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ゆうまずめ

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 目を開けなければよかった。扉は歪み、天井がしなり、すべての窓が土で埋まっている。ありとあらゆる方向から押し寄せた土砂という土砂が建物全体を圧迫していた。血の臭いがすると思ったときには、土の波がすぐそこに迫っていた。倒れた人間の腹には土くれが覆いかぶさり、何人分かもわからない呻き声がいくつも漏れ聞こえてくる。まだ生きている。何人もの人間が土砂から這い出そうともがいているのだ。見知った顔がいくつも土くれに食い荒らされている。隣の女は首から下を土に飲み込まれていた。

 「精霊様、お助けください」

 土の中から飛び出た人間の手足が不規則に痙攣している。周囲から聞こえる掠れた呻き声と、心臓が早鐘を打つ音とが歪に混じり合った。死ぬはずがないと思うのに、身体の震えが止まらなかった。死にたくないと思うのに、足は一歩も動かなかった。

 「――――、――…………。」 

 背筋に怖気が走った。気がついてしまった。押し寄せてきた土の波は勢いを失って動きを止めていた。つめたく生気を失った双眸がいくつもいくつもそこらじゅうで剝き出しになって、そして、こちらをじっと見ていた。

 ああ、目を開けなければよかった。

 ***

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 「釣れた」
 「お~! 大きいな〜!」

 エレゼンの男が釣竿を持ち上げ、針にかかった魚を引き寄せる。魚の鱗が陽の光を反射するのを見て、傍に立つララフェルの顔が期待で輝いた。彼女の顔は上半分が仮面で覆われていたが、綻んだ口元と弾んだ声色がその喜びを余すところなく伝えてくる。

 「ベハティ、そいつをバケツに入れておいてくれ」
 「ってことは、これは逃がさんでもいいやつ?」

 エレゼンの男は頷いて、ベハティと呼ばれたララフェルの掲げた網に魚を入れてやる。大きさは充分、形もいい。これは当たりだ。ベハティは嬉しそうに、魚を近くのバケツに運んでいく。

 「これくらいならええんじゃね! で、これよりちっちゃいのは逃がす!もう覚えたぞ~」

 黒衣森はよく晴れていた。水面に反射した午後の日差しは穏やかで、川のせせらぎが耳に心地いい。

 「焼くと美味いんじゃよねこれ! 街でも売ってたらええのに~」
 「すぐに鮮度が落ちるから市場に出回らないんだと。ここらに住んでる者の特権だな」
 「トード料理?」
 「郷土料理」
 「そうそれ」

 彼はひとしきり笑った後、竿をベハティに手渡して立ち上がる。

 「竿の使い方は大体わかったろう。それじゃあ今から競争だ」
 「へへ、今日もわしが勝っちゃうもんね〜」
 「どうかな? 摑み取りとは勝手が違うぞ、竿は」
 「釣りに血道を上げたベンは手強いかもしらんが、わしは漁の真髄を理解しとるんじゃよ! こうやって……」

 ベハティは竿をえいやと振り、ウキを岸から離れた場所まで投じる。

 「魚が集まる場所を見極めるんじゃろ?」

 そこはちょうど木陰になっていて、水中には大きな岩が転がっていた。魚が身を隠すにはぴったりだろう。

 「上手いなぁ。だが今日は私が勝つぞ」
 「ほほ~ん、ずいぶんと自信家じゃなぁ今日のベンは! ……ん、それ何? 網?」
 「そう、網」

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 「それわしが作ったやつ!」
 「まあね、ちょっと拝借してきた」

 ベンと呼ばれたエレゼンは悪戯っぽく笑い、ベハティの肩を優しく叩くと網を片手に上流の方へと歩いていった。しばらくして戻ってくると、何をするでもなくベハティの竿を見つめたり、石を裏返して虫を集めてはベハティに渡している。魚をとらないのかと尋ねれば「いま捕ってる」とニヤつくばかりだ。

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 「え~? 怪しいなあ! 何か企んどるじゃろ!」
 「さぁどうかな? それにしても、雨が上がってよかった。いい天気じゃないか」
 「露骨に話ずらした」

 二日前から降り続いていた雨が、今朝止んだばかりだった。川はいつもより流れが早く、よく見ると少し濁っている。時折上流から流れてくる木の葉や枝をじっと見ていたベンが不意にベハティの方を振り返った。

