気に入らないな。

自分が気に入らないな。とても今の私は今の私らしい人生を歩もうとしているとは思えないのです。どうしても、何かを我慢しているんじゃないかと思うのです。というか今これからまさに我慢へ向かおうとしているんですが、

普通に働くことをやりたいと思っているのですが、
それをしようとすると何か自分の体がそれを拒んでいるような感覚があります。書類を用意して、これからやることの流れは頭に入っているはずなのに、まさに自分の道を歩もうとしているはずなのに、突然、誰かにやらされているような感覚になるのです。

一つ一つに責任を全うするような強い気持ちで、取り組めればいいんでしょうけれど、そんな気分にもならず、私は多分怠けているだけなんでしょう。

今だって、せっかく取っていただいたお時間を無駄にして、自分だけの時間にしてしまっています。自己分析とはよく言ったもので、何度それを考えてみても(というよりも考えているつもりになっているだけなのかも知れない)、答えらしい答えのような、自分自身が納得できるものは得られていません。

気分がどんどん堂々巡りしています。抽象的な感情が心臓をかけめぐっています。自分はどこかの文豪になったような気持ちで、人と違うわたしを愉しんでいるようです。滑稽だ。

自分のやりたいこととはなんなんでしょう。やりたいことを見つけようとしなければ良いという文章は確かにわたしを強くしましたが、それ以上はありませんでした。やりたいことを見つけようとすることは辞めましたし、無心に何かをやってみようという気持ちではあります。そんな中、どうしてわたしは同じような決断を繰り返し、そしてそれにつきまとう後悔も繰り返しているのだろう。

何度やったら、気がすむのだろう。人のせいにしてみたり、環境のせいにしてみたり、今はとてもクリアですが、数分前のわたしはひどかった、などと言って今度は自分を責めようとしているのです。

と、なんだか他人からわたし自身をみれているようなことを、どうして表現できましょう。東京に来てから、わたしは人のせいにするのが、とてもうまい人になりました。

全て自分自身の責任として、背負い込んでしまうことは確かに辛いですし、
良いこととは思えません。けど、この考えがまず、何かおかしいのだろうという感覚にもなったりするのです。

サンチャゴへの道を歩けば、この途方も無い悩みは解消するのかも知れないとか言って、また今自分自身に降りかかっていることに誠実に向き合おうとしない。

やるべきことはある。それに付随してやりたく無いことも増える。
これは誰の人生においても、必要不可欠なことであるから、わたしは特にこれを責めたり、詰ったりしてはいけない。

一つずつ、無理をせず着実に、進めていけばいいのです。

一つを、確実に、わかることは少ないでしょうから、
無理矢理に頑張ろうとしなくていい。
変えたい時には、チャンスだけは常に平等であるはずです。


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