見出し画像

留学は日常の延長線にあるのか

 こんばんは、あめです。
スコットランドはどんどん冷え込みが厳しくなってきました。サマータイムが終わるにつれて日照時間も短くなり、15時ごろには日が傾き始め、16時にはすっかり真っ暗です。午後にに図書館にきて、2時間勉強したのちに外出したら、もう夜が来ている!なんてことはざらにあります。

日照時間が短くなるとともに訪れるのは、期末エッセイ・テスト。図書館はいつになっても学生であふれ、席がなかなか見つかりません。みんなぐったりした顔で、PCやタブレットに向かっています。ストレスが溜まっているのね、私も同じ。心中お察しします….

初めての長期留学生活も、そろそろ3か月目に入ろうとしています。ここにきて、留学で自分を大変身させることは難しいのだなあと感じています。
もちろん多様な文化や価値観に触れ、自分の中でも様々な変化が起きました。「母国の開発に貢献する!」という高い志を掲げ、PhD取得を目指している南アフリカ人の友達に感化されたり、中国人の友達がたくさんできたことで、中国語の学習にも力を入れるようになりました。インドネシア人の友達ともっと仲良くなるために、duolingoでインドネシア語のコースをちょこちょこ進めるようにもなりました。

身を置く環境は大きく変わりました。交友関係も、日本にいたころとはずいぶん変わりました。しかし、22年間積み上げてきた「自分」という一本の軸は変化することはなかなかないのかもしれません。
刺激を受けた先にある、事象の受け止め方、そして刺激に対して生まれる変化は、とても「自分らしい」といえます。例えば、「インドネシア人の友達ができた」という新しい刺激に対して自分がとったアプローチは、「インドネシア語を勉強する」、つまり自分が日本にいた時から好きだった言語学習でした。この価値観・行動基準の根幹は、1年間の留学では大転換することはないのでしょう。

そう考えると、1年の留学によって人生は劇的に変化しないのだと考えられます。新しい価値観に触れたとしても、その受け止め方・解釈の仕方には、今までの生き方(経験)がベースになっているからです。軸は変えられない。留学は非日常の受容ではなく、日常の延長線にあることが、少しずつ見えてくるようになりました。

「日常だったら日本でも送れるじゃん!」というつっこみが飛んできそうですね。本当にその通りです。
しかしその上で、それでもここに来てよかった、と心から言えます。
欝々とした天気と厳しい気候にはうんざりさせられることもありますが、私はエディンバラ大学の温かい雰囲気が好きです。友達はみんな優しいですし、日本にいたらきっと一生で会えなかったであろう人たちと過ごせていることに幸せを感じています。美しい街並み(特に晴れた日は最高です!)や澄み切った空気を吸うと、心から晴れやかな気持ちになれます。

日常の延長線でいい。劇的に自分を変えられなくてもいい。それでも、ここに来られたことを感謝して、毎日を丁寧に生きていこうと思っています。 (PS: 期末エッセイ2本、4000wordsと3000wordsも頑張ろうね)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?