 「……そういえば今日だったか、完成式典」
 「ん〜? ああ、今日の夜じゃね」
 「君と釣りができて私は嬉しいが、本当に行かなくてよかったのか?」
 「ベンとの約束の方が先じゃったし。ええのよ」

 ベンは低い声で「そうか」と呟くと、ベハティの隣に座り込んだ。

 「まあ『予言の日』は無事越えたし、今年は大丈夫だな。我々は休暇を満喫しようじゃないか」
 「無事〜?」

 にしし、と笑いながらベハティはベンの顔を下から覗き込む。彼女の仮面は顔の上半分のみを覆う造りのため、ニヤニヤと嬉しそうに笑う彼女の口元がよく見える。

 「本当に無事かなぁ? ベンはこわい目に遭ったんじゃなかったっけ?」

 わしは平気じゃったけど! と可笑そうに口元を緩ませるベハティに、ベンは微笑んで片眉を上げてみせる。彼がおどける時、決まってこの顔になることをベハティは知っていた。

 「何も起きなかったよ、あの日は」
 「怖がってたくせに〜」
 「怖がってない。私と君とで記憶に齟齬があるようだね。一度認識を擦り合わせようか?」

 そう、確かにあの日は少し妙なことがあった。

 ***

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 「黒衣森に避暑地ねえ」

 二人が釣りに赴く七日前の朝だった。ウルダハの冒険者居住区にある二人の小さな拠点には朝の光が燦々と降り注ぎ、マグカップから立ち昇る白い湯気を優しく照らしていた。ベンは朝食後のコーヒーを飲みながら、ウルダハの情報誌『ミスリルアイ』を広げ、少し間延びした声で驚きを示す。紙面には「ついに予言の日!」の文字が躍っていた。

 「何度聞いてもしっくりこないな。よくもまあ地元住民と精霊様が許したもんだ」
 「……地元のもんはねぇ、まだ反対してるのもおるよ」
 「やっぱりそうか」

 ベハティは椅子に座ったまま、微睡むような声でベンの問いかけに答えた。ベハティはベンよりも寝起きが良いが、今朝は任務のために早起きしたせいで半ば夢の中にいるようだ。ベンの拵えたエッグサンドを頬張りながら、なんとか意識を覚醒方向に持っていこうとしている。

 「今日も来るんじゃろねぇ、建設に反対しに……」
 「予言の日だったか。その話、私の方の資料には詳しく載っていなかったんだよな」
 「……あのねえ、そりゃそうじゃよ。予言なんて森の外の人間にとっては迷信みたいなもんじゃ」

 ベハティはだんだんと目が醒めてきたらしく、ややはっきりとした口調でそう答えた。

 二人は今日、黒衣森で任務に就くことになっていた。もとはベハティ一人が幻術士ギルドから協力を依頼されていたものだが、「予言の日」が近づくにつれ規模が拡大され、双蛇党から冒険者ギルドにも依頼が出された。ベンもウルダハの冒険者ギルドからベハティと同じ依頼を受けたため、結果として二人で任務に就くこととなったのだ。

 ベンがウルダハの冒険者ギルドから渡された資料はいわば「外向け」のものであり、内容はごく単純なものだった。

 『ウルダハのとある商人が黒衣森に避暑施設を建設している。完成すれば多くの人々が訪れる施設となるため、完成前の安全確保を念入りに行いたい。幻術士ギルドの幻術士たちと協力し、魔物等の脅威を発見次第、排除してほしい』

 「この資料、読んですぐに思ったんだが」

 ベンは資料をダイニングテーブルに広げ、ベハティに疑問を呈した。

 「作戦規模が大きすぎる。これなら幻術士だけで間に合うんじゃないか」

 朝食を食べ終えて杖の手入れをしていたベハティは、何ということもなく「予言の日じゃからね」と答えた。

 ベンは「予言の日」という言葉を反芻しながら、手元の『ミスリルアイ』に目を落とす。紙面には、ウルダハの商人が建築中の避暑施設がまもなく完成することと、施設の完成により開拓される観光市場の規模予測が掲載されている。そして見出しに踊る「予言の日」の文字。記事によれば、建築予定地は「予言の日」と呼ばれる日に事故や自然災害が発生したことがあるらしい。

