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とある女子大生の進路

残業帰りの電車の中でメンバー時代の後輩からLINEがあった。

「今度セットしましょうよ」

お互いメンバーから離れた後もこうした連絡を寄こしてくれるのはありがたいことだ。快くセットに参加することにした。


当日になって待ち合わせの雀荘に足を運ぶと雀荘に似つかわしくない女子大生がいた。聞けば彼女は現役の雀荘メンバーとのことだった。麻雀が始まると牌の扱いや打牌スピードにキレがあって普段から麻雀を打ち込んでいるのが伝わった。そしてキレのある打ち方に呼応したかのように瞬く間に彼女は4000オールをツモ和了した。

そうして5半荘も卓を囲んで雑談も生まれたころであった。元メンバー3人に現役のメンバーという卓であったので自然とメンバー業に関する話題が出てきた。

「就職が上手くいかなかったらメンバーをやろうと思う。」

彼女のセリフに間髪入れずに私は答えた

「やめておいた方がいい」

即答だった。しかし少しの間を置いて自分の発言にしまった・・・という気持ちが湧き始めた。なぜか?

理屈の上ではやめておいたほうが良いのは明白だ。

安定しない収入と勤務時間が前提となる職であり、コロナ禍で業界自体も先行き不安だ。それだけでなく厄介なヤツと関わってしまう確率も普通の職とは比べ物にならないし腕力の弱い女性ではリスクも跳ね上がる。

文字通りの明日をも知れぬ生活となるのだ。これらの理屈に間違いはない。しかし理屈は理屈でしかなくて本人の意志とは無関係なのだ。私は一時であってもメンバーとしてメシを食ってきたから理屈に従える面は少なくないだろう。実際にその世界のメシを味わってみなければわからないことがあるなんて沢山あるのに・・・

在学中に専門的なスキルを磨くのも良いし卒業後にまた2,3年くらいスキルを磨くのもありだろう。様々な和了形があるのと同じく人生の形も様々な形があっても良いはずだ。それなのに「あの時に挑戦していれば・・・」という思いを抱えた人生を10年20年30年と過ごすのは果たして幸せと言えるのだろうか?


今の私が返事をするなら・・・

わざわざ文章を綴るのであれば何かしらの答えを導かねばならないだろう。私の乏しい人生経験から辿り着いた答えは「条件付き」の賛成だ。

賛成の前に居座る条件は何か?


麻雀の強さ・・・

待遇の良さ・・・

貯金を作ること・・・


想像するのはこのあたりだと思う。でもこれらの要素は「続ける」のに必要な要素であって「始める」のに必要な要素ではない。「始める」のに必要なのはただ一つ


雀荘の外で衣食住を支援してくれる人を見つけること


なんだそれは?と思うかもしれないが私なりの理由がある。要するにメンバー業から身を引かなくてはいけなくなった時に人生をやり直せるようにしておきなさいということだ。人生のやり直しを支えてくれるのは家族や友人に恋人だって構わない。雀荘での利害から離れて本人の幸せを考えてくれる人を普段から大切にすることだ。

メンバー業を辞めて金も仕事も健康も失って身動きの取れない私に衣食住を与えてくれたのは家族だった。そんな私を案じて声をかけてくれた友人もいた。彼らがいなければ私は今頃はどうなっているか想像も付かない(残念ながら恋人は当時も今もいないけれど・・・)

人によっては甘えたことを言っているように見えるかもしれないがそんなことはない。無償の心で衣食住を与えてくれる人を探すのがどれほど難しいことか考えてみると良い。麻雀の強さや待遇や貯金を作るのより遥かに難しい条件だ。

件の女子大生でなくとも麻雀打ちにとって雀荘メンバーという生き方は心を揺らすものがあるのは理解できる。彼女がこのnoteに目を通すかはわからない。それでも心を揺らされた一人として雀荘メンバーという生き方を真剣に考える人の参考になることを切に願う。

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