銀河通信 その12 Always Coming Home7

「あ、遠山君」
 まさかこんなところでクラスメイトとばったり会うとは思わず、つい声に出して驚いてしまった。
「あれ、えっと……」
「同じクラスの水瀬遥香(みなせはるか)」
 自分でそう言いながら、名前すら憶えられていなかったのか、と軽くショックを受けている自分に気づく。
「あ、そうそう、水瀬だ」
 同じクラスの遠山護(とおやままもる)は学校にあまり来ないクラスメイトだった。片耳に二連のリングのピアスをしていて不良っぽい見た目の子だ。怖そうな見た目と独立した振る舞いから色々な噂をされているらしかったが、私はあまり詳しく知らない。今まで喋ったこともなかったような存在だ。
 夏休みも終わった平日の正午近く。お互いに学校にいるはずなのに、ある地方の土産物屋さんでこうして偶然にも休んでいるクラスメイトの二人がばったり会うなんて、なんてすごい確率だろう。
 外の陽射しが強く、大きな樹の木陰にある店は少し暗い感じだったけれど、涼しかった。店先には木製のテーブルと椅子がいくつかあり、その椅子のひとつに彼は座っていた。テーブルの上には飲みかけのビンのコーラがあり、彼の足下には氷水をはった金盥(かなだらい)とその中にビンやペットボトルの飲み物が冷やしてある。私はその中から無糖の炭酸水のペットボトルを買おうとして、彼に気づいたのだった。
「どうしたの、こんなところで」
「おまえこそ」
 遠山君は特に驚いた様子もなくぶっきらぼうに言った。
 まだ残暑の厳しい秋口。ある地方でのお祭りに私は学校を休み家族で来ていた。
 仕事の関係でパパがこの地方に先週から来ていたのだが、今日明日と珍しいお祭りがあるというので家族を呼び寄せ、せっかくなのでレイラ先生にも声をかけて先生も彼氏と参加することになった。それをかいつまんで話していたら、なんだか奇妙な感じだった。学校では話したこともなかったのに、旅先で偶然出会ったというもの珍しさに私は少し興奮していて、まるで親しい友達に話すみたいに彼に話しかけていたからだ。
「レイラ先生って?」
「家庭教師の先生」
「ふうん。俺は夏からずっと親戚の家に預けられているんだ。こっちの学校に転校することになるらしい」
 彼はそう言って土産物屋の奥でテレビを見ている主らしいおじいさんに目をやって、
「俺のじいちゃんなんだ。俺はひまだから店番してる」
 大きな樹の緑陰にある店先のテーブルに肘をついて私を見上げている彼に、私は対面の椅子の一つを指さして
「座ってもいい?」
 ときいた。
「いいよ」
「ありがとう。少し休みたかったんだ」
 氷水で冷えたペットボトルを水滴がついたままテーブルに置いてから、バッグからお財布を出して彼に飲み物代を渡すと、彼はそれを受け取ってから
「おまえひとり?」
「うん。みんな暑くて旅館の部屋にこもっている。私はひまだから散歩に出てきたの」
 私は椅子に腰かけて、ペットボトルの蓋をプシュッと音を立てて開けた。しゅわわっと炭酸が吹き上げてくるのをこぼさないようにさっと口をつけてごくごく飲むと、のどに強い炭酸の刺激と冷たさが通っていく。
 風が吹き抜けると木陰にいるだけで十分涼しいので、なんだか居心地が良かった。緑が多くて、山から流れてくる冷たい清流のきれいな川が近くにあるので、そこから吹いてくる風が気持ちいいのだ。
「いいところだね」
 私が機嫌よくそう言うと、彼は「そうだな」と言った。そうして私をまじまじと見つめてから
「元気そうだな」
 とぽつり言った。
「うん? 遠山君も元気そう? だね?」
 私がそう言うと、彼はちょっと黙った。
 あれ、元気じゃない、のかな?
