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[小説] バイト研修

 連作短編「塾講師日誌」です。気の弱い大学生、多田一輝が塾講師にチャレンジする物語です。今回は、4話『バイト研修』です。
 話の続編を定期的に更新していきますが、一つひとつの作品は独立しているので、前のエピソードを読んでいなくても、読み進められるようになっています。→アーカイブは、こちらから読めます!!

「あぁぁぁぁ」
僕は、どことなく落ち着かない気持ちを感じていた。というのも、今日は塾バイトの研修日なのだ。
「どうしたの?」
すかさず彼女が聞いてくる。里英はいつも冷静だ。
「なんかムズムズする。はじめての塾に緊張とわくわくの気持ちが入り混じっている感じ。」
「何それ?」
彼女はまるで天使かのようにやさしく微笑んでいた。

そうこうしている内に、出発の時間が迫ってきていた。僕は、慌ただしくお風呂に駆け込み、シャワーを浴び、シャツに着替え、ネクタイを締めた。
「シャツがしわくちゃだよ。アイロンをあてるよ。」
「ありがとう。助かるよ。」

彼女の助けもあってか、予定よりも少し早く家を出れた。外を出た僕は、時計を確認しようと腕を上げた。
「あ、時計がない」
あれだけ完璧に準備をしたのに、大事なもの忘れていた。
「忘れ物。はい、時計。」
すかさず彼女から時計を渡される。里英は、一輝が家を出てから、すぐに気づいてくれたのだ。まるでおかんみたいだ。僕は、お礼を言って、大急ぎで自転車をこいで、塾へ向かう。

塾に着くと、すかさず時計を確認した。
「6時25分。なんとか間に合った。」
階段をゆっくりとのぼり、塾の扉をそーっと開ける。
「すみません。」
「多田先生?待ってたよ。」
中に入ると、180cmくらいのすらーと背の高いスーツの男が立っていた。しかも自分が先生と呼ばれるなんて。なんだか少し偉くなったような不思議な気分になってきた。
「はじめまして。リーダー講師の浜野です。今日から多田先生のサポートをさせてもらいます。なんでも聞いてね。」

とても、やさしそうで頼もしそうな方だ。
「では、まず、指導の流れを説明します。」
「はい。」
そして、浜野さんは、塾のシステムの説明を始めた。
「塾では、指導のあとに確認テストというのがあります。講師がオリジナルで授業で教えたことの復習問題を作り、生徒に解かせます。」
「なるほど。テストは何分ですか。」
「時間は決まっていないけど、だいたい10分程度で解ける問題を作成します。生徒は、全部解けたら、お家に帰れるようになっています。」

「なるほど。」
「あと、授業が終わると、指導報告書を書かないといけません。親御さんに見せるものなので、丁寧な字で書かないといけないんです。」
浜野さんは、書きかけの指導報告書を見せてくれた。そこには、達筆な字でぎっしりと書かれていた。そこからも、几帳面なのがうかがえる。

ひと通り説明が終わると、他の先生方の指導しているところを見せてもらった。
「すごい。よくできた。この調子で頑張ろう。」
見学させてもらった先生は、とてもほめ上手で、生徒もやる気に満ちていた。しかも、紙に丁寧な文字で書き込み、図を駆使して説明していてわかりやすい。自分が受けてみたいほどだ。

指導を見終えると、ひとりの女子生徒が話しかけてきた。
「新しい先生?」
「うん。今日から先生になるよ。」
僕は、その女の子に自己紹介をした。すると、その女生徒は不安そうな顔で切り出してきた。
「先生、わからない問題があるんだけど」
「どんな問題?」

彼女は、かばんの中からテキストを取り出し、その問題に指をさした。見てみると、英語の文法の問題だった。

【問題】次の日本文に合うように(          )の中に入る単語を入れよ。
みんな彼のことを知っている。
Everyone (          ) him.

答えはすぐに分かった。knowsだ。everyoneは、単数扱いなので、三単現のsで、knowsとなるのだ。
「先生、どうしてknowじゃないの?」
僕は、黙り込んでしまった。確かにそうだ。everyoneは、「みんな」という意味だから、普通に考えれば、複数だ。でも、どうしてかは説明できない。
「everyoneは単数扱いだから、覚えておこう。」
「はい。」
こう説明するしかなかった。でも、その生徒は納得できない様子だった。首を傾げて、考え込んでいる。僕は、ただ呆然と立ち尽くしていた。

「研修はこのくらいにしようか。」
浜野さんのひと言で、我に帰った。ずいぶん時間が経っていたみたいだ。気付いたときには、その生徒も帰っていた。

最後に僕は、浜野さんにお礼を言った。
「今日はありがとうございました。これからも頑張ります。」
「それは良かった。次回から指導してもらうからよろしく。」
「えぇぇ。まじですか?」
驚きが隠せなかった。研修はこれで終わりらしい。次からは、みんなと同じ講師だ。研修中という名札も初心者マーク🔰もない。社員もバイトも生徒からしたら関係ない。僕は全身の震えをおさえながら、塾を出た。

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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