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 「予言の日」がもたらす経済的打撃を懸念した記者による避暑地オーナーへのインタビュー記事も掲載されていたが、オーナーは「予言の日」に関しては「霊災後、不安定になった土地でしばしば起こること」と「黒衣森によくある信心深い方々の杞憂」が結びついた結果であるとしていた。

 「予言の日」を精霊の怒りと捉えた人々の建設反対運動も起こっているものの、去年と一昨年は「予言の日」に何も起こらなかった。オーナーによれば「既に地盤調査と安全確保は完了している」ため、施設はほぼ完成間近という段階まで進んでいる。ついに今日「予言の日」を迎えるが、施設は無事に完成するのだろうか、続報は次号にて――という文章で記事は締めくくられていた。

 「ベハティ、予言について詳しく教えてくれないか」
 「ん? ええよ」

 ベハティは幻術士ギルドに所属する白魔道士であり、双蛇党に籍を置く冒険者でもある。ウルダハを中心に活動するベンよりも、黒衣森には詳しい。ベハティによると、『ミスリルアイ』に書かれた内容は概ね正しい。しかし去年と一昨年に被害が出なかったのは、予言の時期に人の出入りを禁じた為であるという。

 「もともと土砂崩れとか、トレントが急に起きたりとか、そういうことが起こる場所ではあったんじゃけどね。霊災以降、三年続けて同じ日に人が巻き込まれる事故が起きて……それからじゃね、予言の日って言われるようになったのは」

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 要はその土地に人が寄り付くと決まって「嫌なこと」が起きる、ということらしい。

 「……よく売れたな、そんな土地」
 「まあ、売る方も困っとったからね……やむにやまれずって感じじゃったよ。そこ、近くにある村の土地なんじゃけどね……」

 ベハティの話をまとめると、今回避暑地の建築予定地としてウルダハ商人に売られた土地は、もともと近くの村の住人が主産業の耕作に使っていた場所だったそうだ。だが霊災以降、作物が育ちにくい土壌に変化してしまい、村は困窮していた。そこに「予言の日」だ。川の氾濫やトレントの襲来で人にも被害が出始めたが、村ごと引っ越そうにも元手の金がない。なお悪いことに、昨年頃からはイクサル族が近くを徘徊するようになってしまったという。

 「もうね、これはね、無理じゃよね」
 「無理だな。それでも精霊の許しが出なければ村ごと見殺しにしそうなもんだが、今回は大丈夫だったのか」
 「大丈夫というか……精霊はね、怒ってないんじゃよ。今回土地を売り渡すことについても、なんなら今までの『予言の日』前後も別に怒っとらんかった」

 ベンは少しだけ瞠目した。信じられないという表情だ。

 「……許したってことか? 土地を売り渡すことを、精霊が?」
 「許したかどうかはわからん。怒ってない、それだけ」

 ベンはフォールゴウドの「浮かぶコルク亭」に入り浸っていたウルダハ商人のララフェルを思い出していた。そういえば彼もずいぶん黒衣森を気に入っていた。ウルダハの絢爛な景色や喧噪に疲れた者には、黒衣森の自然豊かな土地は魅力的に思えるのかもしれない。それにベハティが言った通り、森の外の人間にとっては「予言の日」など迷信に過ぎない。今日の巡回業務にしたって、依頼主のオーナーからすれば「徹底した安全対策の実施」を出資者や見込み客にアピールするためのポーズでしかないのだろう。

 ベンは『ミスリルアイ』を閉じて立ち上がり、用意していた鞄を背負う。出立の準備を整えたベハティもベンの側で杖を掲げてみせた。

 「ま、そういうわけで気を締めてかかるぞ! いつだったか冒険者がクマに食われたこともあるって聞くし、ベンも気をつけるんじゃよ」
 「もちろん」
 「ベンは美味そうじゃからな〜。何せ美味いもんいっぱい食っとるし」
 「それなら君も気をつけなさい。 私と同じものを食べてるんだから」
 「わしはベンより慎ましやかに食うからお上品なお味に仕上がっとるはずじゃ」

 扉を開ければ、ザナラーンの空は高く青く、澄み渡るほどの快晴だった。黒衣森も、今日は一日晴れだと聞いた。少なくとも、天気予報士の話では。

 ***

 気が付くと深い霧の中にいた。

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 「ベハティ?」

 あたりは薄暗い。あと一息で夜に吞まれそうな空が青紫に染まっている。周囲の霧は、空の色をそのまま吸い込んだように青く澱んでいた。少し遠のいた記憶を急いで遡る。そうだ、今日はベハティと二人でここに来た。黒衣森を見回って、それで、私は何故一人でここにいる?