 そう思っていたら、彼は
「湊(そう)、いいやつだったな」
 あ、そうか。
 湊君は遠山君とも仲良かった。
 親友の湊君が亡くなってしばらく私はふさぎがちだったし、遠山君は学校に来たり来なかったりだったし、たぶん、彼と最後に会ったときの私はふさぎがちの頃の私だったんだろう。
「うん」
 私が頷いて言うと、風が頭上の葉をさらさらと揺らしてさあっと吹き抜けていった。緑の葉の隙間から陽がこぼれて、手元にあるペットボトルについた水滴がきらきら光るのをきれいだな、となんとなく見とれていたら、
「あいつしばらく入院していただろ? 俺、何回かお見舞いに行ったんだ」
「そうだったの? 会ったことなかったね」
「うん。だって俺が行ってたのって、学校さぼってた時間帯だし」
 なるほど。
 私が納得していると、彼は言った。
「俺がよく出入りしてるゲーセンの近くで病院通いしてた湊と会ったことがあってさ、来週から入院することになったから遊びに来てよ、って気楽に誘うから、ひまだし何回か行ったんだ。あんなにあっという間に死んじまうとは思わなかったけど」
「学校さぼってゲーセンうろついてるって噂本当だったんだね」
「そこかよ」
 私は笑って彼に言った。
「湊君、喜んでたでしょう。遠山君がお見舞いに来てくれて」
「うん? まあな。あいつもひまだったんだろう」
「それだけじゃなくて、遠山君が運んでくる空気が湊君には楽しいものだったんじゃないかなって思う」
「ふーん?」
 遠山君は立ち上がり、お店の奥に入っていった。
 私はひとり残されたので、炭酸水をちびちび飲みながら、大きな枝葉を広げている店の前にある大木を見上げていた。緑の葉を透かして宝石みたいな光がこぼれてくる。
 きれい、だな──。
 なんだか居心地が良くて、ぼんやりときらきら光る風に揺れる葉っぱに見とれていたら、遠山君が大きなお皿におにぎりとからあげときゅうりのおつけものをのせて戻ってきた。どん、とテーブルの上にそれを置いて
「食うか?」
「う、うん」
 私はちょっとびっくりしまま、頷いた。そして店先にある水道で一緒に手を洗って、そのまま店の外に出してあるテーブルで二人でおにぎりを食べた。
「ピクニックみたい。美味しいね!」
 にこにこして私が言うと、遠山君はちょっと満足そうに頷いた。
 ざわざわと葉擦れの音がして涼しい風が通り、強い陽射しにやかれる木々や草花を揺らしていった。遠くに見える深い緑の山と清流、ぽつんぽつんとある民家、畑や果樹園。緑が多くて、光があふれていて、鳥や虫の声、水の音、風の音が心地よく響いている。
「きれいだなあ。いいところだなあ」
 私が何度もため息をついてそう言うたびに、遠山君はちょっと嬉しそうにした。
 リラックスした素直な彼の様子はなんだか可愛らしくて、私はちょっとせつなくなった。
 そうか、この子とはもう学校で会うことはないかもしれないんだな。
 でも、こんなふうに日常と離れたところでこうしているのは気持ちが良かった。そんなにたくさん喋る方ではない彼とあまり喋らないで一緒に居ても居心地が悪いという感じがしなかった。
 こんなふうに仲良くなったのに残念な気がしたけれど、それでも、こんなとき、いつかみんなそれぞれの道へと行くのがどうしようもなく私にはわかってしまう。きっと生きて別れても、死に別れても、みんなそれぞれの旅路にいるようなものなのだ。湊君も、遠山君も、私も、パパやママだってそうだ。悲しくはない。ただこうやって一緒に同じ時を過ごせることのものすごさに、こんなふうにふいに気づいてしまったときに、せつなくなるだけだ。あまりに大切すぎて涙ぐみそうになるだけなのだ。
「こんなものしかなくて」
 内気そうで優しそうなおばあさんが店の奥からおぼんに冷たいお茶とすいかをのせて持ってきてくれた。
「俺のばあちゃん」
 遠山君がそう言って紹介してくれたので、立ち上がって
「遠山君のクラスメイトの水瀬遥香です」
