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20240519_morming

今日の朝

昨日はとんでもない暑さだった
日焼け止めの塗る範囲を確実に甘く見て
見事に真っ赤だった
今日は少し涼しいと思ったら
雨らしい

昨日の夜に敢えて考えなかったこと

昨日の夜は自分が結果に貪欲な人間でないこと
について考えそうになっていた

だが何回も言うように
夜に考えるのは+と-が両方見えなくなるから
やめて朝に持ち越したのだ

そして今が朝だが
結果について貪欲でないとはっきり気づいたのは
先日の会社の会議
施策の数と質を結果からの逆算にくらべ
明らかに優先してしまっていた

その結果タスクの確認などが疎かになった

皆が笑顔でやった感が出したかった
のだろうか
新人ばかりだから楽しい職場であることを
アピールしたかった
のだろうか

私は実際の社員では無いという理由をつけて
結果を気にしていなかった
のだろうか

結局すべてを思ってなのだろうが
結果を気にしていなかったんだろうなと
自分としては思っている

考えてみれば
大学生活で結果を数値的に気にして
間に合わせることを目標に努力したことは
果たしていくつあるだろう

結果が悪い前提の
生き方をしてしまっていた

結果を目の当たりにするのが
こわかった

過程の意味が薄れるから
社会に出るまでは逃げたかった

だが、結果にこだわることは
社会に出ていなかったとしても
成長のためには必要だった

資格試験など勉強に限らず
普段の連絡や遊び、生活に関してまで
このこだわりが
より物事への深度を高め
より味わい深いものにする

書いていたら当たり前のようだが
自分だけで生きていたら
成長出来ない現状に対して
違う仮説を立ててまだもがいていただろう

成長阻害原因は結果に無頓着であること
この仮説が正しいかは
これから結果に向き合い
逆算し次に活かす施策や仮説につなげる
ことを続けることで判明する

もしかしたら他の仮説が
正しいかもしれない
だがそれはこの仮説を直近の節目に対する
自分の活動で検証することとしよう

大丈夫、悪い結果を見ても死ぬわけじゃないし
結局誰も気にしてない
自分だけが悲しいだけ
次悲しまないためにどうする?

いってらっしゃい

実は既に電車の中です笑

結果に向かうのがこわくなったのは
たぶん難しくて一筋縄ではいかない経験を
した頃からだと思います

まずは、その経験がいつなのかによって
行く高校や大学が変わるのでしょう

この考え方だったら
元の勉強への素質として
遺伝で済ませることもできるなあと
思います

ですが遺伝だけでなく
努力が関わってきますよね

努力は言い換えれば
苦い経験をしたときに
何度も対峙して結果を大事にすることです
努力をしたら
同じ時間を結果をゴールとして有効に使える
のですよね

努力は辛いから賞賛される
自分が救われるためでなく
純粋な興味で
人はいつどうやって努力する体力を増減させるのか
調べてみたいですね

少し朝で眠くて
繰り返しがあったらすみません

それではいってらっしゃい

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