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【短編小説】その女子高生が好きだったもの



「おばちゃん! 日替わり弁当ちょーだいっ! あとアイスパンまだある?」
 
 
 昼休みになると、私は友達を置き去りにする勢いで教室を飛び出して売店にやってくる。
 
 制服のスカートが大きくはためくのも気にしない。だって中から見せパン穿いてるし。
 
 大股で、時にはやや駆け足で売店にやってくる私を見て、おばちゃんはいつも可笑しそうに微笑むのだ。
 
 
「いらっしゃい、茉莉(まつり)ちゃん。今日もせわしないねぇ。またお友達を置いてきたのかい?」
 
「だって急いで来ないとアイスパンなくなっちゃうじゃん」
 
 
 それは拳くらいの大きさをしたクロワッサン生地の菓子パンだ。
 
 真ん中から切り開いて、中にシナモンが香るバニラアイスをサンドして冷凍保存されている。
 
 バター風味のパン生地にバニラアイスの甘さがからみ、まるで濃厚なハチミツを食べているような幸せが口の中に広がる。
 
 そんなアイスパンは私の高校でとても人気な菓子パンだった。
 
 私が入学するよりも前からうちの高校の売店名物として有名で、ホントかどうかは知らないけれど二十年前の卒業生でも知っているという噂だ。
 
 
「ねえおばちゃん。もっとアイスパン作れないの? あと五十個くらい」
 
「無理言わんとってよ。あたしゃこれでもいっぱいいっぱいよ」
 
「やる前から諦めてちゃダメだよおばちゃん! おばちゃんならできる! あと三十個くらいなら!」
 
「無理だって。最近歳のせいか腰が痛くてねぇ。長いこと立ってられないのよ」
 
 
 これみよがしにため息をついてみせるおばちゃん。今年で六十八歳になるとか言ってたっけ。
 
 おばちゃんはいわゆる出張売店をやっていて、いつも軽ワゴンに売り物を積んでお昼前にやってくる。
 
 そしてうちの高校が売店のために貸し与えているこぢんまりとしたスペースに、お弁当やら駄菓子やらアイスパンの入った冷凍ボックスやらを並べて販売を始めるのだ。
 
 七十歳間近のお年寄りにはつらい肉体労働だろう。
 
 最近は売店で物を売っている時でも椅子に座って対応していることがほとんどだ。
 
 『引退』という言葉が頭をよぎった。
 
 それは私が大学受験をひかえている高校三年生だからかもしれない。
 
 
「おばちゃんはさ、いつまで売店のおばちゃんをしてくれるの?」
 
 
 ふと不安になってたずねてみた。
 
 するとおばちゃんは一瞬きょとんとした顔をしたあとで、声をあげて笑い始めた。
 
 
「ちょ、ちょっと! 笑うなんてひどいじゃん! こっちは真面目に聞いてんのにさ!」
 
「ごめんねえ? でも安心してちょうだい。茉莉(まつり)ちゃんが卒業するまでは、ちゃ~んと生きてるから」
 
「そういうこと聞きたかったんじゃなくて! 売店のおばちゃん引退とかさ、いろいろあるじゃん」
 
「茉莉(まつり)ちゃんはあたしがいなくなるとイヤかい?」
 
 
 イヤだ。
 
 おばちゃんがいるから昼休みをワクワクした気持ちで迎えられる。
 
 そんな気持ちになるのは大好きなアイスパンの争奪戦を全校生徒で行うからとか、いろいろとある。
 
 でもやっぱり一番の理由はおばちゃんとこうして話し合うことにあると思う。
 
 クラスではお調子者キャラとしてみんなにイジラれ、先生たちからはお転婆娘として見られて落ち着きのない私。
 
 そんな私が学校生活の中で唯一、心の安らぎを得られる時間がおばちゃんと喋っている時だった。
 
 だからイヤだ。いつもおばちゃんには笑顔で、そして売店でこうして私のことを迎えていてほしい。
 
 でも面と向かってそう言うのはめちゃくちゃ気恥ずかしかった。
 
 
「……おばちゃんがいないとアイスパン食べられなくなっちゃうじゃん」
 
 
 思春期ゆえの強がりだったのかもしれない。
 
 口に出してしまってから後悔した。私はとても失礼なことを言っている。
 
 でも私が恥ずかしがっていることも後悔していることもすべて見通して、おばちゃんは微笑んでくれる。
 
 
「茉莉(まつり)ちゃんは本当にアイスパンが好きだねぇ」
 
 
 その笑顔に救われた。
 
 それから私はおばちゃんがいつまで売店のおばちゃんで居続けるのかと考えることをやめたのだった。
 
 
 
 
 
 
   ◇◆◇◆◇
 
 
 
 
 