 とぺこんと頭を下げると、お祖母さんはにこにこしながら言った。
「よかったらまた遊びに来てね。護ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
「水瀬はたまたま親の仕事の都合と旅行で来てるだけなんだよ」
 遠山君が照れてお祖母さんにそう言うのを眺めながら、なんかいいなあ、と私は思っていた。
 ゲームセンターや繁華街はここにはないけど、遠山君は前よりずっとのびのびしてもっと自由な感じだ。我関せず、みたいな独立した自由な感じは前からあったけど、どこか緊張してぴりぴりと張りつめた感じも彼にはあった。それがここにいる彼には殆ど見当たらない。ちょうどよくほどけてゆるんでいる感じ。
 山の方から木々を抜けて清流を渡ってきた涼しい風が私たちを心地良くなでていく。木漏れ日がきらきらと私たちの手元に降り注いだ。
 優しそうなお祖母さんが会釈して去って行ってから、私は何となく遠山君に話してみたくなって、誰にも言ったことのなかったことを口にしていた。
 今、ここで、彼と──空の青さや光のぐあいや風の感じ、鳥や虫の声、川のせせらぎ──そのすべてにそうしたいと思わせる何かがあって、私の背中を優しく押したみたいだった。
「私、湊君が死んでしまってから、不思議な夢を見るんだ──」


「昼飯にも戻って来ないと思ったら、ちゃっかり地元のかっこいいやつナンパしているとは。親に言いつけてやろう」
 背後から声をかけられて振り向くと、レイラ先生の彼氏の陽志(ひろし)だった。
「なんだ陽志か。レイラ先生は?」
「おまえ何で僕は呼び捨てで、レイラには先生づけなんだよ」
「だって先生だもん」
「レイラは遥香の母さんと露天風呂に行った」
 陽志はそう言ってにやにやしながら私と遠山君を見下ろした。
「クラスメイトの遠山君。偶然会ったの」
 遠山君は陽志の目の前で私に普通にきいた。
「誰?」
「レイラ先生の彼氏」
「ふうん」
 遠山君は物怖じしない直接的な視線で陽志を見ていた。
「生意気そうなやつだな」
 陽志は彼を気に入ったようで、にやっと笑った。そうして断りもなく私の隣の椅子にどかッと腰を下ろした。
「何か飲みますか」
 遠山君が陽志にそう言って金盥に目をやったので陽志は金盥をのぞきこんで、ひょいとコーヒーの缶ボトルを手に取った。
「冷えててうまそうだなあ」
「150円です」
「なんだ金取るのか」
「ここは遠山君ちのお店なの。ここに座るんだったら何か買いなよ」
 恥ずかしくなった私がたしなめると陽志はそうか、と自分のコーヒーと私たちにアイスクリームを買ってくれた。
「家庭教師の先生の彼氏とも仲いいんだな」
 遠山君が私に尋ねるので、私はなんとなく返答に困った。当人がいるそばで仲良しです、って答えるのも妙な感じだ。
「レイラと一緒に何度か会ってるからね」
 陽志が勝手に答えてくれたので、私は頷く。
 私と遠山君は時折ちらっと目を合わせたりしつつもくもくとアイスを食べた。
 陽志はのんきにコーヒーを飲んでいる。
 さらさらと風が吹き抜けて頭上の樹の葉を揺らすので、木漏れ日がきらきらと私たちに降り注いだ。鳥が一羽高く鳴いて飛んでいった。
 妙な組み合わせの三人だったけれど不思議と居心地悪くもなく、なんだかずっとこうしてきていたみたいにのどかだった。旅先という非日常のせい? 時間も人との間隔もゆるやかに流れているような感じで、誰が来て加わっても去ってもすべてよし、というようなひとときの旅の仲間みたいだ。
 本当はみんなそんなふうに、ゆるやかに流れていくものなのかもしれないのに、なんだか日常の生活の方が窮屈な気がした。時間も人も関係も本当は必要のないはずのいろんなものに制限されて滞っているような。いつのまにか自然なのびやかさを失ってしまっているような。ゆるやかな旅の仲間としての、時間も間隔も自由に伸びたり縮んだりする、そのときそのときによってかたちを変えたりして流れている、こっちの方が本来の在り方に近いような、そんな不思議な感じがした。
