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手の中に全てある

先日、

『欲しいものが何も手に入らない人生だ』

と嘆いている方の相談を拝見しました。

自分はどうであろうかと考えた時に、

なりたい仕事に就けたし、観たいものも観て、行きたいところへ行き、食べたいものも食べ、好きになった人とご飯を食べたり出掛けたりする事も出来ている、

他人と比較して実感するのはあまり良い趣味とは言えませんが、

結構、充たされているのか、

と思えた瞬間でした。

何のツテもなく、様々な縁に導かれ、到底目にすることが出来ないことや、経験にも恵まれ、それらがスパイスとなり、個性として今の自分を作り上げてるのは間違いない事実です。

最近は、より自分の求めてるもの、求めてないものが分かるようになりました。

他者に順応する気があまり無く、そうすれば『協調性のない変わった人』のレッテルを得ることになります。

しかし、自分のなかで確固たる軸があるので、そこに到達した時の私の目の輝きは尋常ではないのです。

簡潔に言えば、一人語りが多い人は全てを閉ざします。

自ら語らずには要られないと言うことは、他者から承認をして貰えてないから生ずることだと思っていますし、他者が望む、望まざるを度外視し、自分の快感のみでその場の人間を操るからです。

自分もそういった時期があったので、過去の自分を見ているようでとても恥ずかしいです。


複数の人がガチャガチャと話してるのもすごく不愉快です。

静かな空間が好きなので、一人で黙ってやることに寂しさなんて感じずに心が落ち着くので喧しく、人が多いことがとてもストレスです。


しかし、良い発見もありました。

小さい頃から、身近に頼れる先がなかったため、気を緩められず律していたところがあるので、本心の赤ちゃんのようなぽやぽやした自分を解放できずにいました。

でも、どんなはちゃめちゃで暗く、悲観的な歪んだ私でも全てをまっすぐ肯定してくれる存在ができました。

ずっと付かず離れずでは居ましたが、距離がグッと縮まり、普段なら言えない不安も露呈し、向こうの本音も包み隠さずに伝えてくれます。

まっすぐ過ぎて、戸惑うことが多いですが、自分を大切に思い肯定してくれる人がいる安心感と力と言うのはこんなにも大きなものなのだと初めて感じています。

夢のような心地でもあります。作り物のような事が現実に自身の身に起きるだなんて思ってもいなかったので。


その充実感で充たされるはずなのに、世間の常識に囚われそうになっていた私は本質を見失いかけていました。

私にとって唯一無二の存在であることは確かなので、それでもう十分だと云う思考に至りました。


言葉や形式だけが全てではないので。


通じ合う感覚って、こういう感じなのかなと思ったりします。


一度でもこんな尊い経験が出来たこと、幸せに思います。

個性があって素晴らしい、自分で誉められない人が日本人には数多くいます。それとと同時に自分の不快な気持ちも閉じ込めてしまう傾向も多く感じます。 私があなたの肯定感を高めるお手伝い、心の声を発掘するお手伝いをしたいと思います!!