「鬼滅の刃」アニメを見てみたり

流行りに乗って「鬼滅の刃」アニメを年末Amazon Prime Videoで一気観してみました。

で、感想はというと、「とても面白いし、今の日本でこれが流行るのは大いに納得できる。しかし(少なくとも僕にとっては)ちょっと引っかかりを感じる部分もなくはないかなー、でももしかしたらそれがこの物語の伏線となるのかも?」という感じです。

それでは、面白く感じた部分と、引っ掛かりをそれぞれ述べていきます。

面白く感じた点

「強くなければ生き残れない」世界と、その中でも「優しくいたい」主人公の対比が見事

まず、この作品では人間を食らう「鬼」という存在が非常に強く、並大抵の人間はその「鬼」にあったらなすすべもなく惨殺されてしまいます。主人公の家族も妹を残して惨殺されていますし、その描写は手加減せず非常に残酷です(よくこれを地上波で放送してBPOとかから文句言われなかったなーと思うぐらい)。個人的には、描写のグロさに加えて、女・子どもでも容赦なく殺されてしまうというのも、とてもきつかったり。

ですが鬼も実は、鬼になる前は人間だったわけですが、その人間だった時代にとても辛い過去を送っていたという回想が随所で挿入されるわけです。つまり辛い過去を負った人間が鬼になり、そしてまた人を女子供構わず惨殺していくという、そんな辛い世の中なわけです。そして、そんな世の中で生き残るためには強くなるしかない、そういう世界の認識が、この作品を貫く一本の柱なわけです。

ただそれだけだと、「そんな辛い物語誰が好き好んで読むんだよ」ということになってしまいます。そこで重要なのが、この作品を貫くもう一つの柱である主人公の優しさです。

主人公の炭治郎は、まず分け隔てなくすべての人に優しいです。「強くなければ生き残れない」、そんな世界であって、炭治郎はしかしそれでも弱い人たちを守ろうとしますし、それを傷つけようとする行為には激しく怒ります。

その一方炭治郎は、そのような行為を止めるために鬼を殺すわけですが、一方で鬼が生前に受けた辛い仕打ちに同情し、本気で悲しみます。たとえどんな酷いことをした鬼であったとしても、炭治郎が優しさを失うことはなく、あくまでその死を悲しんでくれるわけです。

この炭治郎の「優しくあろうとする」心が、作品を貫くもう一本の柱になっているからこそ、読者は「あまりにも残酷な世界だけど、しかしそんな中で頑張ってる炭治郎が居るんだから、その炭治郎の活躍を見届けたい」と思うわけですね。これが残酷な世界だけだったらただ苦いだけの物語に、逆に炭治郎の存在だけだったらただ甘々な物語になってしまうわけですが、この2つが物語の中でうまく対比されることにより、非常に読者を引きつける、そんな物語となっているわけです。

様々な世の中のひずみをうまく「鬼」という形で描く描き方

そして、僕がこの作品で最も感心するのが、「鬼」の方の描写なんですね。これが非常にうまく、実際の社会問題、児童虐待や貧困・差別といった問題を、昇華して描いているわけです。

特に、アニメの中盤から終盤の、「鬼の家族」の描写、これ、実際の現代の家族が抱える、DV・虐待といった問題を、実にうまく戯画化してるなあと思うわけです。暴力と恐怖によって家族の絆を作ろうとする鬼に対し、そんなものは「偽物の絆」だと炭治郎が喝破するシーンは、まさしく溜飲が下がる思いだったりするわけで、大正時代を舞台にした物語でも、このような現代の日本に宛てたであろうメッセージ性があるからこそ、今ここまで人気になるのだと思うのです。

独特な言葉遣い

これは多くの人が指摘していることだから僕がわざわざ言うまでもないでしょう。なんかこう、言い方を真似したくなったり、コマをそのまま画像レスに利用したくなるような妙な魅力があるんですよね。ただこれに関しては、僕はあんまりうまく説明できないので。

引っかかった点

世界辛すぎない?主人公まっすぐすぎない?

