短い言葉で伝えられない時は、物語が代弁する。
世の中には、物事の意味を一言で説明できない言葉がある。簡潔に定義をしようとすると、正確さに欠けてしまう類のものだ。
これはたとえば、「恋ってどういうものですか?」というような質問と同じで、分かりやすい説明やはっきりとした定義などこの世に存在しない。
僕は昨日、たまたま村上春樹氏の『村上春樹 雑文集』に収録されている「ビリー・ホリデイの話」というエッセイを読んでいて、このことに気づかされた。
本の中では、「ジャズとはどういう音楽か?」について語られていた。どうやら村上春樹氏はときどき、若い人からこういった質問を受けるらしい。
村上氏はその質問に対して、一言で片づけられるようなテーマではないと前置きしたうえで、かつて自分が小説家になる前、ジャズ・バーを経営していた時に自身が体験したある日の出来事を綿密に描写している。
僕はそのエピソードを読んでいる間、まるで村上氏の小説を読んでいるかのような不思議な気持ちになった。
そして、話の終盤に差し掛かったところで、本題が「ジャズとはどういう音楽か?」という問いであることに改めて気づかされる。要するに、肝心なテーマを忘れるほど話に没頭していたのだ。
というのも、エッセイのなかで語られているエピソードは、ジャズにまつわる話なのだが、本題となる答を何ひとつ掴むことができないのだ。
最後まで読んでも、「お話は良かったけど、けっきょくジャズって何なんだろう?」という感想を抱いてしまう。
ジャズをこよなく愛し、ジャズ・バーまで経営していた村上氏は、もしかすると、文章を通して「ジャズの定義は簡単には語れない」ということを伝えたかったのかもしれない。
エッセイを読んで、ジャズに興味をもつきっかけになり、音楽に耳を傾ければ、少しはジャズがどういう音楽なのか分かるはずだ。こんなことを言いたかったのかもしれない。
もっとも、「ジャズ=即興の音楽」だと安易に考えながら読んでいた自分を恥じるしかない。
2021.6.16
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