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ぽん酢とトマト

 中性的な顔、あまり目立たない喉仏、ちょっと高い声。おとなしくて、あまり話さない。彼の名前は本田君。北川と仲良し。名古屋支店に異動となった先輩の送別会で、私は本田君と初めて話をした。

 本田君と私と北川は同期入社で、社会人3年目である。私と北川は、研修期間を経て同じ営業部第3課へ配属された。同じ部署に配属されてからは仲間意識が芽生え、同期全員の飲み会になると、営業第3課の面白エピソードを漫才形式で披露するくらいである。北川はすごく目立つタイプではないが、どんな人とも仲良くできる営業第3課の愛されキャラクターで、営業成績もトップではないものの、3番手くらいで安定している。営業事務の私は、それなりのミスをしつつも、それなりの成果を上げ、入社3年目でようやく落ち着き、大きなプロジェクトメンバーに入れてもらえるようになってきた。
 営業第3課の先輩が、名古屋支店に異動することになり送別会を開催することになった。課長のご指名で、幹事は私と北川となった。お店や値段設定など課長と打ち合わせが必要な業務は北川が、出欠確認や会計は私が行うという分担をし、滞りなく準備を進めてきたが、当日、体調不良による急なキャンセルが発生した。穴を埋めるために北川が営業第3課から人を呼んでくると言い、同期に声掛けてくれて、ようやく捕まったのが本田君だったのである。本田君の名前を聞いて意外そうな顔をした私に対して、北川が本田君との関係性を説明してくれた。北川と本田君は、入社後すぐの研修期間に二人で飲みにいったことがあると言った。各部署への配属後は、ぱたりと交流がなくなってしまったそうで、久しぶりに話したいなと思い、声をかけてみたら、飲み会の穴埋めを承諾してくれたのだそうだ。
 定時になって、私と北川で経営管理部まで出向き、本田君を迎えに行った。北川はにやにやしながら、本田君の腕をがっちりとホールドし、歩き始めた。本田君はうつむきながら、北川に引っ張られる形で歩いていく。の予約していた店に到着しても、北川が本田君の腕を離さないせいで、4人席の掘りこたつに北川と本田君は並んで着席した。事前の席決めで、北川と同じテーブルだった私は、北川の前に着席した。本田君を無事に着席させた北川は、いそいそと動き始め、送別会の主役の先輩を迎えにいったり、他の人たちの座席を案内したりしていた。私は幹事業務のほとんどを全うしていたので、本田君と二人で送別会の始まりと待つこととなった。
 入社から送別会に至るまで、本田君とほとんど話し声を聞いたことがないせいで、経営管理部に配属されていることくらいしか知らない。私は話題を探した。
「そういえば、本田君って、お酒飲むの?」
「ワインなら、たまに。」
「へえ、飲み放題にワインあったかな?ちょっと待ってね。」
飲み放題メニューを隣の席から回収して、確認する。一人4,000円の飲み放題居酒屋なので、ワインの種類は少なく「グラスワイン(赤)」のみだった。「ごめん、これしかないみたい」と飲み放題メニューを本田君に渡したタイミングで、北川の声が響いた。
「みなさん、一杯目は瓶ビールをご準備いただいています。飲まない方は、挙手お願いします!はい、あ、ウーロン茶ですね、はい、ではウーロン茶3杯お願いします。」
穏やかなのに、よく通る声だった。北川が課長のグラスにビールを注ぎはじめたのを皮切りに、他のテーブルでも後輩たちが動き出した。私も3人のグラスに適当にビールを注ぎながら、うつむきがちな本田君の顔を覗き込んだ。
「本田君、ビールは大丈夫なの?」
「あ、うん。」
会話が続かず、しばらくの沈黙のあと、北川が席に戻ってくる。
「お金って全員分回収できたか?」
ようやく自分の席に戻ってきたのに、もう一人の幹事との連携も忘れない北川。
「うん、問題なし。でも、当日キャンセルの一人分は回収できてないね。一旦ここは立て替えるけど、私たち幹事で折半する?」
「いや、さっき本田を誘うときに、全額俺持ちだから来てくれって言ったから、俺払うよ。本田に嘘つきだって思われたくないし。」
本田君がうつむいたまま、口元を隠すように笑う。それをみた北川はにやっと笑って、そして息を大きく吸って立ち上がった。
「みなさん、お手元にグラスは行き渡りましたでしょうか。では、課長、開会宣言と乾杯の音頭をお願いします。」
課長の簡単な挨拶のあと、乾杯の声が響く。私は気持ちのこもっていない拍手をした。北川は、一杯目のビールに少し口をつけたかと思えば、すぐ席離れていった。遅れて参加する先輩を迎えにいくのだろう。私はゆっくりとビールを飲む。
 食事はコースになっていて、一品目は冷やしトマトだった。
「本田君、私も北川もトマト苦手だからさ、全部食べちゃって」
「え、いいの?遅れて参加する人、この席に来るんじゃない?」
「大丈夫、誰も来ないよ。あっちの主役の先輩のテーブルに座る予定だから。」
「そうなんだ。じゃあ、いただきます。」