 (ベン、わしあっちに呼ばれたから行ってくるね)

 そうだ、午後の見回りを終えて陽が傾き始めたころ、彼女と別行動になった。想定よりこちらの仕事が早く終わったから、そう、私は彼女を迎えに行こうとしていたはずだ。

 (あの子は何処だ)

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 霧がかかるような天気だっただろうかと訝しみながら、それでも記憶を頼りにベハティのもとへ向かう。たしか数人の幻術士と白魔道士が、どこかの小屋に集合するよう指示されていたはずだ。彼女はきっとそこにいる。

 バキッ、と背後で音がした。

 弾かれたように振り返る。生木が裂けた音に聞こえたが、あたりは静まり返っていた。気のせいでなければ、遠くで何かが動くような気配がする。こちらに気付いているかはわからない。ただ何か大きなものが、ゆっくりと移動しているように思えた。

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 嫌な感じがした。何の命の気配もないのに、視線のような違和感がまとわりついて離れない。ぼんやりとした薄気味悪さが生温い汗と混じって背骨を這い降りていった。

 (異常ですか? いえ、特に何も。ただ違和感がないのが逆に気になるというか)

 午後の見回りで声をかけた白魔道士の言葉を、不意に思い出した。

 (静かなんですよ。でも……。すみません、とにかく嫌な感じはしません。むしろ落ち着いている方かな)

 落ち着いている。森は落ち着いていると言っていた。他の幻術士や白魔道士も大方同じ見解だった。それならばやはりこの違和感は、森に不慣れな自分が感じた不安が生んだものだろう。一度大きく息を吸ってから気を取り直して歩き出すと、存外すぐに目的の小屋が見つかった。明かりはついていないが何かの蠢く気配が感じ取れる。彼女の行き先はここだったはずだ。扉に手をかけ、そっと開いた先には、長く暗い廊下が広がっていた。

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 (暗い)

 壁掛けのランタンに火が灯っていない。外から見たときも不思議に思ったが、何かの気配はするのに小屋の中が暗いのだ。

 「――――、――…………。」

 少し離れたところから、囁き声と言おうか、くぐもった音が幾度か聞こえた。言葉は聞き取れないが、会話のように思える。やはり誰かいる。一歩ずつ暗い廊下を進む足取りが、だんだんと重く慎重になっていく。

 ぎい、ぎいと廊下の床板が呻くように軋む音がやけに耳についた。それにしても何故、誰もいないのだろう。ベハティは何処に行った? 先の見えない廊下の暗がりが、抑え込んでいた不安の種を次々に芽吹かせる。

 梁だろうか、それとも柱だろうか。大木が軋むような音が周囲から聞こえてくる。空気ごと押しつぶすような鈍く重い響きだ。黒衣森を歩いていると時折遠くで聞こえる音に似ていた。これが耳元で鳴るときは、あの大樹人が居る時だ。そういえば、いつの年かの「予言の日」。森のトレントが一斉に目覚め、旅商人の集団に襲い掛かったことがあるとベハティが話していた。

 もし、襲撃が既に起こっていたとしたら?

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 今日は予言の日だ。この地に人が居る時は必ず何か起こってきた。それが今日はまだ起きていない。何も起きずに済むなんて、どうして保証できようか? 灯の消えた暗い小屋、視線のような何かの気配、聞き取ることのできない言葉と軋む天井、青い霧。嫌な予感がする。暗闇の先を見透かそうと目を細め、身を屈めたまま廊下を進んだ。

 廊下の先は突き当たりになっていて、左側に通路が続いていた。突き当たりの右側には壁だけがある。すると、突き当たりの左側から明かりが差し込むのが見えた。揺らぐ橙の光がやや遠くから差している。人がいるのかもしれないと一歩先に進む。不意に、突き当たりの壁が大きな影で覆われた。



