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超短編小説|猛獣と通勤電車

今日は、短編小説『猛獣と通勤電車』をお届けします。ある日、イベント制作会社で働いている主人公の僕は、目を覚ますと牢屋に閉じ込められていた。いったいそこは、何なのか!?最後にあっと驚く展開があるので、お楽しみに。

 通勤電車。そこは、いつも満員できゅうくつな場所だ。片手でつり革を握り、左右の足で重心を交互に切り替える。聞きなれたアナウンスや窓から広がるあの光景。日常のありふれたひと時だったが、もうないと思おうとどこかさびしい。

 あの牢屋に入るまでは、毎日電車で通勤していた。だから、電車を降りると、いつもの駅があり、いつもの道があった。僕は、いつもここを通って会社へと足を運ぶ。そこには親しい同僚がいて、怒りっぽい上司がいた。楽しいこともあり、つらいこともあった。でも、今思えばそれも悪くはない。

 僕は、目を覚ますと牢屋の中にいた。そこは、灰色のコンクリートの地面で、せまい部屋だった。3月と4月のはざまの春風が背中に吹きつけていた。スースーとすきま風が聞こえてくる。あたりはまだ暗い。自分だけがぽつんとそこにいた。孤独だ。しかしそれ以上に、頭が追いつかなかった。

「これは夢だろうか?」

 頭をフル回転させたが、何度考えても同じ結論にたどり着く。僕は春の眠気に包まれたまま、また眠りについた。


 ふたたび目を覚ましたのは、しとしと降り続けている雨の音を聞いたときだった。僕は、ぼーっとしていた。

 夢ともうつつともつかないまま、後ろの扉からとつぜん誰かが入ってくるのを感じた。オレンジ色の作業着を着ている若い女性だった。満面の笑みを浮かべて、そっと生肉を置いている。不気味だ。何かが変だ。

「自分で焼いて食べろというのか」

 僕は彼女を睨みつけると、そそくさと逃げていった。

 僕が何をしたっていうんだ。まいにち満員電車に揺られ、会社へ向かい、淡々と仕事をこなしていただけではないか。こんな仕打ちが許されても良いとでもいうのか。

 おもえば、イベント制作会社で働いていたあの日々は苦痛だった。僕は会社でディレクターを務めていたが、クライアントの要求に応えるためのアイデアで頭がいっぱいになっていた。考えているときは、頭のなかが孤独になる。

 まわりにたくさんの人がいるのに、自分しかいないような感じがした。それでも、牢屋にいるよりはましだと思う。そうして、ふたたび後ろのドアが開き、世にも恐ろしい猛獣があらわれたのは、その時だった。

 僕は、目を疑った。びっくりして、立ち上がった。だが、あまりの衝撃に足がもつれた。それも無理はない。あらわれたのは、百獣の王ライオンだったのだ。相手は、こちらを睨みつけ、ゆっくりと近づいてきた。僕の目の前に来たとき、ライオンは足を止めて、用意されてあった生肉に噛みついた。

 ひとまず助かった。僕は、少しだけ冷静さを取り戻すと、柵の外に人だかりができていることに気づいた。そこには、異様なほど仲むつまじい夫婦や、無神経なほどいちゃついているカップルがいて、スマホをこちらに向けて写真を撮っている。不気味だ。でも、少しだけ分かったことがある。

 僕は、きっと見せ物にされている。ずいぶん昔に世界史で習った。古代ローマでは、コロッセウムとよばれる円形闘技場があり、見せ物による娯楽が提供されていた。動物と奴隷による戦いが行われ、多くの血が流れた。

 理由は分からないが、今でも裏でこんなことが行われているのだろう。僕は巻き添えになってしまった。

 ライオンは、最後のひと切れを僕に差し出してきた。びっくりした。食べられると思っていたのに、食べさせてもらうなんて。

 僕は、たいそうお腹がすいていたのだろう。生臭い匂いも感じなくなっていた。目の前の肉にかぶりつき、あっという間にたいらげた。おそらく、これが最後の晩餐。でも、不思議と味はしなかった。腹を満たせただけで満足だった。

「おい。うまいか?」

 ライオンは言葉を話した。二度と話すことができないと思ったのに、向こうから話しかけてきた。びっくりだ。世界の謎だ。

「ありがとう。でもなんで?」
 僕はすかさず聞き返した。
「なんでって、歓迎だよ。オレ1人じゃ孤独だろ」
 
 不思議な気持ちになった。孤独というのは、どうやら人間だけではないらしい。

「なんで孤独なんだい?」

 僕は前のめりになりながら、興味津々になって尋ねると、「当たり前だろ。こんな狭いところに閉じ込められてるんだから」と即答された。

 彼によると、まえは別のところにいたらしい。草原で仲間と一緒に育ったらしい。広い場所で自由に過ごせて、定期的に食事も与えられた。仲間とよく喧嘩もしていたけれど、悪くはなかった。それから、とつぜんここに連れてこられて、仲間を失った。自由も失った。

 僕もお返しに、昨日までの日常のありふれた暮らしを語った。イベントを企画していることや、毎日通勤電車に揺られ、つらくもあり楽しくもあることを話した。

 そして、そのささやかな日常が失われたことをお互いに嘆いた。このまま狭い場所に閉じ込められて、一生を過ごすのかと考えると耐えられない。絶望だ。そのあとも、たがいに聞いたり、話したりを繰りかえしながら、絆を深めていく。

 それから、1時間くらい経っただろうか。僕は、喉がかわいていた。ライオンに連れられて、水飲み場に案内してもらった。行くと、岩の溝に水がたっぷりと入っている。

 僕は、体の重心を後ろに倒し、上から岩にかがみ込んだ。その瞬間、水面に映った自分の姿に言葉を失った。

次に読むなら

主人公の"私"と羊が「大人になることについて」語っているお話です。短いので、3分くらいで読めると思います。

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