雨雲レーダー

思考の版画

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最近の記事

人生のステータスの振り方

人生とは、ほぼローグライクである。どんなイベントを引くかによってほぼ全てが決まるからランダム性が強いし、死んだら全てリセットされる。強くてニューゲームもない。次のゲームへの引き継ぎ要素が全くないのでやり込む必要もない。ゲームオーバーで全てリセットされてしまうからだ。 ローグライクをやったことある人ならわかるが、このゲームにはビルドというものがある。キャラクターの特性を活かしてシナジーを作ったり一つのステータスを極めたりするものだ。 これは早く強くなるために必要である。まん

    • もんじゃ焼き屋は精神的満足を売る

      もんじゃ焼き屋は精神的満足のための店である。先日、もんじゃ焼きを食べた時に強くそう思った。 もんじゃ焼き屋はたいてい材料と鉄板だけを提供し、客に料理を作らせる。客は思い思いにもんじゃ焼きを作って食べる。お金を払って料理を作っているのだ。この光景は感情抜きで考えると異様である。 もんじゃ焼きは、材料の良し悪しはあれど味はどれもほとんど変わらない。作る人が失敗したとしても酷いものはほぼ絶対にできないのだ。しかし、もんじゃ焼きには普通のレストランの料理とは違った美味しさがある。

      • Short動画の視聴は人生を破壊するきっかけになりうる

        short動画を見るな!人生ぶっ壊れるぞ! とは言いたいけど私も無限に見てしまう。あれは時間をあるだけ溶かす悪魔のシステムである。 ここではshort動画とはTikTokやYoutube shortsのような短い動画をスワイプして見ることのできるサービスのことを言う。 この悪魔のシステムを悪魔のシステムたらしめる理由はいくつか存在するので紹介しよう。 一つ目は、次の動画を見る労力がいらないことだ。普通の動画であればサムネイルとタイトルを見て、その動画を見るかどうかの判

        • 「俺の方が大変だよ」は正しくない。

          人に相談すると、「いやいや、そんなことはよくある。俺の方が大変だよ。」と言う返事が返ってくることがある。相談内容と自分の大変さと比べて相談内容を否定し、自分語りを始めるためのキッカケとする最悪の返事だ。私は、このような返事が非常に嫌いである。それは、「俺の方が大変」という評価は正しくないからだ。 そもそも「大変」とはどう言う状況なのだろうか。やるべきことが大量にあり、自分の限界を超えそうまたは超えていることだと私は思う。つまり大変さというのは割合で、自分の限界の大きさによっ

        人生のステータスの振り方

          認識と存在

          認識がなければ、存在はない。幽霊はいないんじゃなくて我々が幽霊を認識できないから存在しないことになっている。つまり認識していないもは存在しないのだ。 我々は宇宙人のことを好き勝手に想像しているが、実は人間が持つ五感以外の感覚でしか認識できないのかもしれない。五感っていうのはあまりにも少なすぎる。人間は、五つの要素が抜けるだけでこの世界を認識できなくなり、世界の存在が消える。 ゲーマーなら分かるかもしれないが、ゲーム仲間とボイスチャットをしている時に誤って自分のマイクがミュ

          伏線と示唆の違い

          最近、漫画やアニメの考察が流行っている。私もたまにYoutubeなどで好きな作品の考察を見ることはある。ただ、まれに動画内で扱われている「伏線」について違和感があるのを感じる。 例えば、漫画の表紙のキャラクターの位置関係や数字が隠されているなどの要素を伏線として扱うことだ。これは主にワンピースの考察動画でよく見る気がする。これは伏線ではなく、ただの示唆である。漫画の表紙はストーリーの本編ではないし、漫画ではなくアニメで見ている人には見ることさえできない。よって、これらが伏線

          伏線と示唆の違い

          ハートマークはなぜカワイイのか

          世の人々はハートマークをカワイイと言い、さまざまなカワイイものにハートマークを使っている。また、おじさんがハートのビームを撃っていたら少し変に感じる。ハートマークはカワイイので、可愛くないおじさんには合わないのだ。 だが、ハートマークは心臓を表すシンボルであり、カワイイとは無縁であるように感じる。理科の実験で豚の心臓を扱った時、クラスメイトたちはひどく気持ち悪がっていた記憶があり、なぜ心臓のシンボルがカワイイとされるのか不思議でたまらない。 まずそもそも、カワイイとはなん

          ハートマークはなぜカワイイのか

          電車とオセロ

          電車とは、角の席を取り合うオセロゲームである。都会の電車ではそんな光景は見ることができないと思うが田舎の空いている電車ではよく見ることがある。広大な車両に2、3人しか人がいないとき、その2、3人は扉に近い角の席に座っているのだ。私はその光景を初めてみた時少し奇妙に覚えた。なぜ角の席を取り合うのか。その車両を独り占めしたかのように席のど真ん中に座っていたほうが気分がいいだろうに。 ただ、人々は角の席に座りたがる。不安だからだ。ど真ん中の席はあまり落ち着かない。前に本で読んだこ

          電車とオセロ