これは、実は面白く感じた点の1番目をそのまま裏返しにしたことなんですが、「鬼滅の刃」の大正時代における日本って、あまりに弱肉強食すぎて、ぬるま湯に浸かって育ったゆとり世代の僕としては、「世界辛すぎてついていけなくなる……」と思ってしまうんですね。

おそらく、現代の二十代以下の若者や、同年代でも貧困化している人たちにとっては、「いや、確かに世界で生き残るってこれぐらい辛いことなんだよ」と思えるのでしょう。それは理屈では分かる、分かるんですけど、でもやっぱ肌感覚として僕なんかは「いや、そんな気張らなくても適当に生きてもなんとかならない?」と思ってしまうんですね。

そして、主人公である炭治郎の優しさやまっすぐさも、正直「そんなできすぎた子どもおらんやろー。まっすぐすぎて逆に不健康じゃね?」と思ってしまうわけです。ウジウジ系主人公や豆腐メンタルな主人公に慣れてしまった旧世代オタクとしては。

もっと「大正時代らしさ」を物語に利用していいんじゃない?

二点目のこれ。まあ、これは正直アニメが序盤で終わったから描かれなかっただけで、アニメ以降の物語では描かれるのかなと予想はするのですが、しかし少なくともアニメに描かれた段階では、「これ、別に大正時代じゃなくても良くね?」と思ってしまうんですね。

時代考証的にはたしかに忠実だとおもうんですよ。大正時代でも田舎はほとんど江戸時代と変わらないような暮らしをしていて、一方で都会では都市が現れようとしている。そういう描写は確かにある、あるんですけど……なんかそこに「ロマン」がないんですよね。別にサクラ大戦やれって言いたいわけじゃないですが。

例えば、「血を分け与えることにより強い鬼になる」なんて、まさしく当時勃興しつつある優生学と絡められるわけじゃないですか、例えばそこで鬼を軍事利用しようとする軍部や、支持者の洗脳に利用とする政党政治家とか居たら面白いし、その理由が第一次世界大戦を観戦して悲惨な戦場を見たからとかこじつけることもできるわけですよ。

あるいは、韓国併合なんかも、江戸時代から続いてきた鬼と鬼殺隊の対立に絶対重要な問題になるはずで、朝鮮半島に進出しようとする鬼と、それを止めようとする鬼殺隊、そこに独立運動のゲリラなんかを絡めたり……

いや分かるんですよ。こんな「日本裏面史・陰謀史」みたいな話好む人はもう少数だし、多くの人はそんなめんどうなのいいよってことも。そういう話は會川昇や大塚英志にでも任せとけばいいじゃんってことも。

でも、そういう偽史的なわくわく感って、「複雑な時代を必死で生きていく」という点では、絶対今の若者にも通じると思うんだけどなぁ。そんな時代感覚もう今の若者には、ないのかなぁ。

鬼殺隊がどうにも気に食わない

そして僕が一番乗れなかった点がここ。一応この物語上は鬼と、その首領である無惨が敵で、それと戦う鬼殺隊が正義であり、そしてそこに主人公が属す、という構図だと思うんだけど。なんかこの鬼殺隊が、魅力的でないのだ。

これは、多分僕が組織とかしがらみというのがとにかく嫌な人間だからというのはあるんだろうけど、少なくともアニメの段階では上意下達の硬直した組織にしか見えなくて、「そりゃこんな組織では鬼に対抗できるようなクリエイティブなアイデアは生まれないわな」と思ってしまうのだ。

これが例えば、主人公はあくまで独立して動き、鬼殺隊はそれと敵対することもあるが、大体において支援する、みたいな立ち位置だったらと思うのだけれど、がっつり組織の一員となっちゃうのよね。

これも、多分今の若者にとっては、「組織に属せるだけありがたいと思え」ということなのかもしれない。でも、現実ならともかく、物語の中でまでそんな諦念を持つ必要あるのだろうか?

というわけでまとめると

鬼滅の刃、確かに面白いし、続きが映画や二期で描かれたらきっと見ると思うのだけれど、世の中での熱狂ほどにはまるには、なにか引っかかる点が多くて、でもそういうひっかかりこそが、現代の若者がこの物語にのめりこむ理由なのかなと。

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