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読書とは、作者との対話の時間。

 僕の読書は、夜にはじまる。晩ご飯を食べてお風呂に入って、そのポカポカになった体でソファに寝転んで、そばにある本棚から一冊の本を取り出す。

 夜なのでゆっくりと読書ができる。朝のように時間に気を取られなくて済むし、次の予定のことで頭がいっぱいになることもない。だから、僕の読書タイムはいつも夜にはじまる。

 本棚から取り出す小説は、すでに読み終わった作品であることも多い。内容やあらすじは知っているけれど、改めて再読することで、同じ言葉を何度も何度もなぞるのが好きだ。

 さーっと流れるように読むのではなくて、その物語が書かれたスピードで、一つひとつの文字に焦点をあててみるのも案外楽しい。

 小説のここの一行は、他にもこんな風にも書けるのではないか。もしかしたら、作者は色々と迷った末に、このような書き方を選んだのではないか。そんな答えのない対話をしている。

 そのせいで、読んでいて1ページも進まないことがある。ずっと同じ行ばかり辿たどっていることもある。小説のストーリーを追うのではなくて、書いている人の立場で文字を追う。

 巷では、速読術と呼ばれる本が本屋に並んでいる。多くの人の関心を集めるジャンルとなっている。もちろん、必要な情報をスキミングして、キーワードを拾い読みするような読書のやり方は、ある意味では効率的かもしれない。

 けれど、作者の気持ちになって読むことはできない。キーワードには文脈がないからだ。血が通っていないからだ。無味乾燥な文字の羅列にすぎないからだ。

 読書とは、作者との対話の時間だと思う。対話をしようと思ったら、速く読もうとしてはいけない。作者と呼吸を合わせて、文章が書かれている速度で、ある程度の時間をかけて読む。同じ箇所を何度も何度も読む。

 僕の読書が夜に始まるのは、もしかすると、ゆっくりとした作者との対話を楽しむためなのかもしれない。

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