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短編小説|歩く辞書

ショートショート(超短編小説)を書いています。今回のタイトルは、『歩く辞書』。ある日、博学自慢の男が異世界に迷いこみます。一体そこはどこなのか?クライマックスで明かされる真実に驚くこと間違いなし。
再投稿です。なので、読んだことがある人がいればごめんなさい。

「ここはどこだ?」

男は気づいたら異世界にいた。といっても現実世界と何が違うかは説明がつかなかった。

男は子どものころから「歩く辞書」と言われてきた。何でも物知りだったため、まわりからそう呼ばれた。大人になってもその知識の量ははかりしれない。そんな彼でも今置かれている事態を説明することはできなかった。

近くで少年がもの珍しそうにこちらを見ていた。おそらく自分が違う世界の住人だと察しているのだろう。
「すみません。ここは一体何ですか?」
「わたしとあなたが存在する場所です」
訳のわからない答えが返ってきた。少年はそれ以上はしゃべらなかった。

彼はさらに異変を感じた。少年のくせに喋り方が大人びているのだ。ふつうの少年なら自分のことをわたしなどと言うはずがない。

もしかすると、未来に来てしまったのかもしれない。タイムトラベルというやつだ。博学自慢の男は推測した。それなら辻褄が合う。

男にとって見たことのない世界などない。これまでたくさんの地域に旅をしてきたし、たくさんの書物を読んできた。だからこそ、男の辞書に知らないの文字はなかった。ただひとつだけあるとすれば、それは未来の世界だった。

男はふたたび少年に訊ねてみた。
「ここは未来ですか?」
「未来ではありません。未来とは、現在の後にくる時のことです」
また変わった答えが返ってきた。少年はそれ以上はしゃべらなかった。

未来ではないとすると、別の星だろうか。男はさらに混乱した。仮に別の星だとしても疑問点は残る。この星の住人は、地球人とまったく同じ姿かたちをしているからだ。

「大雨が降り始めます。早急に逃避してください」
そう言うと、とつぜん少年は走りだした。男ははじめ状況が読めなかったが、とりあえず少年についていった。すると、少年の言うとおり大粒の雨がばらばらと降ってきた。

気づいたら男の着ているズボンがすこし破れていた。
「もしかして紙?」
この世界では全てが紙で構成されているようだった。だから、すこぶる雨に弱い。建物も人もすべては紙でできている。

見渡すと、多くの家やビルが濡れていた。なかには、くずれ落ちたビルが隣のビルに倒れかかっているひどい物もあった。

すると、遠くの方で老婆が倒れているのが見えた。かけ足で向かうと、老婆は体が水で濡れており、無惨にも体が折れ曲がっていた。

男は狼狽していると、それに気づいた住人たちが老婆のまわりを囲い始めた。そして、一斉に息を吹きかける。
「フー。フー。フー」
すると、少しずつずぶ濡れの老婆の体はもとにもどり始める。しかし、完全に元の体にもどることはなかった。完全に手おくれだった。もっとも、住人がより多く集まれば救われた命かもしれない。

老婆は最期の会話をはじめた。
「わたしは昔、スイスのチューリッヒで動物学者のズールー族に会ったことがある。」
老婆は、訳のわからない話を始めた。ズールー族は南アフリカに住む一族だ。本当にスイスのチューリッヒで会ったのだろうか。また、本当に動物学者のズールー族がいるのだろうか。博学自慢の男でも理解できない話ばかりだった。

老婆は話を終えると、永遠の眠りについた。しかし、これもどこかおかしい。生命の終わりを迎えたというよりは、老婆はグーグー眠っている。漫画の吹き出しがあれば、Zzzがついてもおかしくはない。

男はふとまわりを見渡すと、泣いている者は誰ひとりいなかった。どちらかというと、皆冷静に会話をしていた。
「おかしいなぁ」
男はそうつぶやくと、地面に落ちていた老婆の手帳が目に入った。

それは分厚い手帳だった。ページをめくると、異様なカレンダーが目に止まった。カレンダーをよく見ると月がおかしい。12月の次は2月になっている。そして2月が終わると、1月にもどっていた。

男は不思議がっていると、近くにいた若い女がクスクスと笑っていた。男は、ばかにされたことに腹を立てながら言った。
「何がそんなにおかしい?」
「だっておかしいのですもの。自分が博学だと勘違いなさっている」
「いや。正しいのは私だ。間違っているのは君たちのほうだ」
「いいえ。私たちが間違うことはないですわ。間違いなら、天と地がひっくり返るでしょう」

女は当たり前のように言った。男は彼女の間違いを証明するために、いくつか質問を始めた。どっちが物知りなのかをはっきりさせるのが目的だ。

「織田信長が築いた安土城があるのは何県?」
「分からないわ。だから、そんなもの存在しないわ」
女は堂々と言い切った。彼女にとって、自分が知らない物は存在しないらしい。なんて傲慢なやつだ。

つぎに、彼女が質問する番がきた。
「あなたが迷いこんだ世界はどこでしょう?」
「わかりません」
「ふふふ。教えてあげようかしら」
「お願いします」
僕は必死で頭を下げた。この際、自分の方が博学かどうかなんてどうでもいい。自分がいる異世界が何なのかをただ知りたかった。

すると、女はゆっくりと話し始めた。
「たくさんの言葉であふれる厳密な世界よ。簡単に言うと、物知りの集まった世界よ。」


✳︎✳︎✳︎
男は目を覚ました。気づいたら、ベッドの上で英和辞書を片手に居眠りをしていた。寝ている時についた自分のよだれがページを濡らしていた。

男が開いていた辞書のページはZzzだった。つまり、辞書の最後のページだ。

その瞬間、彼の中で点在していたばらばらの情報がひとつにまとまった。彼が迷い込んでいたのは、未来でもべつの星でもない。辞書の世界だったのだ。

だから、少年は物事を正確に記述するし、人々は雨に弱い。おまけに、カレンダーの月もアルファベット順だったのだ。

男は自分の行動を恥じた。自分が博学を競っていたのは辞書だったのだから。

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