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重たい荷物を持った時って、なぜあんなにやるせなくなるのだろう

今朝たくさん荷物があって、めんどくさがりな私はそれを一度に運ぼうと両腕、背中、お腹に抱えて、車のドアを開けようとしたところで手が滑り、背中以外の荷物を全部ばら撒きました。

落ちた荷物を見ながらしばらく動けなくて、涙まで出そうになって

「…ほらね。」 *注1

と独り言を呟いて、荷物をひとつひとつ車に積み込みました。


目まぐるしく過ぎる日々に、どこかに忘れ物があるんじゃないかと常に気になってキョロキョロ生きてる真っ只中。

側から見たら、充実してていいじゃない!

と言われそうだけど、まあまあ案外そんな甘いものでもなくて、自分の力量を思い知ることばかりです。

今朝のことに関したら

なぜ私は最初からひとつひとつ丁寧に運べないのだろう。
なぜ荷物を運ぶことくらい人生の課題においてなんてことない事なのに、めんどくさがって雑にしてしまうのだろう。
なぜたった数回のこと、たった数分のことがコツコツできないんだろう
なんで私って、、、と全てにつなげて涙が出そうになるのに、車に乗って目的地に着く頃にはそれも忘れて次に日には同じことを繰り返す。

そうやっていろんなこと端折って一気に一片にやったから
まあ「ほらね」という一言に全てが集約。*注1


不安な時って、たとえ100人が「大丈夫だよ!」って言ってくれたって不安なんてものは消えなくて、なのに謎な使命感にかられて「私がやらなきゃ誰がやる」と背伸びをしてるのはわかっていて、100の素敵な言葉より1の切ない言葉が胸に残り、ちょっとしたことでやるせ無くなったりするのを、笑えばどうにかなるだろうと大笑いしてるけど
後ろを振り返ったらもう戻れないことを実感して怖くなるのが嫌だから、前だけを見て突き進んでるわけなのですが

そんな私を知ってか知らずか、ここのところ、たくさんの方がそれぞれのやり方で優しさを差し伸べてくれます。

本格的に困ってる時って、ふと周りを見渡すと、こちらに向かってたくさんの手が伸びてることに気がつける。それはとってもパワーになって、この人を喜ばせたい!とまた私を成長させてくれるのです。
それだけでもギリギリのところに立った甲斐があるな、と思いました。

本当にありがとう。ちゃっかりしてて申し訳ないけど
毎週、高城神社にお参りに行ってるおかげで、周りの人に恵まれてるのかな。

amahare studio のお客様を喜ばせたい。という一心だけなのは嘘ではないです。
楽しいところへみんなと一緒に行きたいです。
何十年後かに向かって。

それだけは忘れず毎日生きております。留守番ばかりでごめんねリング。

そういえばこの前
「まきさんて、ワンピースのルフィみたいな。」
って言われました。笑

この際、海賊王になろう。

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