人間は潜在的には、ゲーム依存の美少女かもしれない

最近、適当に思いついた事を書いていたのだが、周りの人は案外真面目なことを書いており恥ずかしくなってきた。
そこで、今回は真面目なことを書こうと思い筆をとった次第である。

皆さんも生きている上でどうしようもなく悲しくなった、あるいは怒りが湧いたということはあると思う。
そんな時の対処方法、というかは私が実践していることを教えよう。
それは自分のことをこの世界の主人公だと思うことである。
自分は人生シュミレーションをしているプレイヤーであり、周りの人間はNPCで色々なイベントが発生していると考えるのである。
そうするとまるでハズキルーペをかけた時くらいに世界が変わる(私はかけたことが無いためこの比喩は一種の危険な賭けではある)。
ムカつくあの人もNPCに過ぎず、自分の嫌いな部分も初期設定である。
こう考えることで、あらゆる困難を乗り越えられるのではないだろうか。
しかし、この考えには危険な部分もあり、自分や他人を大事にしなくなるかもしれないということである。
これは良くないことで、まるでゲームの電源を切るかのように自らの人生の幕を下ろすといったことも考えられる。
また、その考えだけじゃ乗り越えられない人もいるだろう。

こういった考え方をしたことがある人は結構いるかもしれない。
それでも、上記のような欠点も持っているため、良しとしない人もいるだろう。

そんな人のためにも、私は今日これを書いているのである。
その考え方にさらにひとつ加えるだけで、世界は変わる(こちらはマジなのでハズキルーペには退場願う)。

この世のほぼ全ての生き物は自分である説だ。
つまり、周りの人間は自分の過去あるいは未来のプレイヤーだということである。

この考え方から、関係性のもつれで人が1人殺されたという事件を見てみよう。
被害者が自分であるならとても悲しい、また加害者も自分であればきっと事情あったのだ。
あぁ、なんと情け深いのであろうか。
これはきっと私がブッダで会った時の名残であろう。
ゲイツな自分も見つけたいものではあるが。

一方で、世の中には凄惨な殺人事件もあり、その犯人を自分とは認めたくはないと思う。
そんな時はどうすればいいのだろうか。
簡単である。
あれはNPCである。
私は嫌いな人間はNPC認定している。
実に勝手だとは思うが、それでいいと思う。
主人公は自分だからである。

今がとても苦しいあなたはきっと前プレイで恵まれすぎてハードモードを試したくなったのだろう。
しかし自暴自棄になってはいけない。
今のあなたの行動で次のプレイの結果は変わるのである。
人生を嘆き人に迷惑をかけるよりも、人に優しくする方が次のプレイは楽しくなるだろう。

そう考えるとどんな人生も捨てたものではないといえないだろうか。

話は変わるのだが、夢の中で自分の姿を見たことはあまりないだろう。
しかし、設定はしっかりしており、世界観も多様である。
夢もまた別の世界やプレイヤーの体験なのかもしれない。
今日はどんな夢が見られるか楽しみである。

美少女モードでプレイしたいです。

書いてて途中で飽きてきたし、もう書かないとおもう。

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