 
 大学受験には二度失敗した。原因はおもにふたつある。
 
 もともと頭のいい方じゃなかったのがまずひとつ。
 
 そしてこれから大学に行くことを考えると、まわりの同級生たちと同じように塾に行かせてもらえるほど私の家には余裕がなかったのがひとつ。
 
 でも家の事情を恨んだことはない。私よりも忙しそうにしているお父さんとお母さんの姿をいつも見ていたから。
 
 だからせめて私もお父さんとお母さんが安心していられるような大人にならなきゃ、と強く思っていた。
 
 自宅でコツコツと勉強しながら、ほんの限られた時間だけアルバイトをしてお金を稼ぐ日々を続けていた。
 
 三度目の正直で大学に受かった時は、家族総出で涙を流して喜んだのを覚えている。
 
 依然としてアルバイトは続けながら、留年だけしないように必死に大学の講義にしがみついて単位をかき集めていった。
 
 
 
 
 
 
 そうして季節は流れ、大学四年の六月。
 
 
 
 
 
 
「今日から教育実習生として、みんなと一緒に授業をしていくことになった吉岡茉莉(よしおか・まつり)です。二週間ちょっとという短い期間ですが、よろしくお願いします!」
 
 
 私は教育実習生として母校に帰ってきた。
 
 持ち前の性格のうるささもあって、私は初日からクラスの生徒たちとうちとけることに成功した。
 
 『吉岡先生』じゃなくて『茉莉ちゃん』と呼ばれるくらいだ。
 
 教師を目指す者として『先生』と呼ばれないことは癪だったけれど、『ちゃん』付けで呼ばれていると昔を思い出してなつかしくなった。
 
 そういえば――――
 
 
「おばちゃんっ!」
 
 
 お昼休み。
 
 私はあの頃とおなじように、ワクワクとした気持ちで売店へと向かった。
 
 この気持ちが昂る感覚を久々に味わう。またおばちゃんが私のことを笑って出迎えてくれる。
 
 そう思っていたのに。
 
 
「……おばちゃん?」
 
 
 出張売店が来ていなかった。校舎横のこぢんまりとしたスペースはがらんとしている。
 
 立ち尽くす私を見て「何事か?」という眼差しを向けてくる生徒たちの視線が、私の心をグサグサと抉っていく。
 
 
 ――――何もない場所を見つめて何やってんだこの人?
 
 
 違う、そうじゃない。
 
 ちゃんとここには売店があったんだ。
 
 昼休みにはおばちゃんが来て、軽ワゴンからお弁当やら駄菓子やらを下ろして並べて、私が大好きなアイスパンを売ってくれて……。
 
 
「……あの。もしかして『茉莉ちゃん』?」
 
 
 そう言われてハッとなってふり返る。
 
 ふり返った先に三十歳手前くらいの女性教師が立っていた。
 
 
「あ、えっと……?」
 
 
 誰だろう?
 
 実習初日ですべての教師の名前なんて覚えられるはずもなく、不意に声をかけられた私は言葉を詰まらせてしまう。
 
 すると目の前の女性は慌てて言葉を付け加えてきた。
 
 
「ごめんなさい。いきなり声をかけちゃって。嬉しそうに売店があった場所に走っていく姿を見ちゃったからもしかしてと思って」
 
「売店があったって……じゃあ貴方も?」
 
「うん。ここの卒業生。茉莉(まつり)ちゃんとは入れ違いだから直接面識はないけど……そっか、あなたがあの茉莉(まつり)ちゃん」
 
「どうして私のことを?」
 
「私がこの高校に赴任してきた時、売店のおばちゃんがいつも話してくれたのよ。『少し前まで慌ただしくてしょうがない生徒があたしのアイスパンを毎日買いに来てた』って」
 
「おばちゃんが?」
 
 
 私はとても嬉しかった。
 
 おばちゃんがそんな風に私のことを話してくれるなんて。
 
 そのことも嬉しかったし、おばちゃんを知っている人と出会うのも嬉しかった。
 
 まだ過去を思い出して懐かしむような歳ではないと思うけれど、それでも感慨深い気持ちになる。
 
 
「あの、おばちゃんは?」
 
 
 思い切って聞いてみる。すると彼女は居心地悪そうに目を伏せて、こう言った。
 
 
「一昨年の冬にね、亡くなっちゃったの。心筋梗塞だったんだって」
 
「そんなっ……」
 
 
 それ以上は言葉にならなかった。
 
 嘘だ。
 
 この人は嘘を言っている。私は信じない。
 
 おばちゃんはいつも笑顔で、あたり前のように私のことを迎えてくれて、馬鹿な女子高生のとりとめもない話に付き合ってくれて、そして、そしてッ!
 
