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マーチャオ退職から今に至るまで①

※今回は麻雀の話ではありません。ご了承ください。


Twitterでは報告したんだが4月1日から都内のソフトウェア開発会社に新米プログラマーとして入社することになった。

一昨年の12月にマーチャオを退職してから再就職が決まるまでの約1年半のことは親しい人にもあまり詳しく話していない。なぜかと言うとどうにも自分の人生の恥や落ち度を晒しているんじゃないかという気がしたのとそもそもコロナ禍で人と会って話す機会を作れなかったのが正直なところだ。

ただ俺の人生はこれからも続いていくのだから過去の事実は事実として受け入れてゆくべきだし広いネットの海で人生の再スタートを切ろうとしている人に多少の参考となれるかもしれないと思い文章にまとめてみることにした。


マーチャオ退職

話の始めから退職か・・・とも思うが遡ること2019年10月のこと俺はマーチャオで働いていた。そしてそれまでの働きぶりが認められてアルバイトから研修社員に昇格をしたのだった。素直に嬉しかったしこれからも頑張っていこうと思っていた矢先のことだった。

日本列島を記録的な台風が襲い一人暮らしをしていたアパートが被災してしまったのだ。幸いにして怪我も無く貴重品を抱えて避難できたのだがアパートは冠水してアルバイト時代に少しずつ買い足していた家具や家電は全てダメになってしまった。


部屋中を大掃除してなんとか寝床を確保することができたのだがここから人生の歯車が狂い始める。

研修社員となって慣れない業務が増えた上に被災のショックを抱えた俺はミスを連発して当時の上司に𠮟られることが多くなった。そして仕事が終わってからも自宅での生活態度から指導すると宣言した上司とLINEで業務連絡をしなければならなくなった。

こうして心の余裕を無くした俺はミスがミスを呼ぶ負のスパイラルに陥るのにそう時間は掛からなかった。


そしてそれは2019年12月1日のことだった。職場も自宅も針のむしろとなった環境に耐えきれずとにかく遠くに逃げたいという一心で財布だけを手にして目の前に停車した電車に飛び乗ったのだ。


この時の俺は完全に正常な思考を失ってノイローゼ状態。現在は一段落して頭の中も整理できて・・・

というのがお決まりのパターンだと思うしそれがベストな形だろう。だが正直な気持ちを述べると今でも当時の上司に対する怒りは消えていなくって顔を合わせたら殴り合いを始めてしまうんじゃないかと思う。


ただその感情を深掘りするとこの文章で伝えるべきこととズレてしまう。そして何より俺にも落ち度があっただろうからこれ以上のことを述べることは控えようと思う。縁が切れたのだからあとは時間が解決すべき問題だ。


実家での静養生活

電車に飛び乗った俺はとにかく地元の八王子に向かった。土地勘のある地元なら何があってもどうにでもなると思ったのだ。

八王子に着いてからは3日間ほど漫画喫茶に引きこもった。誰とも顔を合わせたくなかったのと猛烈な体の重みに身動きが取れなくなっていたのだ。


漫画喫茶で現金も底を着いた頃にやっと少しの気力を取り戻した俺は実家に向かった。実家の暖かい安心感に飢えていたのかもしれない。

なんとか実家にたどり着くと年老いた祖母は朝6時にも関わらず出迎えてくれた。何か言葉を発するべきだったのだろうがなぜか放心状態となってしまい何も言えなかった。この時に温かいお茶と食事を出してくれたのだが食べても何も感じなくなっていたのが記憶に強く残っている。


そんな俺に祖母と両親はとにかくしばらくの間は休んだ方がいいと言ってくれた。そして言われるがまま一ヶ月の静養生活が始まった。

静養というと安寧とした日々を送れていたと思うかもしれないが実際にはこれまでの人生で最も辛い時間だった。
まず心と身体が嚙み合わない。どんな状態かというと例えば身体が渇きを訴えているとする。ただ冷蔵庫から水を取り出して飲めば良いだけなのだが心が冷蔵庫の水を取り出すことを放棄してしまうのだ。早い話が身体は動くのに心が動かないのだ。

そんな状態で2週間を過ごして改善の兆しすら見ずにいたが3週間目にしてようやく散歩ぐらいしなければと多少は外を歩けるようになった。ここから少しずつ心と身体が噛み合い出してめでたしめでたし・・・と話を終えられればマシだったのだがそうは問屋が卸さない。外を歩いていると得体の知れない恐怖や罪悪感が突如として襲い掛かってくるのである。


俺は精神医学の専門家ではないので厳密な事は断言できないが感覚が麻痺していることで表に現れずに済んでいたストレスが回復するのに合わせて “認識できる” 状態になってしまったのだと思う。

そこからの回復には丸一ヶ月はかかったと思う。正確な時期はわからない。気がついたら外で取り乱すことがなくなっていた。


職業訓練校へ行くことに・・・

ノイローゼ状態から2ヶ月程で落ち着きを取り戻したのかなり早い方だと思う。これは俺がタフだからとかじゃなくて実家での規則正しい生活やバランスの良い食事の賜物だろう。でなければもっと酷いことになっていたかもしれない。

そんな俺に職業訓練校を紹介してくれたのもまた実家の兄だった。慌ててバイトと再就職活動の両方がズルズル続けてしまうより何かスキルを身につけて確実に再就職できる道を模索したほうがいいという兄の意見に従うことにした。


さて、この職業訓練校であるが俺の選んだ組込みシステム技術科という学科は修了生の再就職率が90%を超えるという頼もしいデータが揃っていた。入校にあたっての試験も義務教育程度の内容で自信が無ければ過去問を解いたり漢字検定や中学の数学ドリルを三日も立ち読みすれば十分だろう。費用の方も年間の学費と受験費と教科書代に健康診断で総額は15万円程で破格と言えるんじゃないだろうか?

ただ注意してもらいたいのは職業訓練校というのは中途退校率が50%を超える学科も珍しくなく組込みシステム技術科はまさに50%の学科だったのだ。その理由は次回の記事に入校までの流れと一緒に説明しようと思う。

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