「このひとも夢に出てくるの?」
 アイスを食べ終わった遠山君がそう私に尋ねたので、私は頷いた。
「なんの話?」
 ひまな陽志は小学生どうしの話題に普通に入ってくる。
「水瀬が不思議な夢を見るっていう話を聴いてたんです。陽志さんが来るまで」
 遠山君がそう普通に答えるので、私は成り行きで陽志にまで夢の話をすることになってしまった。友達が亡くなってから、不思議な夢を続けて見るようになった──ただそれだけのことなのだけれど、私が話す夢の話を二人は興味深そうに聴いてくれるので、つい細かいところまで色々と話してみたりして、話しながら私は不思議な気分だった。夢を見ている時、私はそれらすべてをみている映画監督でもあり、観客でもあり、キャストでもある。それと同じような感じが、ふっとこの時にもしたからだ。
 これもわたしがみている夢なのでは? ふとそんな気持ちにもなったりした。
 一通り話し終わると、陽志は言った。
「へえ、面白いね。僕と会う前に、僕とそっくりなやつを夢に見ていたとか、ちょっと変わった予知夢みたいで。で、それってどんなやつなの? さぞかしいい男だろうな」
「馬なの」
「人間じゃないのかよ!」
 小学生相手にむきになっているおとなの陽志にうけたのか遠山君は楽しそうに笑った。
 笑うと素直そうな可愛い男の子のかおになるんだなあ、と私はなんとなく思っていた。なんだかはっとする。こんなふうに、無邪気なかおをみると。それは陽志も一緒みたいだった。一瞬、ふたりで遠山君にみとれたのがわかったから。そして彼を見る陽志の瞳がなんだか前よりもやさしくなったから。
「うそうそ。風の馬っていう先住民族の男の子なんだけど、陽志よりもずっと大人っぽくてかっこいい」
「なんかむかつく言い方だな」
「そして遠山君は仲良しの女の子なんだ」
「水瀬の話を聴いていたら、なんだかいつかどこかで、そんなふうにしていたことがあったみたいな、まるで前世かなんかでそんなことがあったみたいな不思議な気分になるなあ」
 遠山君がそう言うので、私はちょっと嬉しくなった。
「遠山君とこうやって話すのは初めてなのに、なんだかずっと前から仲良しだったような感じがしていたのは、私だけじゃないんだね」
「俺ってのりやすいのかなあ。でも、こうしていると、なんか妙に親しみのような馴染みのいい感じがあるのは事実なんだよなあ」
「遠山君はランっていう女の子で、とってもきれいで頭がよくてしっかりしている子なの。私たちは幼なじみなんだけど、ランの方が私より少しお姉さんなんだよ」
「ふーん」
「なんだか変な感じ。こんな風に夢の話を二人にして、二人がばかにしないでちゃんと聴いてくれているなんて」
 私が少し照れてそう言うと、少し間を置いてから陽志は言った。
「前世かどうかまではわからないけれど、夢時間っていう次元のようなものがあるっていうのは聞いたことがあるよ。ちょうど遥香の夢のなかでいっているような別の次元のスペースみたいなものらしい。遥香知ってた?」
「知らない。夢時間ってシャンティたちが巫女のような仕事をするときに入る次元のようなもののことなんだけど、それって本当にあるの?」
「本当にあるかどうかまでは知らないけれど、そういうものがあるっていう話は聞いたことがある。レイラと共通の友人にサイキックな能力があるやつがいて、遥香が今言ったようなことと似たようなことを言っていたんだよ」
「超能力者ですか?」
 興味津々という感じで遠山君は陽志に尋ねた。
「物を宙に浮かべたりスプーンを曲げたりとかいうのではなくて、霊視とかいうやつ? そういう能力がある奴なんだよ。物から持ち主の情報を読み取ったり土地にまつわる歴史のようなものを言い当てたりとか」
「そういう仕事をしている人ですか?」
「いや。そういう能力はあるけど、仕事としてしているわけではない」