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 ――大木だ。太い枝を大きく広げた大木の影が、突き当たりの右側、壁になった部分を覆っていた。天井と床のきしむ音が耳朶を打つ。動いている。小屋の中に大木の影がある。どういうことだ。

 気付けば呼吸を止めていた。「予言の日」にこの地を襲った数々の惨事が脳裏をよぎった。全身に緊張が走り、耳の奥の血管がどくどくと脈打つ。剣の柄を握り込み、さらに息を詰める。歯を食いしばって吐き切った息と共に曲がり角の先へと踏み出すとそこには、







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 「ベン?」

 ベハティが立っていた。

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 「何してるの?」

 のんびりとした声。間違いなくベハティだ。声を失っていると、ベハティの背後から橙の明かりが漏れている。彼女がぽちんとたたずむ廊下、つまりベンから見てちょうど突き当たりの左側にあった通路に次々と灯りが点き始めていた。見るとベハティの背後には同僚と思しき幻術士たちがおり、手にろうそくを携えて壁にかかったランタンに火をつけて回っている。ベンが急な眩しさに思わず顔をしかめていると、ベハティはトコトコと靴を鳴らしてベンの足元に歩み寄ってきた。

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 「もう見回り終わったんか? お疲れさま~じゃよ! わしも今おわったとこ!」

 ベンは張りつめていた息を吐きだして緊張を緩めると、ああ、とかウン、といった返事らしき音を発しながら、やっとのことで頷くような動作をしてみせることに成功した。

 ***

 「え~っ? 小屋の中にトレントおったの?」
 「わからない。影を見たんだ。君と会う直前に……見間違いにしてはハッキリしていたから気になっているんだが……あれ以降見ていないしなぁ」
 「う~ん、そんなのおったらさすがに誰か気付くと思うけど……」

 ベハティに思い当たる節はないようだった。それならばやはり自分の見間違いだろう。

 「そうか……そういえばさっきは随分暗かったね。何をしていたんだ? 」
 「あ~、なんかねえ、セレモニーって夜やるんじゃけど、その時に使う照明の具合を確かめたかったんじゃって。わしらはそのお手伝い! ぴっかぴかのきらっきらの派手派手じゃったよ~! さすがウルダハ流じゃね~!」

 現在は技術班によるセッティングの最終調整中らしい。あとは解散指示を待つだけだというベハティの横で自分も待機することにして、長椅子に腰かけた彼女の隣に陣取った。ベハティは楽しそうにくすくす笑っている。

 「暗いの、もしかして怖かった~?」
 「いや全然」
 「そうかぁ~? それにしては切羽詰まった顔しとったよ?」
 「じゃあ、さっきはリハーサルが終わって、みんなで灯りを点けて回っていたわけだね」
 「そうじゃよ! 急にベンが飛び出してきてびっくりしたぞ~」

 ベハティは背負っていた杖を手に取ってささくれの手入れをし始めたが、不意に「あ~!」と声をあげた。声に驚いて振り返ったベンの方を見上げ、嬉しそうにニヤニヤしている。

 「なんだ、どうした」
 「わし、わかっちゃったもんね~! ベンの見たトレントの正体!」

 機嫌よく跳ねるような、くすくす笑いの乗った声だった。ベンは片眉をあげて首をかしげると、座ったまま片手を腰に当ててベハティの方に向き直った。悪戯っぽい笑い方だ。

 「何だろう? 教えてくれないか」
 「そのトレントって~、こんな顔しとったんじゃない?」

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 ベハティが差し出したのは杖だった。彼女のお気に入りであるその杖は、大きな木の枝に顔がついたような代物だ。どんな原理で作られているのか皆目見当もつかないが、よく動く目がふたつと口があり、しかも勝手にカタカタ動く。

 「あのとき、わしの後ろにろうそく持ってる人がいっぱいおったんじゃよね。みんな壁のランタンに火つけてたから。だからこいつの影がおっきくなって壁に映ってたんじゃない? いひひ」
 「……なるほど」
 「ベンって結構怖がりなんじゃねぇ~! あはは!」

 楽しそうな声でころころと笑うベハティを見て気が緩んだのか、ベンはいつもより柔らかい表情で「怖がってない」と反駁しながらベハティの脇腹をつつきまわっていた。

 「私は警戒していただけだ」
 「ほ~お? そうじゃね、ベンは警戒心が強いもんね? んふふ」
 「まったく……一応『予言の日』だから身構えていたんだよ。話し声がする割に誰も出てこないし、少し嫌な想像をしてしまった」

