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“不足感”の不足、そこからの脱却

先日、自分には熱い気持ちがないという話をしました。

今日はその原因と、そんな私がこれからなにを原動力にして進んでいくのかをお話しします。

「熱い気持ちのなさ」について考え続ける中で、“不足感”の不足という言葉が浮かびました。


そのきっかけは、最近転職した友人とのやりとりでした。

私が

「3,40代の人たちを見ていると、なんだか熱いなぁって感じるんだけど、そんなようなことを感じたことってある?」

と聞いてみると、友人は

「同じ時期に転職してきた人たちを見ていると、28歳から上の人はやりたいことが明確にあるような気がする」

と言いました。


具体的な年齢についてはあくまで私たちが見ている世界の話ですが、興味深いのは「やりたいこと」についてです。


友人曰く、「前の職場では適正に評価されなかったから、頑張り次第で評価されるこの会社にきました」という人が一定数いるとのこと。

この話を聞いて私は、不足感がひとつの原動力になるよなと思いました。

不足感とは、不満や納得のいかなさなど、理想に対して足りていない状態のことを指すイメージです。


そこから、自分には“不足感”がないから、「なにがなんでもこうしたい」というような熱さが生まれないのかもと思いました。

親に頼れることで、経済的に困らず生活できている。

強烈なコンプレックスもない。

これでは、ハングリー精神を持つことは難しい。


では、そんな私はなにを原動力に進めばいいのか?

ここしばらく、ずっと悩んでいました。

不足感が不足していることを原動力にできるかもしれない。そんなことも思いました。


しかし、今は明確に「これが原動力だ」と思えるものが見つかりました。

それはなにかというと、父親からの経済的な自立です。


昨日の記事でも書きましたが、だんだんと父に対して正常な怒りが湧いてくるようになりました。
 
経済的に依存している限り、いつまで経っても父のルール圏内から抜け出せない
 
それがものすごく苦痛で。
 
 
あれ?これが私の“不足感”かもしれない。
 
もう父のルールに従いたくない。
自分のルールで生きたい。

 
そのためなら、本格的に頑張れるような気がしてきました。


やみくもに頑張るわけではなく、地に足をつけ、静かに燃えていたい。
 
そんなふうに、今は思っています。
 
こんな私を応援したいと思ってくださる方がいたら、ぜひ『深い雑談』でお話ししたいです。
 
いつも読んでくださりありがとうございます!

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『深い雑談』というものをやっています!

私がnoteで書いているような話は、そもそも人に話しにくかったり、話したところでわかってもらえなかったり…

家族すら、もしかしたら家族だからこそ、私が感じている苦しさやもどかしさを話しても伝わっている気がしない。

それがすごく切なくて。

ずっと、私の感覚をわかってくれる相手を探していました。

わかってほしい、理解してほしい。同意はしなくていいから、「ゆめはそう思うんだね」って、ただ私の考えを尊重してほしい。私の感覚が伝わる相手がほしい。

学生という枠がなくなって、世界がちょっとだけ広くなったことで、感覚が伝わる人と出会えるようになりました。

もちろん、完全に同じ人なんていない。でも、自分にない感覚の話を、「そういう感覚もあるんだ」とわかろうとしてくれる人がいる。そのことに、私はすごく救われました。

自分の感覚は間違いじゃないんだ、自分は自分の感覚を信じていいんだって、思えるようになりました。

私も、誰かにとってそんな存在になれたら。

私が日々考えていることを言葉にすることで、似たように日々考えている人が「この人となら話せるかも」と感じるかもしれない。そして実際に話してみて、自分の感覚を誇らしく思えたら。

なんかもう、すごく嬉しいなって思うんです。

なかなか自分の感覚が伝わらない、でも誰かにわかってほしい。そんな気持ちを抱えていたら、ぜひ一度お話ししませんか?

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