 そのままあれこれ興味津々で積極的に質問する遠山君に答えているうちに、いつの間にか陽志と遠山君は意外に気が合うらしく仲良くなっていた。遠山君はスーパーナチュラルな分野に関心が高いらしい。そういうことに関して何故か珍しい知識がある陽志と遠山君の会話から私は何となく取り残されていたくらいだった。
 ひとって本当に外から見ただけではわからないものだ。人の組合せって面白い。一種の化学反応みたいなものなんだ、こんなふうに意外な側面が飛び出してきたりもする。なんて面白いんだろう。なにごとにも相性ってあるんだなあ。私は目の前で意気投合する楽し気な二人の男の子たち(ひとりは小学生でもうひとりは大学生なんだけど)を眺めながらそんなことを思っていた。
 遠山君と私たちは夜のお祭りの時に再会することを約束して別れた。
「おまえもなかなかやるじゃないか。いい男じゃん。生意気に片耳ピアスなんかしちゃってかっこつけてるけど」
 旅館までの帰り道、陽志はそう言って私をひやかした。
「そんなんじゃないよ」
「近頃の小学生はませてんな~」
「人の話聞いてる?」
 ムダだと思いつつ私は言った。
 陽志は私の小言を無視して私の前をのんびりと歩きながらつぶやくように言った。
「遥香と護もいるし、せっかくだからあいつもここに呼びたいんだけど、チャイムを預かってもらっているからなあ」
「え、もしかしてそれってさっきの話の超能力者の人?」
「うん。来れば? って言えば、面白がって来そうなんだけどなあ」
 チャイムとは、陽志の飼い猫のことだ。旅行に来ている間の世話をそのひとに頼んでいるのだと言う。
「旅館の人にペット連れで泊ってもいいですかってきいてみたら? いいよって言ってくれるかもよ?」
 噂の超能力者に会えるなんてそんな珍しいこと、逃したくない。好奇心から積極的になった私が陽志を引っ張って旅館の女将さんにかけあってみたところ、なんとあっさりOKがもらえたので、早速私は善は急げと陽志を急き立てて連絡をとらせ、急きょその陽志の友人も今夜ここにやって来ることになったのだった。
「チャイムを乗せて車で来るって。なんだか旅の仲間が増えてこういうのも楽しいな」
「ほんとだね!」
 うきうきしながら居室への階段を上っていたら、浴衣姿のレイラ先生とママが廊下の奥からこっちへやって来るのが見えたので手を振った。気づいた二人が手を振り返しこちらにやって来たので階段の途中で待った。浴衣姿の二人はなんだか対照的だった。ママはなんというか浴衣姿がさまになっていたけど、レイラ先生の方はなんだか浴衣風のガウンを着ているみたいな感じだったのだ。
「ウェストがしっかりくびれていると浴衣が浴衣じゃなくみえるんだね」
 私がそう言うと、ママが教えてくれた。
「日本の着物はずん胴体型の方が似合うようにできているから、着物を着るときにわざわざウェストにタオルをまいたりするのよ。でもこれは浴衣だし、お風呂上がりだしね」
「ふうん。ママはタオル巻いてるの?」
 ママはむっとして答えた。
「巻いてません」
 私たちのやり取りをレイラ先生と陽志は笑いながら見ていた。
「それよりお昼も食べないでどこに行っていたの」
「偶然友達に会ったんだよ。お昼もごちそうになった」
 かいつまんで経緯を説明し、陽志の愛猫と陽志の友達も一緒に参加することになったことも話したらママは大喜びだった。ママは動物好きなのだ。
「なんだかにぎやかで楽しいね」
 レイラ先生が陽志にそう言って微笑んでいた。


 満月の夜に大きな川の中に火のついたお神輿がさぶざぶ入っていく不思議な光景にみんなでみとれた。夜空に火の粉があがって、木片が燃えるにおいと、太鼓のどどんどどんという大きな音に包まれたら、今がいつでどこで誰と何をしているのか一瞬わからなくなった。
 奇妙な旅の仲間がそこにいて、それぞれの旅の途中で仲良く寄り添って、ひととき一緒に同じものを眺めている。たのしんでいる。そんなふうに宙空から自分たちのすがたをやさしく見守っているみたいな気持ちになった。
