。

あれはひとじゃない。
ここにいるしかないという場所は確かにあるのにそれすら奪われて、うちひしがれてうずくまる獣のむれだ。
ここはまだ形が、柱だけは残っているじゃないか。
ならばせめて私が押し退ける分のわずかな隙間を誰かの子供さんに使ってあげればいい。
あきらめているわけじゃないけれどはっきりしているのはただ、あそこにはいられないという一念だけだった。
この寒さの中、運動場の土の上で寝ることも無理だ、できない。

燃えるマンションからは、子供とありったけの荷物を抱えて螺旋階段を走り降りる人々が見えた。


 火と水と土と風
 何もかも押し流す
 すべてきれいに灰にする
 土砂に埋もれる
 風に巻かればらばらになる

 怖いのは山津波よ
 火事よ
 濁流よ
 突風よ

 外に出ちゃダメ
 ここにいちゃダメ

 何を信じればいいのか
 最後に決めるのは自分だ
 いつだって


倒れた本棚を抱え起こし形ばかり本を押し込んだがほとんど変わらない。ばらまかれた本の海の中で横になると、瓦の落ちた屋根から星が見えた。澄んだ夜空に瞬く星の輝きをいまもはっきりと思い出せる。


 動けるまでは動き続ける
 言葉も紡ぐ
 倒れるまで
 やれることをやらなくては

 流れる血を止め、かさぶたの下に新たな皮膚を作るまで
 その血すらもいつか止まるまで



 * * * * *



阪神灘区におりました。
(どちらかといえば、「あんな場所にいてこんなにPTSDになってない人も珍しい」と言われるぐらいの強心臓)
こんな私が言うのも何ですけど…。
気持ちはもうこの通り、痛いほどわかりますので、どうかどうか、どうしても避難はしてください、としか言えません。
あの日犠牲になったすべての方、家を失い心を打ち砕かれたすべての方に。



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