 珍しく弁明するような調子の相棒を見上げて、ベハティが首を傾げた。

 「話し声? したの?」
 「ああ。はっきりとは聞こえなかったがね」
 「明るくなるまではみんな喋っとらんかったよ? 本番でも暗いとこで黙って動かんといかんから、それの練習で……」
 「……そうなのか? なら聞き間違いだな、きっと」
 「ベン? そういえばどうしてこの小屋に来たの?」
 「ん? 私の方は仕事が終わったから、君と合流しようと思って……」
 「わし、ここにいるってベンに言ったっけ。あっちの方にいるとか、それくらいなら言った気がするけど……誰か教えてくれたの?」
 「……いや?」
 「ベン」

 ベハティの声がやけに平坦に聞こえた。

 「どうやってここに来たか覚えてる?」
 「………………覚えてないな。何かまずかったか?」
 「んーん、まずくはないよ。よかった」

 ベンが言葉の意味を聞こうと身を乗り出したとき、ちょうど解散の指示が飛んできた。他の幻術士や冒険者たちも次々と立ち上がり、小屋の出口へと向かう人波が出来上がる。二人も流れに乗って外へ向かい扉を抜けると、不意に大きな声がいくつも聞こえてきた。

 「建設を中止しろ!」
 「今に精霊様のお怒りに触れるぞ!」

 声の方を振り返ると、十数人のヒューランやエレゼンが集まり、こちらを険しい顔で睨みつけている。夕陽に沈む黒衣森を背にして、大きな声で何事か主張しているようだ。

 「例の反対派か?」
 「うん、ここんとこ毎日おるよ」

 ベハティは意に介する様子もなく、すたすたと歩いてチョコボ厩舎の方へと向かっている。ベンも彼女に倣ってチョコボに跨ると、建設反対派の声を背に負いながらグリダニアの街を目指してチョコボを走らせた。精霊様の怒りに触れる、だから警告している。そう叫ぶ彼らの主張を頭の中で反芻していると、ベハティが思い出したような調子でベンの名を呼んだ。

 「なあ、ベン! 釣りに行こうって言ってたの、いつじゃったっけ?」
 「ん? ああ……ちょうど来週だな」
 「来週ってことはえーっと、七日後! ってことは……」
 「……そうか。ここの完成式典と被ったな」
 「行こう、釣り」

 ベハティは迷いなくそう答えた。

 「前から楽しみにしとったんじゃよ、ベンと釣りするの」

 *** 

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 それが、今からちょうど一週間前の「予言の日」に起きたことだった。完成式典は今夜だ。「予言の日」を無事に越えたこともあり、式典には多くの人が参加する想定だと『ミスリルアイ』も報じていた。

 河原に転がる大きな岩に腰かけ、流れる水に手を浸しながら、ベンは「予言の日」について考えていた。傾き始めた陽の橙が水面で踊っている。あの日ベハティの背後で揺れていた、ろうそくの灯とよく似た色だった。

 あの日は、何事もなかった。自分はそう感じたが、白魔道士のベハティはどうだろうか。真剣な表情で釣り竿を握る彼女の横顔に、そのまま疑問をぶつけてみることにした。

 「なあベハティ、『予言の日』のことだが」
 「ベンが小鹿のようにおびえておった日のことじゃね」
 「そうだけどそうじゃない。あの日あそこにいた幻術士は、森は落ち着いてるって……違和感がないのが逆に気になると話してた。それを思い出して、そういえば君の考えを聞いていなかったな、って。精霊とは接触したのか?」
 「あー……。うん、なんじゃろね、うまく言えないんじゃけど」

 ベハティはウーンと喉を鳴らしながら、考え考え言葉を重ねていく。

 「見られてる、ような感じ。あんまり良い感じの視線じゃなくて……首の後ろの羽根がちょっと逆立って、落ち着かなくて、そわそわする……そんな感じじゃ」

 ベハティは人一倍視線に敏感だ。だからこそ、精霊の「視線」にも感づいたのだろうとベンは考えた。

 「だから……その、ほんとはダメなんじゃろうけど……、知り合いの幻術士とか白魔道士にはね、今日、行かない方がいいかもよってやんわり言っといたんじゃよね。まあ、ちょっと変な感じがした程度で任務すっぽかすわけにもいかんじゃろうから、強くは止められなかったんじゃけど……」