 あちこちでかがり火が焚かれて、ぱちぱちとはぜる音や木の焦げる匂い、炎の赤い光に照らし出されたみんなのかお、どおんと鳴るたびにお腹の底に響くような太鼓の振動、高く美しく響く笛の音、足下に広がる河原のまるくてすべすべした小さな石たちの感触、つないだ手と手、みんな夢のなかのできごとみたいだった。
 屋台がいくつか出ていて、綿あめやたこ焼きのいい匂いも漂っていたので、当然のように子供たち(私と遠山君)はそこに惹かれていくつかはしごして戦利品を仕入れた。
「こういうのって高いだけで本当は何でもないようなものなのに、なんでだか美味しく感じるのよね」
 ぶつぶつ言いながらもママは私たちにふんぱつして財布を開いてくれたので、私と遠山君は定番の粉もののお土産の袋を手に下げて綿あめやリンゴ飴をかじりながら屋台から屋台へと歩き、パパは私たちの周りをうろちょろしてパパラッチのように写真や動画を撮っていて、レイラ先生と陽志は少し離れた後ろからゆっくりと手をつないで歩いていた。
 素っ気ない麻素材のワンピース姿でもレイラ先生の人目をひく美しい容姿はひときわ目立っていたので、屋台をのぞくだけでサービスで何かをもらったりして、それを見ていた私と遠山君は「美人ってとくだね」「いいなあ」と言い合った。ふんぱつしてくれているとはいえ、そばでぶつぶついうママに財布のひもを開いてもらわねばならない子供の身としては羨ましい限りだったのだ。
 なかには陽志がいても気にせず堂々とレイラ先生をナンパしようとする強者もいて、陽志はあきれて怒る気も失せているようだった。
「美人の彼女がいるってたいへんなんだね」
「そうだね」
 それをみながら、私たちはのんきに言い合っていた。
 そこに、一人の男のひとがまた近づいてきたと思ったら、陽志とレイラ先生と親し気に話し出した。
「あ、あのひとがうわさの友だちだ、きっと」
「うん、行こう」
 遠山君と一緒に彼らに走り寄りながら私はどきどきしていた。
 向こうから彼が歩いてくるのが見えた時から、そうじゃないかな、と思っていたのだ。
 どこかで見たことがある人がこちらに来る──そう最初に気づいた時に、ぴんときていた──間違いない。彼だ。
「ジュナさん!」
 私が駆け寄りながら声をかけると、彼は私を見てにっこりした。
「遥香ちゃん、久しぶりだね!」
 遠山君と陽志は私と彼を交互に見ながら「あれ、知り合い?」ときょとんとしていた。
「レイラ先生に民族楽器を使ったセッションの見学に連れて行ってもらったことがあったの。そのときに彼がピアニストとして参加していたから」
 レイラ先生もにこにこして頷いた。
「あのとき、手拍子とコーラスで参加してくれたんだよね。ありがとう」
 優しく微笑まれて私はなんだか照れてしまった。
「楽しかったです。こちらこそお邪魔させていただいて、どうもありがとうございました」
「なんだ、そうだったんだ。ていうか、おまえなんか、ずいぶん態度違くないか? こっちにはちゃんと、さんづけしてるし?」
「気のせいだよ」
 私がそう答えたら、
「絶対違うと思う」
 隣で遠山君が冷静につっこんだ。
「チャイムは怖がると思って部屋に留守番させてきたよ」
 ジュナさんがそう言ったので陽志は「お疲れ様。ありがとう」と彼にお礼を言った。
「この子たちが、例の面白い子たち?」
 例の面白い子たち?? と思いつつ、私と遠山君をじっと見るジュナさんと陽志を見比べていると、遠山君が物怖じしない真っ直ぐな視線でジュナさんに尋ねた。
「あの、超能力者ってきいたのですが、本当ですか?」
 ジュナさんはちょっと目を丸くしていた。
「超能力者っていうとなんかすごいな。そんなすごいものではないけど……ちょっと他の人に見えないものが見えたりわかったりするだけだよ」
 そう言って、彼はじっと遠山君を見つめて言った。
「それに、それって君も同じなんじゃない?」
 遠山君は真っ直ぐに彼を見つめ返し、ちょっと泣きそうな顔になった。
 そして黙って頷く。
 ええ? そうなの?? 