 
「実はね、おばちゃんから手紙を預かってるのよ」
 
「え? 手紙?」
 
「そう。手紙。茉莉(まつり)ちゃん宛てに」
 
「なんで? だって私っ」
 
 
 私が教師を目指しているなんてこと、おばちゃんに話したことはない。
 
 卒業後に会う約束とかもしてない。それなのに手紙だなんて。
 
 
「きっと売店のおばちゃんも茉莉(まつり)ちゃんのことが好きだったんじゃないかしら。だからいつか茉莉(まつり)ちゃんがここへ戻ってくることを信じていた」
 
「っ……おばちゃんっ」
 
 
 我慢できなかった。私は泣き崩れてしまう。
 
 
「不思議なことに私もね、貴方といつか会えるような気がしてたから。おばちゃんから預かってた手紙をずっとバッグに入れて持ち歩いてるの。これがそう」
 
 
 差し出された茶封筒を受け取る。
 
 封筒の真ん中にはヨボヨボながら頑張って達筆風に書かれた文字で『茉莉ちゃんへ』とある。
 
 それを見ながらさらにメソメソと泣き続けてしまう私を、彼女は優しく抱き留めてくれた。
 
 
「すみません、わたしっ」
 
「いいのよ。私なんかよりも、その場に立ち会えなかったあなたの方がよっぽどつらいはずだから」
 
 
 私は泣き続ける。
 
 その場の異様さに通りがかった生徒たちが足を止め、私を気遣うような言葉をかけてきた。
 
 その親切さがまた私の心に刺さって、しばらく涙が止まりそうにない。
 
 やがて私を抱きしめてくれている彼女が、そっと耳元で囁いてくれた。
 
 本当なら売店のおばちゃんから聞かされるはずだったその言葉を。
 
 
「いらっしゃい、茉莉(まつり)ちゃん」
 
 
 
 
 
 
   ◇◆◇◆◇
 
 
 
 
 
 
 大学を卒業して五年が過ぎた。
 
 おばちゃんの死を乗り越えて、私は今日も元気に生きている。
 
 さっそく今日の仕事を果たすべく、母校へと車を走らせた。
 
 私が立つ場所は教壇じゃない。
 
 
「茉莉(まつり)ちゃん! もやし弁当ちょーだいっ! あとアイスパンも!」
 
「はいはい。ちょっと待ってね~? いまこっちの子の会計してるから」
 
 
 出張売店だ。
 
 こうして昼休みにお弁当を売りに来ることをはじめてから、この仕事の大変さに気が付いた。
 
 買う側だった学生時代はそんなことまったく知らなかった。これを毎日やっていたおばちゃんのレジェンドさが理解できる。
 
 でもどんなに忙しくても、手作りアイスパンの提供はやめない。
 
 これがないと私の知っている売店じゃなくなっちゃうから。
 
 
「はいよ、アイスパン。今日はそれでラストだから」
 
「ありがとう茉莉(まつり)ちゃん!」
 
「え〜、もう無くなっちゃったの。私も買いたかったのに。ねえ後でひと口ちょーだい?」
 
「ヤダ! アンタのひと口おっきいんだもん」
 
 
 この光景を見ていると昔を思い出して泣きたくなってしまう。
 
 私も何度か買いそびれて、その日一日中不機嫌になっちゃったこともあったなあ。
 
 それくらい売店のおばちゃん直伝のアイスパンは美味しい。
 
 あの日、おばちゃんが亡くなったことを知らされた時に女性教師から渡された手紙には、おばちゃんのヨボヨボな字で感謝の言葉が綴られていたあと、アイスパンの作り方も書かれてあった。
 
 それを見た瞬間に、私は教師を目指すことをやめた。
 
 きっとおばちゃんは私に売店業を継がせようとか、そういう理由でレシピを教えてくれたわけではないと思う。
 
 それでも私はおばちゃんが生み出したこの味と、私の母校名物のアイスパンという伝統を後の世に残していきたかった。
 
 おばちゃんのことが大好きで、アイスパンも大好きで、あれほど売店に通い詰めていた私が今や売店で売る側になっている。
 
 なんだか不思議な気持ちだった。
 
 
「ねえ茉莉(まつり)ちゃん。もっとアイスパン作れないの? あと百個くらいさ」
 
 
 なんて強欲な女子生徒だろうか。私だっておばちゃんに五十個までしかねだらなかったのに。
 
 でもみんな考えることは同じなんだ。
 
 私は目の前の女子生徒を見つめて微笑む。
 
 この手の会話には必ず返す言葉がある。
 
 
「無理言わんとってよ。私はこれでもいっぱいいっぱいなんだから」
 
 
 そしてさらにこう続けるのだ。
 
 
「悔しかったら授業が終わった瞬間に教室を飛び出して私のところに来たらいいじゃん。私はいつもそうしてたよ?」




(了)

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