前編: たまたま

本日とても忙しく、また中身も長くなりそうであったので、前編後編に分け、今日は短めの話をすることをお許し頂きたい。

人は外見ではなく中身である。
よく聞く言葉である。
初めてこの言葉を聞いた時、私はどのように思ったのであろう。
今の私はこの言葉の意味はよく分かるし、当たり前だと思えるようにもなった。

果たして昔の私は、どうだったのだろうか。
そんなことが気になり覚えてる限りのことを思い出そう。

ほわほわほわ〜〜〜〜ん。

あれは確か、乳児期…。

………………。

…。

ダメだ思い出せない。
少し戻りすぎたようだ。

少し未来へ飛ぼう。

ほわほわほわ〜ん

あれは確か、幼稚園に通っていた時のことだ。

私は小学校1年生の時に、2回の転校をしている。
東京→大阪→兵庫である。
それゆえ、1年で2回の運動会を経験しており、これはなかなかない経験だと思う。

つまり、幼稚園から小中同じであるといった幼なじみがいないのである。
悲しい。
したがって、この時期は私の人生において唯一幼なじみが存在していた期間なのである。

この時の私は、まだ幼すぎて、3大欲求のうち2つのみしか仕事をしていなかった。
それゆえ、男の女の違いも特には意識していなかった。

母親がいうには、同級生のかっこいい男の子になついていた時期はあるらしい。

まだ思い出せることもあまりないので、また未来へ飛ぼう。

(略)

さて、小学校である。

東京の学校を出る際にクラスから寄せ書きをもらった。
今思えば女の子にもててた気もする。

とはいえ私は、片腕骨折してカラスの死体を持ってた同級生のことをかっけーなとか思っていた気がする。
ロックだ。

大阪の学校はあまり覚えてないが、コマ回しが流行っており、空中逆さ回転手乗せみたいなことをしようとして、頭にコマを当ててしまった女の子が可愛かったのはおぼえている。
最後の欲求のめざめは、ここら辺かな。

その時期に私は、シンプルに顔が良かったのでバレることもなかった。
この時点では、人間は中身とは思ってない気がする。
客観的に見て…。

さて、兵庫である。
私はこの先高校まで、宝塚という地域に住み続けることになる。

転校生でありながら、コミュ力を発揮しすぐに友達ができた私は、同性で遊んだりすることがほとんどであり、喋る相手もほとんど男子であった。
まぁ、低学年なんてそんなもんだとは思う。

しかし、周りの人は幼なじみ持ちも多く、やるせない気分にもなったものだ。
今思うとあれは、惚気話に対する嫉妬のようなものだろう。

そんな中、女子と喋る場は、クラスレクや運動会や学級会の話し合いくらいのものだった。
ああいう空間での女子は嫌いだった。
仕切りたがる癖に我儘であり、間違えたことを指摘したら、泣くのである。
泣いて悪口を言ってくる。
言い返したらさらに泣く。
小学校で1番立場が上なのは、校長でもPTAでもなく泣いている女子である。
みんなの前で謝ることを強要されるあの気まずい雰囲気を男子ならば経験したことがある人は多いだろう。

当然そんなこともあってか、女子のことはどちらかというと好きではなかった。
まぁクラスに可愛い子もいるわけで、女子が嫌いとまではいかなかった。

しかし、
しかしである。

泣いている女の子は

ブス

だったのである。

それによって私が面食いになってしまったことを攻めることの出来る人間なんていようか。
いや、いない。

~小学校低学年 まで 終わり。

次回は、
「小学校低学年を終え、高学年を迎えた俺を
ついにあの女が迎え撃つ!一体どうなってしまうんだ!
中学校に入って、女子に興味が湧いてくる年頃、人の性格を作り上げる時期に俺が出会ったのは……。痛っ!寝てたら鉛筆で刺すなんておちおち居眠りも出来ないぜ!
高校に何とか入学することが出来た私。この特進コース去年は40人中女子8人だって聞いたのに、今年は19人?俺は一体どうなるんだー?」
の3本でお送りします。

ジャンケンポン!うふふふふふ

( ᐛ✌)チョキ

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