 びっくりする私の目の前で陽志が軽く息をついた。
「やっぱりそうか」
 ええ?? なにそれ??? さらに予想外の展開なんだけど???
 驚いている私をなだめるようにレイラ先生が私に言った。
「あんまり考えないで起こっていることをただそういうものだって流していかないと、この二人の会話にはついていけないの。ハルカの気持ちはよく分かる」
 なんだか私とレイラ先生は目の前で繰り広げられる舞台の観客のような立ち位置にいつの間にか立っていた。私たちを置いてけぼりにして、陽志とジュナさんと遠山君はなんだか彼らだけの共通言語の世界に入ってしまったみたいだ。
 ジュナさんは遠山君をじっと見つめながら静かな口調で言った。
「君みたいに敏感で繊細な感受性を持っていたら本当に大変だろうし、何と言ってもまだ君はまだ小さな子どもだから、色々な人にあれこれ言われることもある分、傷ついたり混乱したりすることも多かっただろうね。今までよくひとりでがんばってきたね」
 そうしてよしよし、と彼の頭をなでたので、あ、なんかいいなあ、とちょっと羨ましく思っていたら、遠山君は大きな目を見開いたままぽろっと涙をこぼしたので、羨ましく思った自分をなんだか恥ずかしく思ってしまった。
「猫見に来る?」
 優しくジュナさんが声をかけると、遠山君は黙って頷いた。そしてささっと涙を手でぬぐった。
「こいつをちょっと借りるぞ」
 陽志が私とレイラ先生に有無を言わせずそう言って、三人は振り向きもせずにそのまますたすたと夜道を旅館の方へ歩いて行ってしまったので、私たちは顔を見合わせてため息をついた。
 男の子って勝手なんだから。
 互いに同じことを思っているらしいのがよくわかった。
 でもなんとなく、ほっとした。
 遠山君にとってはたぶんこの方がいいんだろうという気がしたからだった。
 人波の中に見えなくなっていくジュナさんと陽志の間にいる小さな遠山君の後ろ姿を、大切なものを見守るように私は見送った。
「陽志ってけっこう、考えてないようでバランスをうまくとるよね」
 私がそう言うと、レイラ先生はふふふと笑った。
「考えてないようで、は余計です。でも内緒にしといてあげる。私も同じ様に思うから」
「女の子どうしのひみつだね」
 私はレイラ先生と仲良く手をつないで川の中の火のついたお神輿の方へ歩き出した。せっかくだからもうちょっと見て行こうねと言いながら。後ろの方ではパパとママが仲良く夜店をのぞいて笑い合っているのが見えたので、こっちも放っておくことにして。
 あちこちで焚かれているかがり火がぱちぱちとはぜながら火の粉を夜の闇に踊らせているのは、なんだか幻想的できれいだった。レイラ先生のお母さんの祖国は火の国と呼ばれていること、道端に天然ガスで普通に炎が燃えていたりするくらい炎が身近にあることや、炎を神聖なものとして祀る神殿の話なんかを聴きながらそれらを見ていると、遠い異国を彼女と旅しているみたいな気分にもなった。
 観光客や地元の人たちが入り混じって、みんながそれぞれにこの夜を泳ぐようにして楽しんでいた。明るい満月が夜空に輝いていて、きなくさいにおいがして、あちこちで炎が焚かれて、川から吹いてくる風がすこし冷たいくらいで、でも人々や炎の熱気があるから気持ちよくて、太鼓の音がどおおんとおなかに響いたり、異国の不思議な風を運んできてくれるきれいな人が隣にいて仲良く手をつないでいることや、彼女の恋人や今まで話しもしなかったクラスメイトと仲良くなって友達の意外な面を見たり、奇妙な縁で意外な人と再会したことや、パパとママがすっかり私のことを忘れているみたいにリラックスしてお祭りを楽しんでいる様子やなんかのすべてを、いつかすごく懐かしい遠い夢のなかの物語を見るように思い出すのだろうか。
 そんなことを想いながら、私はレイラ先生と手をつないで、夜空に輝く火の粉を散らす炎のお祭りを眺めていた。


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