冷やしトマトが全部自分のものとなった本田君は、少しずつトマトを口に運ぶ。食べ方がきれいだなと思った。食べ方だけではなく、振る舞いや雰囲気が美しいと思った。今まで本田君と交流がなかったからか、本田君の顔をこんなに近くで見るのは初めてで、発見が多かった。
中性的な顔、あまり目立たない喉仏、ちょっと高い声。
「俺の顔、なんか書いてる?」
まじまじと顔を見すぎたせいで、本田君に気味悪がられてしまったようだ。不愉快と顔にかいてある。
「ごめんごめん、なんか女の私から見ても綺麗だなって感心してた。」
「うわ、社会人になってそれ言われるの初めてだ。」
本田君が下を向いてしまう。本田君にとっては誉め言葉ではなかったようだ。
「そっか、ごめん、不愉快だったよね。ごめんなさい。」
「子供のころからよく言われてたから、慣れてはいるんだけど。悪い意味で言ってくる人は少ないから、気にしないようにしてたつもりなんだけど、久しぶりに聞いて、ちょっと驚いた。」
本田君は話をしてくれるが、下を向いたまま、顔を上げてくれない。
「そうだったんだ、ごめん。二度と言わない。」
初対面で地雷を踏んでしまった。目を合わせて謝りたいのだが、なかなかこちらを見てくれない。
「そういう本田の顔が好きなんだよな、俺は。」
席に戻ってきた北川が本田君の顔を覗き込む。本田君が顔を上げて反論する。
「おい、ちょっとやめろ、からかうな」
本田君のリアクションに満足したのか、北川がにやにやしながら、泡のなくなったビールを飲み始めた。私は、北川に対する本田君の砕けた話し方が、なんだか羨ましく感じた。私も本田君と目を合わせて話したい。
 そこからは北川が昔、本田君と飲んだ時の話をしてくれた。入社後すぐの研修で同じ班になり、そのとき本田君が着ていたシャツを気に入った北川が、お店に連れて行ってほしいと懇願したのだそうだ。その日のうちに店を訪れ、無事シャツを買うことができた北川が、本田君にお礼として晩御飯をご馳走したという話だった。結構いいお店に入ったせいで、結局代金は折半したそうだが、とても盛り上がったねと、北川は楽しそうに話してくれた。本田君は、うつむいたままだが、嬉しそうに北川の話に相槌を打つ。
「お、本田の大好きなトマトじゃん。俺もこいつも食べないから、独り占めだ。」
「え、本田君トマト好きなんだ!」
「うん、まあ、ね。」
「なに照れてんだよ。」
「照れてないって。」
本当に本田君が照れてることに気づき、愛らしさを感じた。人が好きなものを知れるって、なんだか素敵だ。
「2人は、トマトのどういうところが嫌いなの?」
「うーん、私は食感かな。グジュってするところ。」
「俺もそう。ケチャップとかトマトジュースはいける。」
「そうなんだ。トマトにぽん酢つけて食べたことある?」
本田君はそう言って、二品目に運ばれてきた鶏皮ぽん酢を見た。
「そういえば、その組み合わせで食べたことないかも。」
「確かに。ありそうでない。」
「食べてみてよ。残念ながら食感は変わらないけど、ぽん酢とトマトの酸っぱさが混ざって、まろやかになるんだよ。」
「じゃあ、久しぶりにトマト食べてみようかな。」
もういい歳なので、トマトを全く食べないよう子供じみたことはしていないが、冷やしトマトは、まさにトマトそのものなので、こういった居酒屋でも嫌煙していたのだ。私と北川が、恐る恐るぽん酢をかけたトマトを口に運ぶ。本田君は、目を大きくして私たちを交互に見る。
「す、酸っぱいよ、これ!」
「ただ単に酸っぱい。どこがまろやかなの、これの。」
私は少し混乱したものの、この組み合わせをおすすめしてくれた本田君の舌味覚がおかしいんじゃないかと、本田君の方を見ると、驚いたことに本田君が肩を震わせている。うつむいて、口元を手で隠し、肩を震わせているのをみて、確信した。彼は、笑っている。
「おい、本田、だましたな!!トマト嫌いを馬鹿にしたのか!」
本田君は何か反論しようとするが、笑いが止まらず、うまく話せない。
私と北川はビールでトマトを流し込み、ちょうどやってきた三品目のだし巻き卵で口直しをする。ようやく笑いが収まった本田君が話し出した。
「ひっ、いや、酸っぱいと酸っぱいをかけ合わせたら、そら酸っぱいよ。ひっ。」
まだ笑っている。私と北川は、まんまと騙されたことが確定したが、内容が内容なだけに、怒りの感情より、本田君がいつまでも笑い続けていることが面白くなってしまう。
「お前、いつまで笑ってんだよ。」
「そうだよ、なんだか、こっちまで面白くなっちゃう」
最終的には3人全員が数分間笑い続けて、本田君の腹筋が限界に達したところで、ようやく落ち着いた。
「おもしろかった。」
本田君は、ものすごく満足そうな顔をしていた。

中性的な顔、あまり目立たない喉仏、ちょっと高い声。中身は小学生で、いたずら好き。よく笑う。笑うと可愛い。彼の名前は本田君。私と北川と仲良し。




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