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日本プロ麻雀協会22期後期の試験を受けてきた

6月が終焉を拒否しているかのような雲模様であった。7月1日・・・日本プロ麻雀協会の試験に臨んだ。
実家暮らしの俺に郵送された受験資料を母親は何も言わずに俺の部屋に置いた。彼女は休日にスーツ姿で出掛ける俺に対して平日と変わらぬ流れで送り出した。思えば今回の受験に関して、誰にも詳細を話すことなく試験日を迎えていた。
既知の間柄であれば、いつかどこかの門を叩くことは予想できただろう。それでも試験の直前・直後に事後報告的な形になったことには理由がある。

偽らざる本音を言うと、試験直前まで受験するつもりが無かったのだ。別に麻雀プロの世界、もっと言うと麻雀界に舞い戻らずとも生活には困らないからだ。(以前はマーチャオで働いていたが現在は違う業界で働いている)
コツコツ正社員の仕事をこなしつつ、嫁さん探して結婚でもして、定年まで静かに生きていけば良いじゃないか・・・その方が効率的だし安全な人生を送れることは目に見えている。麻雀への想いに蓋をしたことすら忘れ去って・・・

思い出す機会はいくらでもあった。
サビの浮いた打牌を目の当たりにすると悲しみを感じる自分がいた。明るさが眩しい程に真っ直ぐ麻雀に励む人を見て、暗闇の布団で安らかに眠れぬ自分がいた。

紆余曲折で曲がりくねった麻雀との関係性に煩悶を抱えていたのだ。

いつか・・・いつかはこの煩悶も晴れるはず・・・そう思いながら日々を浪費していった。いつか・・・いつか・・・積み重ねてしまった「いつか」はやがて疑問に変貌した。

「いつかって・・・いつ?」

疑問を前にして黙りこんでしまう自分がいた。
答えなど出るはずもない。自分に噓を付いているのだから。刻一刻と書類の期限が迫る中でようやく現実を自覚した。

噓を続ける限り煩悶は続くのだ・・・と。

受験のことを隠すつもりも周囲を驚かすつもりも一切無かったのだ。ただただ自分への噓が周囲へ吐露する時間を奪っただけなのだ。

ウジウジとした理由である。
真っ直ぐ麻雀へ向かって歩む人を見ると未だに引け目を感じる。捻じれた人生を歩んだ30代の自分はもう元には戻れない。

でもね、何もできないってことはないんじゃないかとも思っている。
ヒマワリのようにはなれなくとも盆栽として頑張るからさ、
これから何回曲がりくねろうと折れることなく頑張るからさ、
命が枯れるその日まで、みんな同卓よろしくな。

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