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ブログに対して思うこと

とある編集者の方に、「『べき』という言葉が多いですね」と言われました。

それを聞いて、「だから最近ブログが書けなかったんだな」と妙に納得。ふだんブログ論はあんまり書かないんですけど、思うところがあったのでちょっと記事にしてみました。


わたしは常日頃から「これはこうあるべき」っていう、揺るぎないマイルールというか、自分の世界の法則を持ってるんですね。

小学6年生の夏休み、毎朝9時半に図書館に行きました。
中学校から、国語はピンク、英語は黄色、社会は緑、数学は青、理科は紫のノートを使ってました。
高校の通学のときは、いつも同じ電車の同じ車両、同じドアから乗車。
小さいときから、お風呂は夜6時すぎ。夜ご飯は夜7時。夜9時に家族そろってお茶をして、夜10時に「おやすみ」と言って部屋に戻るって生活スタイル。

細かく言えばもっといろいろ「自分の世界はこうやって回るべき」っていう「わたしの世界の約束」があります。

そしてその束縛のなかで生きていれば、「自分の世界は滞りなく進む」と思ってるんです。


そういう人間だからか、社会に対しても「こうあるべき」っていう考えが強かったのかもしれません。

「他人の考えてることなんてわかんないから、口に出して伝えるべき。伝えないのであればこっちが慮る必要はない」
「他人がどう生きてようが関係ないから、アドバイスって体のお説教なんて聞くべきじゃない」
「他人に努力を強制すべきじゃない」

みたいな。

「自分のやりたいことだけをすべき」
「自分が最大限幸せになれる道をさがすべき」
「自分は自分なんだから、他人が振りかざす『常識』を無視すべき」

みたいな。


こういう「自分の世界の法則」があったから、常になにかに違和感を抱いてたし、なにかに怒ってました。

「こうあるべきなのに、なんでそうしないんだろう?」
「こうあるべきなのに、なぜそうならないんだ!」

最初のほうのブログ記事からは、わたしの怒りがヒシヒシと伝わってきます。そして当時、いろんな人に「尖ってる」と言われていました。

怒りの対象は自分の約束事に反している社会であったり、理想に追いつけていない自分であったりとさまざまなわけですが、とにかく「チクショウ」と思ってたわけです。


ブログを書く根底にそういう思いがあったからか、ブログをだれかのために書こうと思ったことはないし、ブログなんて自分の好きなことを書き散らかすものっていう認識でした。

だからわたしは海外移住情報もたいして書いていないし、自分の思いを書くブログだから、あくまでオピニオン記事がメイン。アフィリエイトもアドセンス以外やってないから全然稼げてません。
(たまーに本を紹介してるけど)

ブログを通してだれかを導いてあげようとか、有益な情報を書いて自分の価値を高めたいとか、そういう欲もまったくなし。

ただ、ままならない現実に怒っていて、その気持ちをブログに書いていた。それだけでした。

「だれかの背中を押せたらいいな」と思ってたのも事実ではあるんですけどね。あくまでも自分本位ではありました。


で、最近、なんだかブログが書けなくなってきたんです。その理由が自分でもわからなくて、ずっとモヤモヤしていました。

それと同時に、SNSやブログで目にする「こうすべき。そうしないやつはバカ」「こうすれば成功する。そうしないから失敗する」みたいな文章に、ちょっと辟易するようにもなりました。

みんながいたるところで「強い意見」を発信してるので、なんか四方八方から怒られてる気がするというか、「ちょっとうるせぇな」って思うようになっちゃったんですね。

注目を集めるために強い言葉を使うのは当然の戦略ではあるんだけど、いろんな人の「こうすべき」っていう思いを受け取りすぎて、なんか疲れちゃったんだと思います。

で、SNS疲れを自覚すると同時に、ブログへの熱量も落ちている。

自分自身もそれに気づいていたので、「ブログがつまらなくなってるのかも」「丸くなったのか……?」「もしやブログに飽きちゃったのか自分……」なんてヒヤヒヤしていました。


そんなとき、編集の方から「『べき』という言葉が多い」と言われて、ハッとしました。自分って「こうすべき」って思いに囚われてたんだなって。

ブログを書き始めたときは「こうするべきなのに!」っていう怒りがあって、それを書いていたから「尖っていた」んだと思います。

それはわたしの武器だったかもしれないけど、一通りもう怒りは発散してしまって、いまは「どうやって理想に近づくか」っていう方に意識が向いてきています。

怒りの熱量が落ちたってことはたぶん、「こうすべき」から解放されてきたってことです。だからブログが書けなくなってたんじゃないかなーと。


ドイツに来ていろいろと挑戦して失敗して、挫折して諦めて……。ブログをはじめたときはとにかく何をしてもうまくいかなくて、「こうあるべきなのにそうなれない」っていう怒りがありました。ストレスっていった方がいいかな?

とにかく、「うまくいかない!」っていうフラストレーションの塊だったんです、わたし。

日本はなんでこんなにもダメなんだ。
ドイツで自分はなんでうまくやれなかったんだ。
なんでみんな社会に疑問を持たないんだ。
なぜこんなこともわからないんだ。
わたしに口を出してくるな!!

こんな風に、納得いかないことばっかりでした。だから思う存分、その怒りをブログにぶつけていたんですね。


でも一年半くらいそれなりにもがいてきて、ある程度落ち着いてきたいま、「なににあんなに怒ってたんだろう?」って我に返りました。わたしはちょっと潔癖だったのかもしれません。

そんなに理想的で完璧な社会じゃなくとも、別にいい。生活できるだけのお金があって、家族がいて、友達がいて、パートナーがいる。それで満足するわけじゃないけど、それさえあればあとは+α。

そういう考えに変わってきたから、昔みたいに「ふざけんなよ!」っていう記事が書けなくなりました。結果、ブログで書くことが見つからない。


いままでずっと書いてきたブログは大切だし、好きだし、続けます。ただ編集の方の一言で、自分のブログが「怒り」や「フラストレーション」でできていたことを自覚して、なんでいまうまくブログが書けないかに気づきました。

そしたら「いまの自分に合ったブログにしてこう」と思いまして、いまどんなブログにしていこうか考えています。

内容としてはあまり変わらないかもしれないし、思いっきり変わるかもしれません。まだわかりません。

ただ、自分のなかの思いは基本的に全部文章にする人間なので、せっかくだからいま考えてることも記事にしてみました。

雨宮のブログに対する現在の思いは、こんな感じです。タイトルを『迷走ニュース』にしておいて本当によかったなーと痛感。

どうなるかわからないけど、それでも泥臭くいろいろやっていく気なので、これからも雨宮をよろしくお願いします!

ブログ→雨宮の迷走ニュース

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