 ベハティは手にした釣り竿を握り直しながら、バツが悪そうに言葉を濁した。ベンは穏やかに彼女に笑いかけ、釣りに同行してくれたことを改めて感謝した。

 「なんじゃなんじゃもう」
 「君が私の趣味に付き合ってくれて嬉しいよ」

 穏やかな夕暮れの光の中で、ベンはベハティの傍らに座り込み、心の柔らかい部分を撫でまわすような声でそう言った。

 「私は仕事人間だから、君との約束がなければ今日こうして釣りに勤しむこともなかっただろうからね」
 「はいはい! あ! そうじゃベン! 勝負は!?」
 「露骨に話逸らしたな」
 「わしの網どこにやったんじゃよ~!」
 「うん、そろそろいいかな。それじゃ君も一緒に来なさい」

 ヤイヤイと文句を言うベハティを引き連れたベンがやってきたのは川の上流だった。彼の屈みこんだところを見ると、木の枝と網を組み合わせて作った四角い箱のようなものが水の中に沈んでいる。

 「ベン、なあにそれ」
 「私の隠し玉だ。見てごらん」

 ベンに促されて水中をのぞき込んだベハティが歓声をあげる。彼の指した箱の中には、魚が何匹も入っていたのだ。

 「罠の一種だよ。後で君にも作り方を教えよう」
 「は~、すごいなベンは~! こりゃ一本取られたかもしれんね!」 
 「私だって勝ちたいからね。時期も狙ったし」
 「時期?」
 「この時期は特に雨が多いんだ。すると水が濁ったり、魚が水面近くまで上がってきやすくなる。ここは魚が隠れる岩陰があるから、獲れる魚も多い。それから実は、罠を置く前に何度か餌を撒いてた。ここは安全な餌場だと思えば寄ってくる魚も多いからね」

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 ベンはそう言うと、罠の近くに屈みこむ。中にいる魚を見つめては次々に別の魚へと視線を移し、何事か考えているようだ。

 「たくさん獲れる時期を待っとったんか、策士じゃね~」
 「あとは時間だな。漁師ギルドの受け売りだがね、朝と夕方は魚が活発に動くからよく釣れるんだ。まずめ時と言うんだが、いまはちょうど夕方だから……ゆうまずめだ」

 ベハティは彼の横顔をじっと見つめている。

 「ベン、それ何してるの?」
 「ああ、選んでる。ほら、君もやったろう? あんまり小さいのは逃がしてやらないと。一度に食べられる量にも限りがあるしね」
 「……選んでる」
 「そう。うん、こいつはちょっと小さいかな」

 厚く骨張った大きな手が籠の中に差し入れられた。川に放された魚は、なるほど籠の中の魚よりもやや小ぶりに見える。ベハティは彼を見ていた。彼の目を、魚の背をなぞり移動する視線を、ただじっと見つめていた。ベンは垂れてくる前髪を何度か片手で直しながら、魚を数匹川に戻している。

 「お、これはいい。香りがいいんだ、こいつは」

 あ、とベハティが小さく声を漏らした。これだ。ようやく合点がいった。それにしても、あの日彼が小屋にたどり着けてよかった。心の底から、そう思った。

 ***

 その日は『ミスリルアイ』も『週刊レイヴン』も『ハーバーヘラルド』も、全く同じ単語を見出しに躍らせていた。記事の内容はどれも、七日遅れで訪れた「予言の日」の災厄について記されている。

 黒衣森で未曾有の土砂崩れが発生。ウルダハ商人が建設し、完成式典が開かれていた避暑施設は大量の土砂の下敷となり全壊。式典に参加していたオーナーや出資者、警護にあたっていた双蛇党員や幻術士たちも、集まっていた建設反対派の集団もすべてが土砂に巻き込まれ、一人を除く全員が生死不明となった。

 ただ一人土砂から救い出された白魔道士は、周囲の人間からの質問に対し、こう答えたという。

 「精霊様に、逃がしてもらった」と。

 彼にはきっと、精霊の加護があったに違いない。

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