満員電車が苦手

しばらく満員電車に乗らずに済むという点で、時差通勤はありがたい。車内の隙間は非日常の色をより濃くすると同時に、日常に紛れていた異常を浮き立せもした。平穏な日々に波が立ったのではない。不穏が、別の不穏に横滑りしたのだ。

ぼくは満員電車が得意ではない。ほとんどの人がそうだろうが、おそらく、より強く苦手な部類に属する自覚がある。物理的に体が潰れる苦しさや、空気の薄さとその匂い、さまざまな不快が重なる中で特に心を乱されるのは、あんなに近くに人がいて、さらにそこに顔があること。視界のはしっこで、おじさんの眉間にしわが寄る。反対側で若い女性がきりっと澄ます。黒染めの不自然な老婆は何かに怯えている。人の顔というものは情報量が多すぎるから、ぼやけた位置にあっても届いてしまう。あらゆる気配は、ぺちぺちと心を叩き、ちくちくと突く。もう少しだけでいい、首を外へ回してくれれば幾分か楽になるのに。いっそ、みんなずらっと車両の進行方向を向いて「小さく前へならえ」するのはどうか——などと考えながら、歯を食い合わす。

天地の方向に人が並ぶことはできない。上を向いてしまえば誰の顔も視界に入れずに済むからと、ときどき息継ぎをするように顎を上げてみる。しかし天井には、びしりと並ぶものがある。雑多な情報とビジュアルを兼ね備えた、広告群だ。やはりこれも疲れを呼ぶ。もはやどこにも逃げ場はない。

そんな中でも最大の防御策は、目を閉じることだろう。体内の暗闇を凝視しながら、ついでに耳もシリコンで埋める。ぷにぷにとした真ん中には穴が空いていて、音楽やラジオが流れる。スネアの鳴り、ギターの乾き、馬鹿話。ぼくの体とちょうど同じ形をした密室の中に、唯一の救いはやわらかく響く。その外側——腰に当たるブリーフケースの角や首筋を撫でるポニーテールの触感は、しかし絶つことができない。

しばらくすれば、またそんな日々が戻る。さて、ウイルスと社会が生む心のざわつきは、きちんと消えてくれるだろうか。

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