作家とはなにか。
僕はプロの作家ではありませんが、小説を書くのが好きでnoteに短編小説を投稿しています。
そんな僕は、少しまえ、村上春樹さんのエッセイ『職業としての小説家』を読みました。何年か前に買った本なのだけれど、なぜか読まずに僕の本棚の奥底に眠っていました。
買った当時は小説なんて書いていなかったし、後で読もうとそっとしまっておいたのだと思います。今思うと、noteを始める前から書くことに興味があったようです。
小説とは何か
小説とは何でしょう。おそらく、多くの人がイメージしているのは、「架空の作り物の物語」といった感じでしょうか。
これについて、村上春樹さんは次のようにおっしゃっています。
たとえばを繰り返す作業。明瞭でオリジナリティに富んだ説明です。論説文といった類の文章とは違うということも分かります。
小説は、書きたいテーマに対して著者の主張を述べたりはしません。創作の物語において、書きたいテーマに関する「たとえば」を繰り返していきます。
だから、小説を読んだときの感じ方も人それぞれだし、それが読後の余韻として残るのだと思います。
僕は小説を読み終えた時、何とも言えない感情になることがあります。おそらく、そのときに小説の持つ後味を味わっているのだと思います。
また、村上さんは、小説を書くことについて次のような比喩を用いて説明されています。
地道な作業ですね。この文を読んだとき、密室で「ああでもない、こうでもない」と言いながら、頭をかいている様子を思い浮かべました。
小説家というと、締め切りギリギリになって担当編集者にせかされながら、何とかアイデアを絞り出し必死に文章を書いている印象があります。サザエさんに出てくる、伊佐坂先生のようなイメージです。
しかし、村上春樹さんはいささか事情が違うようです。実際、長編小説を書いている時は、毎朝4時に起きて原稿を書き始めます。それから、5時間くらい執筆に集中します。そして、分量は必ず原稿用紙十枚程度まで。それ以上になることも、それ以下になることもありません。
例えるなら、マラソンのようです。常に一定のスピードで筆を進めていき、早くても遅くてもだめ。自分と対話しながら進み、ときには呼吸を整えていく。そんな感じでしょうか。
小説家に向いている人とは
小説家に向いている人とは、どんな人でしょうか。また、小説家としての資質を持っている人とはどんな人でしょうか。
小説家として成功するのに、運や人との縁などもあるでしょうが、村上さんは次のように述べています。
村上さんが考える「資格」とは何なのでしょう。ここでは、具体的には述べられていません。
それから、次の文を読んでも、次のページを読んでも、その答えはどこにも見当たりません。それからずーっと読んでいくと、10ページ以上先にその答えらしきものが見つかりました。
これが答えです。つまり、専業作家というのは、書きたくて、書きたくてしょうがない人のことで、密室で閉じこもって創作を行うという孤独な作業に耐えられる人だということです。
そういう意味では、村上さんも書かずにはいられない衝動に駆られて創作をつづけているということなのでしょう。
大切なのは、つづけること。
一緒にするのはおこがましいですが、僕は文章を書くうえで大切なのは、つづけることだと思います。
なので、最近、書きたいと思った時になるべく早く書いて、すぐにnoteに投稿するようにしています。「書きたい」という熱い気持ちが冷める前に。
当たり前ですが、書いているとき人は孤独です。逆に、誰かと一緒に文章を書くなんて聞いたことがありません。
孤独だけれど、孤独を忘れるほど集中できている瞬間があります。次の文は何を書こうかなぁ。ここは、どんな比喩を使おうかなぁ。考えているだけで楽しいのです。
そして、書いた文章は誰かに読んでもらいたくなります。純粋に読んだ感想が知りたいのです。文章も会話のようなもので、こちらが話しかけて相手から反応がなかったら寂しいのです。
そういう意味では、noteをやっておいて良かったと思います。1年前は、書いてもほとんど誰にも読まれなくて、暇があればダッシュボードを見て閲覧回数が増えていないかをチェックしていました。
今では、文章を投稿すると必ず読んでくれる読者がいるし、スキを押してくれたり反応してくれるので嬉しいかぎりです。
おしまい。
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