母と祖母から聞いた口裂け女の話

一月前ほどに書いた、ある掲示板の話に関する記事のコメントで口裂け女との関連性を指摘するコメントをいただいた。それについて調べていたところ(といっても、調べ始めてまだ一日もたってないのだが)、母と祖母から、いくつか面白い話を聞けた。

口裂け女の話自体は知っている人が多いと思うから、その内容自体は詳しく記さない。
簡単に書くと、顔をマスクで話した女に綺麗かどうか話しかけられ、綺麗と答えると裂けた口を見せられ、不細工と答えると刃物で殺されるといった内容。
この話は一般的には岐阜県を起点として1978年の冬から79年の夏休み前に流行ったとされ、その原型は18世紀にまで遡るとされる。ただ、ここに書かれていることはWikipedia出典だから、どれくらい信用できるかどうか不明。実際、母と祖母の話には幾つかの相違点がみられる。

まずは、母の方から。
母は1970年生まれで、小学生の時に丁度口裂け女ブームが来たとされる。実際、当時の熱狂は異様で、学校ではこっくりさんと並んで禁止令が出されたらしい。
ただ、母の記憶だと口裂け女が流行ったのは夏休み明け(流石に詳しい年までは覚えていなかった)とのこと。この点、Wikipediaの説明とわずかながら齟齬が見られる。これについては地域による伝達の時間差などが関係しているのだろう。
余談ながら、当時、母は大都市の公立小学校に通っていたらしい。だが、トイレは未だ汲み取り式で、何故か散髪や流血の跡があったとのこと。そう言った、ある種、怪談が現実に存在しそうな雰囲気が当時の学校に蔓延していたという。私は平成前期生まれだが、汲み取り式のトイレなど見たこともないし、ましてやそこで散髪や流血の跡を見たことはない。昭和と平成の空気感の違いを感じた。

続いて、祖母の話。
祖母は戦中生まれで、1950年代に東京は世田谷周辺で小学校生活を送ったという。彼女も確かに、口裂け女の話を聞いたことがあるという。但し、1950年代に。
これはWikipediaの説明にある、1970年代末、岐阜県を起点にして広まったという話と矛盾する。上述した通り、18世紀に原型が広まったとする話もあるが釈然としない。
考察でも何でもないが、これに先立つ1940年代は件に関する説話が生まれるなど、戦中、戦後は怪談を生みやすい空気感があったのだろう。そうした中で、口裂け女の直接的な原型も生まれてきたのではないだろうか。
あるいは、祖母が言っていたことだが、人間の想像力は存外狭く、似たような話が生まれやすい、ということなのかもしれない。

以上、母と祖母から聞いた口裂け女の話である。話していて感じたのは平成生まれの私が見落としていた、その時代の雰囲気だ。
当然の話だが、多分、そうした雰囲気を知っている祖母と母、知らない私(あるいは祖母と母の間でさえも)、口裂け女に対する印象は違う。20代後半の私からすれば、口裂け女は歴史の範疇に入る。だが、あえて誤解を招く言い方をすると、祖母や母はそれが現実の時代に生きていたのだ。
そうした口裂け女や、それに関する印象の差異、あるいは都市伝説を通して見た、昭和、平成、令和の雰囲気の違いに関するコメントがあったら、書いていただけるとありがたい。

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