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全ての気付きをくれた人

今年も終わりが近づいていて、3年前のこのくらいの時期にも同じような焦燥感を抱いていて、また同じことしてるわ、私…と遠い目をする毎日です。


しかし、見てもいない未来を悲観して今を蔑ろにするのはとても勿体ないことなので毎日楽しく生きていこうと思っております。


さて、先日

35歳の少女

が最終回を迎えました。

最初から突っ込むところは多かったわけで…。

『いきなり目覚めて、自分が好きな人と相思相愛になれるかいな~!こんなこっぱずかしい台詞をペラペラ並べて…』

と。

そして回数を重ねていくにつれ皆の過去や挫折した経験、苦い思い出等がどんどん露呈していきます。

斜に構えて諦めきった人々に対していつでもまっすぐな意見で背中を押すのぞみちゃん。

皆もハッとして見ないようにしてきたものを少しずつ開けていくようになったり、ならなかったり…。

ですがのぞみちゃんもさまざまな困難に直面し、全てを諦め、他人の幸せなどもう願わずに生きていこうと感情をなくしたアンドロイドのようになってしまいます。

そしていつも励まされていた皆が逆にのぞみちゃんにエールを送り、お母さんの死をきっかけに元ののぞみちゃんにまた戻り、みんなを応援して皆の目指すべき未来が拓けたり、夢が叶ったり、ハッピーエンドで最終回を迎えました。

少し前の私だったら

こんなうまいこと統べていくわけがないでしょ。さすが作り物。


そんなような言葉で一蹴していたと思います。

だけど今の私にはとても大きな存在が居てくれるので、素直に良かったねと受け止められました。

先日読んだ本に『恋愛とはなんぞや』という項目があり、とても納得したので少しここに書いてみたいと思います。

恋愛とはドキドキすることやときめくことだと思うのが一般的な見解だと思われていますよね。

好意を持った相手と距離を縮める度にドキドキしますし、何を考えてるのかな?と考えたり…。

ですが親密な関係になればそのときめきはいずれなくなりますよね。安定してくれば居心地の良い、俗に言う刺激がない状態になってくるからです。

なので、恋愛=ときめき、ドキドキという方程式を持っている人はどんどんと相手を変えていかないといけないわけです。

トキメキ続けなくてはいけないので。

ですが恋愛の真髄はトキメキではないそうです。

では、なんのためにするのか?

相手を通して、自分の事を知るため

だそうです。

これはとても核心をついています。

私自身、今まで考えなかった深いところまで考えるきっかけをくれたのは、真面目すぎるほど真面目に私の事を考えて話してくれた彼がきっかけだったからです。

自分の言動の矛盾点をまず明らかにして、

なぜそのような思考や言動に至ったのかをどんどん紐解いていきました。

一種のセルフセラピーのようなものですね。

とことん己と対峙する。それによって、ほんとうの自分の思いに気付けたところがあったので感謝しています。

やはりのぞみちゃんも私の事を考えてくれた彼も共通してるのが

誠実であり、真に相手を思っているということ

です。

人は年齢を重ねるにつれ、相手がどんな言葉を求めているのか雰囲気や言葉尻で分かるようになってきます。

なので求められてる答えが自分の思う言葉でなくても、ぽんとその言葉を発してしまうことも多々あると思います。

もちろんお互いの密度や信頼関係によってそれらは変わってくるのでしょうけど、相手に響く響かないは発した本人の熱意に比例するのではないかなと思いました。

今までの私は自分自身が自分に対して自暴自棄だったんです。

自分何てどうせ棄てられるし、そもそも関係が継続するなんて思ってないからクズの方がはなから分かってて丁度いいわな。

そんな位に思っていました。傷付きたくないから予防線を張って、ああやっぱりね、と思えるようにしていたんだと思います。


だけどそれでも傷付きますよね、当たり前ですけど。

ああやっぱりそうだよね

と思いながら不幸行きの札が立っている道ばかり、敢えて選んで棘に体をズタズタにされ、血だらけでいつも帰ってくる。


それは、本当に自分が求めてるものなのかな?という疑問を抱けたこと自体が見て見ぬふりをしてきた真髄だったので、望んでいないことが明確になって進むべき、探すべき道が分かったので良かったなと思います。


今年の私はずっと悩み続けていて、ずっと苦しかったんです。

不自由なく毎日は過ぎていたけれど、ずっと苦しかった。

それは自分を許せなかったことが統べての根本だと思っています。

どうしてこれができないのか、

もっとより良くできないのか、

こんな言葉遣いしかなぜできないのか、

毎日毎日頑張っていても、認められず疲弊し続けていました。それが他人にも厳しい態度や言葉として現れてしまっていたと思います。


無防備な姿でぼんやりしていて心安らぐということがずっと無かったので、もうそろそろ限界だったんでしょうね。

そんなときに『全てを受け止める』と言ってくれた人と出会えたことによって今まで執着していた考え方や物の見方を手放すことができました。

それによって、自分の心も軽くなってきて

案外全然平気なんだな…

と何と私は戦っていたのかな?と自問自答するようなことも増えてきました。


人と人が出会うことによって、様々な化学反応が起きます。

それは良くなるのか悪くなってしまうのか、わからない。

だけど、少なくとも人で傷付いても、人でしかその傷は埋められない。

人が傷を作り、人が傷を癒す。


彼と出会って本当に良かったなと心から思う日々です。


個性があって素晴らしい、自分で誉められない人が日本人には数多くいます。それとと同時に自分の不快な気持ちも閉じ込めてしまう傾向も多く感じます。 私があなたの肯定感を高めるお手伝い、心の声を発掘するお手伝いをしたいと思います!!