影または光について
ほろよいを半分飲んだだけで、ふわふわしている。
今日は月が明るい。
廊下に光が差し込んで、斜めに影を落とす。
影ができるのは、光があるから。
言い換えると、
光があるところには、影も生まれる。
“光と影”という言葉には、
光 = 明るい、いいもの
影 = 暗い、悪いもの
というイメージがくっついているかもしれない。
少し前までは、私もそう思っていたような気がする。
でも、「写真を撮りたい」と強く惹かれるのは影であり、光は影を生み出してくれる大切な存在、という感覚がある。
反対に、光が際立つのもまた影の中なわけで、そう思うと、互いの存在が相手の魅力を引き出している関係だと言える。
なんていい関係…
私はなぜ影に惹かれるのだろう。
例えば、壁にできる木の葉の影。
これは、木が風に揺れるたび、影の濃さや形が変わるのが見ていて面白い、というのがひとつある気がする。
また、壁との距離によってピントが合っているものとそうでないものがあるのも好き。
ピントが合っているものだけでも、合っていないものだけでもつまらなくて、程度が違うさまざまなものが共存している部分が好きなのかもしれない。
また例えば、顔の凹凸に合わせて生まれる影。
光が当たって目立つ部分があると同時に、その側で光が当たらず見えなくなる部分がある。
奥行き、立体感が生まれる。
それのなにが良いんだろう、目立つ部分が際立つのは、影のおかげだから…?縁の下の力持ち…?
そういえば私は、縁の下の力持ちとか裏方といった、影に分類される役割に心惹かれる傾向があった。
それは一体なんでだろう。
表舞台に立つ人を見ながら、その人を輝かせている裏の人たちを想像せずにはいられない。
と言いつつ、表舞台に立つ人も純粋に応援している。
「影が好き」=「光がきらい」
というわけではなく、私は
「影も光も両方好き」
なのかもしれない。もっと言うと、
「全部好き」
なのかもしれない。
それぞれに良さがあり、できないことがある。自分にできることで、相手の良さをより引き出す。その相互作用が、循環が、私は好きなのかもしれない。
なんだか、ふわふわしたことを書いたような気がする。
光と影から思い浮かぶことを、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり…
一見へんてこかもしれないけれど、でも私としては全部繋がっているというか、別の話のようで同じ話をしている感覚。
ほろ酔い気分に任せて、自由に書いてみました。
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